理化学研究所(理研)は1月26日、独自開発の遺伝子迅速検出法「RT-SmartAmp法」を適用して、従来のインフルエンザウイルス簡易検査キットと比べ約100倍の感度で、かつ40分以内と短時間でウイルスを検出する方法を開発し、臨床研究でその有効性を実証したと発表した。開発は理研オミックス基盤研究領域LSA要素技術開発グループLSA要素技術開発ユニットの石川智久上級研究員らの研究グループと複数の医療・研究機関、地域診療所の協力によるもので、米オンライン科学雑誌「PLoS ONE」に日本時間1月26日に掲載された。
インフルエンザウイルスは、タンパク質の抗原性の違いによりA型、B型、C型の3属に分類される。その遺伝子は1本鎖RNA上にあるため、変異頻度が高く細かな変異を有する亜型が次々と発生するのが特徴だ。特にA型は変異型が多く、世界的な大流行(パンデミック)を起こしやすいことが知られている。
2009年、メキシコで発生した豚由来の新型インフルエンザ「2009 pandemic A/H1N1(2009 pdm A/H1N1)ウイルス」は世界的な猛威をふるい、全世界でおよそ1万8000人もの死者を出した(出典:Pandemic(H1N1)2009 ‐update 97(World Health Organization, Geneva, Awitzerland.2010))。国内においても急速な広がりをみせ、特に妊婦、乳幼児および糖尿病やぜんそくなどの基礎疾患がある高齢の患者では重篤化する恐れがあるため、早期の診断が緊急に求められた。
しかし、2009年当時に医療現場で広く使用されていた簡易検査キットでは、A型かB型かを区別して判定することはできても、同じA型に属する「2009pdm A/H1N1ウイルス」を判別することはできなかった。そのため、医療現場で迅速に診断することができず、重篤な症例や死亡例が報告されてしまったのである。
2009 pdm A/H1N1ウイルス感染は2010年には収束したが、今後も新型インフルエンザが大流行する可能性があるといわれており、社会的および経済的パニックを招く危険性が十分考えられる。被害を最小限にくい止めるには、流行の初期に原因ウイルスを確定し、早急に感染拡大の防止対策を講じることが必要不可欠だ。そこで研究グループでは、こうしたニーズに応えるため医療現場で有効性のある特定のウイルスを検出できる方法の開発に取り組んだのである。
研究グループが開発したRT-SmartAmp法は、「等温DNA増幅法」である「SmartAmp法」と「逆転写酵素反応」を組み合わせることで、インフルエンザウイルスなどのゲノムRNAにコードされた遺伝子を特異的に検出する方法だ。
SmartAmp法とは、理研オミックス基盤研究領域が開発した「核酸の恒温増幅法を利用した遺伝子検出法(Smart Amplification procecc法)」である。複数の酵素を組み合わせて、摂氏60度でゲノムDNAにコードされた遺伝子を特異的に増幅して検出する簡便・迅速・安価な新しい遺伝子検出技術だ。
独自に開発した鎖置換活性を有する酵素と独自の非対称なプライマーデザインにより、目的の遺伝子を迅速かつ高感度に増幅することを可能にした。SmartAmp法を応用することによって、1滴の血液からヒトの1塩基多型(SNP)を検出することや、がん組織特異的な遺伝子変異を検出することも可能という性能を有する。
また逆転写酵素反応とは、RNA依存性DNAポリメラーゼ(RNA-dependent DNA polymerase:逆転写酵素)を用いてRNAを鋳型として相補的DNA(cDNA)を合成する反応のこと。遺伝情報はDNAからRNAへの転写によって一方向にだけなされると考えられていた(セントラルドグマ)が、この酵素の発見により遺伝情報はRNAからDNAへも伝達されることが明らかとなった。
理研の新技術をさらに発展させたRT-SmartAmp法は、一般的にウイルス検出に用いられる「PCR」(DNA合成酵素であるDNAポリメラーゼを利用してDNA分子の特定の領域を増幅させる実験手法)のように反応温度を上下させる必要がなく、摂氏60度で逆転写酵素反応と等温DNA増幅反応を同一のチューブで同時に行うことができるため、簡単な装置で遺伝子を検出することが可能だ。
そこで、2009 pdm A/H1N1ウイルスを検出対象とした「プライマー」(DNAを合成する際に使用される短い核酸の断片)を設計したところ、検体採取後40分以内でウイルスに特有の遺伝子配列を簡単に検出することができたのである(画像1)。また、タンパク質レベルで検出する従来のインフルエンザ簡易検査キットと比べて、遺伝子レベルで検出することによる正確さと、SmartAmp法が持つDNA増幅能により約100倍高い感度が実現できたというわけだ。
RT-SmartAmp法の有効性を医療現場で検証するために、千葉県と東京都にある3医療機関(千葉県立東金病院、いすみ医療センター、国立国際医療研究センター)と千葉県の東金市、山武市・山武郡にある11診療所の協力を得て、2009 pdm A/H1N1ウイルス検出の臨床研究が実施された。
