大阪大学の森田靖准教授(大学院理学研究科化学専攻)と大阪市立大学の工位武治特任教授(大学院理学研究科物質分子系専攻)らの研究グループは、既存のリチウムイオン電池の電気容量(150-170Ah/kg)を超える(1.3~2倍)、レアメタルフリーの「有機分子スピンバッテリ」を開発したことを発表した。同成果は、2011年10月17日(日本時間)に「Nature Materials」(電子版・オンライン速報版)に掲載された。

リチウムイオン電池は、電子の貯蔵・放出を担う正極活物質に用いたコバルト酸リチウムに由来する安全性や原料コストに関する問題を抱えている。これらの問題の解決に向けた新しい正極活物質の開発研究が各所で進められているが、その多くはコバルト酸リチウムの類縁体である遷移金属酸化物のリチウム塩を基盤としており、リチウムイオン電池の基本的な設計指針を踏襲している。

一方、有機物を基盤とした正極活物質では、無機正極活物質に比べて利用できる物質の構造多様性が高く、さらに量子化学計算に基づく分子設計と精密な合成有機化学的手法により、分子レベルから2次電池を設計することが可能で、リチウムイオン電池に匹敵する出力電圧と充放電サイクルに対する耐久性(サイクル特性)を実現するものも登場するようになってきた。しかし、蓄えられる電気量(電気容量)は、リチウムイオン電池に比べてまだ少なく、その向上が次世代型バッテリとして実用化するための課題の1つとなっている。

電気容量を向上させるために、研究グループでは2002年に、有機分子が有する多段階の電子授受能の充放電反応への利用を提唱し、この設計概念に基づく2次電池を「分子結晶性2次電池」と命名していた。さらに同電池に、縮重したフロンティア分子軌道を利用することで、さらに効率的に電気容量を向上できることを2007年から提唱しており、その実現に向けた正極活物質として、独自に設計した安定中性開殻有機分子(中性ラジカル、または有機スピン分子)である6-オキソフェナレノキシル(6OPO)と、そのπ共役電子系を2次元拡張したトリオキソトリアンギュレン(TOT)に注目して研究を進めてきた。6OPOは、単占分子軌道(SOMO)と最低非占有分子軌道(LUMO)を1個ずつ有しており、TOTは1個のSOMOと2個の縮重したLUMOを有している。これらのSOMO-LUMO間のエネルギー差は有機分子としては小さい値となっている。

加えて、「フロンティア分子軌道エンジニアリング」と命名した分子修飾による分子軌道エネルギー準位の操作、および中性ラジカルの安定性の観点から、TOTにtert-ブチル基や臭素基を導入した(t-Bu)3TOTおよびBr3TOTを分子設計した。

図1 6OPO、(t-Bu)3TOT、およびBr3TOTの化学構造式と、量子化学計算から求めたフロンティア分子軌道のエネルギー準位図。TOT誘導体は、SOMOと縮重した2個のLUMOを有している。また、Br3TOTは、臭素基の導入により分子軌道エネルギー準位が大きく低下しており、置換基の導入によるフロンティア分子軌道エンジニアリングの効果が明確に分かる

量子化学計算から、どちらの中性ラジカルも、SOMOと縮重したLUMOを有しており、Br3TOTの分子軌道エネルギー準位は、(t-Bu)3TOTに比べて大きく低下していることが示唆された。6OPOは、市販化合物から9段階高収率で合成できることがすでに報告されており、TOT誘導体も、市販の原料から約6段階で効率的に大量に合成する手法が開発済みとなっている。

これらの中性ラジカルは、空気中での分解点が250℃以上と過去に知られている開殻有機分子に比べて高く、特に(t-Bu)3TOTは300℃以上でも分解しない。また、TOT誘導体は、結晶中では強固な分子間ネットワークを形成しており、電解液への溶解度の低下による高いサイクル特性の実現が期待されるとのことで、これらの中性ラジカルは、合成有機スピン化学の設計概念に基づいて合成されていることから、これらを用いた新たな2次電池を研究グループでは「有機分子スピンバッテリー」と命名した。

溶液状態での電気化学測定により、TOT誘導体は4段階の電子授受能を有することが判明した。

量子化学計算の結果と、これまでに明らかにしている6OPOの2段階の一電子授受能を考慮することで、SOMOと縮重したLUMOが強く関与していることが分かり、これにより、フロンティア分子軌道の縮重は、電子授受能の向上にとって有効であることが明らかになった。