インフルエンザの疑いのある発熱外来患者対象に、鼻腔から綿棒で検体を採取して、従来の「免疫クロマトグラフィー法」を用いたインフルエンザ簡易検査キットとRT-SmartAmp法でインフルエンザウイルスの検出を行ったのである。
免疫クロマトグラフィー法はインフルエンザウイルスに特徴的なタンパク質を認識する抗体を用いて検査する方法で、特別な機器を必要とせず、簡便で短時間(約10~15分)で結果を得られることから、検査施設を持たない小規模の医療機関でも使用できるのが特徴。発熱外来患者がインフルエンザに感染しているかどうかを判定するのに広く使われている方法だ。ただし、キット間でバラツキがあるのが弱点である。
その結果、簡易検査キットでは、255検体中110検体がA型インフルエンザと診断されたのに対し、RT-SmartAmp法では、140検体から2009 pdm A/H1N1ウイルスを検出した。その内の104検体は簡易検査キットでも陽性反応が出たが、残りの36検体はRT-SmartAmp法だけが検出できた次第である。
また、2009 pdm A/H1N1ウイルスと診断した98検体は、発熱から24時間以内の患者の検体であり、そのうちの28検体は6時間以内のものだった。従来の簡易検査キットでは、感度にバラつきがあったり発症から24時間以上経過しないと検出が難しかったりするが、RT-SmartAmp法を使えば、発症から高感度で迅速にウイルスを検出できることを実証したのである。
さらに、同臨床研究の一例である自己免疫性肝炎を患った女性(72歳)の場合は、発熱から11時間後にRT-SmartAmp法で調べたところ、2009 pdm A/H1N1ウイルス感染陽性だったが(画像2)、簡易検査キットではA型とB型ともにウイルス感染陰性だった。その後、52時間経過しても簡易検査キットでは陰性のままだったのである。
この女性はタミフル投与などさまざまな治療を受けましたが、胸部レントゲン写真(画像3)が示すように症状は悪化の一途を辿り、残念ながら発熱から52時間後になくなられた。この症例は、厚生労働省からも報道発表された2009 pdmインフルエンザ感染による死亡例だった次第だ。
また詳しく調べてみるとウイルスの一部に変異があり、1918年に世界大流行したスペイン・インフルエンザウイルスと同じ変異だったことが判明(画像4)。この重篤な症例で示されたように、従来法では死亡時まで診断できなかった症例でも、RT-SmartAmp法では発症初期段階からウイルスを検出することができたのである。
画像2。重篤なインフルエンザ感染の症例(自己免疫性肝炎を患った72歳女性)その1。RT-SmartAmp法では、発熱から11時間後でウイルスを検出できたが、従来の簡易検査キットでは、52時間経過してもウイルスを検出することはできなかった |
画像3。重篤なインフルエンザ感染の症例(自己免疫性肝炎を患った72歳女性)その2。胸部レントゲン写真(発熱後11時間および28時間後に撮影)。タミフル投与などさまざまな治療を行ったが、残念ながら症状は改善されなかった |
画像4。重篤なインフルエンザ感染の症例(自己免疫性肝炎を患った72歳女性)その3。患者由来2009 pdm A/H1N1ウイルスの一部であるヘマグルチニンのアミノ酸配列。G(グアニン)がA(アデニン)に変異したことで185番目のアミノ酸がアスパラギン酸(D)(対応コドン:GAT)からアスパラギン(N)(対応コドン:AAT)に変異している。これは、1918年に世界大流行したスペイン・インフルエンザウイルスと同じ変異だった |
今回の臨床研究結果から、RT-SmartAmp法は2009 pdm A/H1N1ウイルスの早期発見に有効な検出法、さらにはその蔓延を防止する効果的な手段となる可能性を示したというわけだ。
21世紀は感染症の時代ともいわれ、国際的な交通網の発達とともに感染症の世界規模での拡大が懸念されている。2009年、世界中で感染拡大した新型インフルエンザ2009 pdm A/H1N1ウイルスの出現は、近代社会における感染症の脅威に警鐘を鳴らすこととなった。特に日本では、インフルエンザ治療においてタミフルを広く使用しており、タミフル耐性ウイルスが出現する可能性が極めて高いことが予想されている具合だ。
また、アジアを中心に世界15カ国で鳥インフルエンザH5N1亜型のヒトへの感染が発生している。早期診断・早期治療は患者の生死を分けるばかりでなく、社会・経済活動全体に対する影響を最小限にくい止めるために重要だ。RT-SmartAmp法は医療現場で短時間に高感度で特定のインフルエンザウイルスを検出できることを実証しただけでなく、その検出方法の原理はタミフル耐性ウイルスや新規の変異ウイルスの検出にも応用することが可能な点が大きい。
現在、今回の開発の中核を担った石川上級研究員は文部科学省・感染症研究国際ネットワーク推進プログラム(J-GRID)インフルエンザコンソーシアムの中で、鳥インフルエンザH5N1亜型ウイルスのRT-SmartAmp法による迅速検出法を開発中としている。