研究グループでは、これらの中性ラジカルを正極活物質に用いた2次電池の性能評価を行うために、金属リチウム負極と10%の正極活物質を含む正極を用いた基礎研究用のコイン型電池を製作。6OPOの2次電池について、1Cで充放電測定を行ったところ、初回充放電過程は2段階の段階的挙動であり、それぞれの平均電圧は3.5、2.9Vであった。

また、初回放電容量は152Ah/kgで、リチウムイオン電池(150~170Ah/kg) に匹敵する値であることが確認された。この値は、理論容量147Ah/kgに近い値であったことから、2次電池内に存在するすべての6OPO分子が充放電反応に関与していることを意味しており、リチウムイオン電池では正極に含まれるコバルト酸リチウムの50~60% 程度しか利用できないこととを考えると対照的な結果であり、100回の充放電サイクルの後、放電容量は33Ah/kg(初回放電容量の22%)になった。

図2 (a) 溶液状態における (t-Bu)3TOT(図中の上)とBr3TOT(図中の下)の電気化学測定。それぞれ、4個の酸化還元波が観測された。(b) 電気化学的測定から明らかになったTOT誘導体の4段階一電子酸化還元反応

(t-Bu)3TOT2次電池について0.3Cで充放電測定を行ったところ、初回および2回目放電容量はそれぞれ311、169Ah/kgであり、6OPOの2次電池やリチウムイオン電池を超える値を示した。特に、初回放電容量は理論電気容量(220Ah/kg)を超えていることが確認された。初回放電過程は2段階であり、それぞれ中性ラジカルのSOMOが関与する一電子放出と2個の縮重したLUMOが関与する三電子放出に対応している(平均電圧2.3V)。一方、充電過程は3段階過程として観測され、平均電圧は2.4Vであった。100回の充放電サイクルの後、放電容量は73Ah/kg(2回目放電容量の43%)になった。

図3 (a) 6OPOの2次電池、(b) (t-Bu)3TOTの2次電池、(c) (t-Bu)3TOTのアニオン体のカリウム塩の2次電池、(d) (t-Bu)3TOTのアニオン体のリチウム塩の2次電池の充放電曲線とサイクル特性。(t-Bu)3TOT 2次電池とカリウム塩の2次電池は、初回放電容量が300Ah/kgを超えていることが分かる

また研究グループでは、(t-Bu)3TOT 2次電池の過大な初回放電容量の原因を解明するため、(t-Bu)3TOT のアニオンのリチウム塩とカリウム塩を正極活物質に用いたコイン型電池の充放電測定を行った。これらのアルカリ金属塩は、中性ラジカルと同程度の安定性を有しているが、結晶構造は中性ラジカルとは大きく異なっていると推測された。

充放電測定の結果、カリウム塩の2次電池は中性ラジカルの2次電池同様に過大な初回放電容量を示したが、リチウム塩の2次電池の初回放電容量は理論値と同程度の値であった。このことから、正極活物質の結晶構造の違いが過大な放電容量にとって重要な要素であることが判明した。

Br3TOT 2次電池は、1Cで充放電測定を行ったところ、段階的挙動ではなく緩やかなカーブ型の充放電曲線が示された。放電および充電過程の平均電圧は、それぞれ2.6Vと2.8Vで、(t-Bu)3TOT 2次電池に比べて向上していたほか、初回放電容量は225Ah/kgであり、100回の充放電サイクルの後も、71%(1C測定)、85%(2C測定)を維持しており、(t-Bu)3TOT 2次電池に比べてサイクル特性が向上していることが確認された。この結果、置換基効果による出力電圧の向上と、結晶中における分子間相互作用によりサイクル特性を改良することに成功したことが実証された。

図4 (a)Br3TOT 2次電池の充放電曲線と(b)サイクル特性。(t-Bu)3TOT系の2次電池に比べてサイクル特性が向上していることが分かる

今回の研究は、有機スピン分子が有する縮重したフロンティア軌道の活用による高い電気容量の実現と、フロンティア分子軌道エンジニアリングによる出力電圧の向上、さらに強固な分子間相互作用によるサイクル特性の向上により、分子レベルからの高性能2次電池の設計を可能にしたというものだが、この結果について研究グループでは、有機分子を用いた次世代型2次電池の実用化に向けた技術になるとの期待を示している。