iOSアプリのみで提供されている電子雑誌「The Magazine」が創刊1周年を経て、反響のあった記事やコラムをまとめたハードカバーの印刷版(DRMフリー版)を作成するためのKickstarterプロジェクトを起ち上げた。目標調達額は4万8000ドル(約490万円)。残り9日で集まった資金が3万ドルを突破しており、調達成功にこぎ着ける可能性が出てきた。

The MagazineはInstapaperの生みの親として知られるMarco Arment氏がアプリ開発やコンセプトをリードしていることで話題になった。iOSのNewsstandを通じて配信される有料の隔週誌で、1つの号に5本前後の記事や評論、コラムが収められている。Web版のサンプルを読んでいただくと分かるが、ライターや作家は実力者揃いで、どの文章も面白い。時間をかけた創作物だと分かる。でも、いわゆる文芸誌であり、それほど多くの読者は望めない。印刷版で今どきこんな雑誌を新たに創刊しようという出版社はないだろう。逆にWebで公開できるかというと、熱心な読者はつくだろうが、広告ベースで成り立つほど多くのアクセスを集めるのも難しそう。こういう読み応えのある読み物を出版ビジネスとして提供するのがキビしくなっている状況に、Arment氏がiPad雑誌というソリューションを提案したのだ。

1カ月1.99ドル、年間19.99ドル。創刊されてすぐに1カ月試した後で年間購読を契約した。Instapaperの生みの親が関わっただけに、文章は読みやすい。しかも、編集チームが優れているのだろう。トピックが多岐にわたるのに、毎号全ての文章を完読してしまう。一時期、筆者のNewsstandには二桁の雑誌が並び、それから5誌にまで減ったが、その中にThe Magazineは残っている。

創刊号から1年分、27号までのThe Magazineの表紙

少し前に、The Magazine読者の間で「年内廃刊説」が噂になった。1年目はiOSアプリ版の文芸誌を体験したくて契約する人が多い。でも、2年目はコンテンツを読みたい人しか残らない。タブレットユーザーの年齢層は比較的若いのに、こんな上品で文字ばかりの文芸誌が果たして生き残れるのか。2年目に突入する10月に契約者ががくっと落ち込んで、年末に危機を迎えるかもしれないという……なんとも勝手な予想なのだが、筆者も2年目の契約には躊躇した。

そんな時にArment氏のブログに「Why I Don’t Recommend Auto-Renewable Subscriptions, Even If Apple Lets Your App Use Them (Appleが推奨するものであっても、定期購読の自動更新を私が勧めない理由)」という文章を掲載した。

Newsstandに対応した電子書籍アプリは、アプリ内で定期購読を契約できる。しかし、解約はAppleのサポートページを読む必要があるほど分かりにくい。これはiOSプラットフォームの仕組みであり、アプリ開発者がアプリの分かりやすい場所に解約ボタンを置くことはできない。でも、ユーザーはそのように受け止めない。解約しにくいのはアプリ開発者の意図だと思って、アプリのレビューに1つ星を付けていく。これでは良い循環を生み出す関係をユーザーと築けない。定期購読の自動更新を使わず、契約期間が切れたら自動的に契約終了にすると、そのまま読者が離れていく可能性が高まる。それでもユーザーが不満を抱えることなく、ユーザーが自身で購読更新を決められるようにしているという内容だ。

11月には契約者数が落ち込んだはずなのに、そこまでユーザー本位になってくれるなんて……と、心動かされて2年目の契約に踏み切ったユーザーが(筆者を含めて)続出したのは言うまでもない (釣られたのではないと思う、たぶん……)。

さらにKickstarterプロジェクトである。もともとThe MagazineはiPadアプリを通じた出版がビジネスモデルになり得るのかを試す取り組みだった。それが1年を経て、ハードカバーにまとめるというアイディアが出てくるほどの成果になったのだから驚きというか、読者の1人としては感慨深い。

iPad雑誌というと、2011年2月にNews Corp.がAppleの協力も得て日刊誌「The Daily」を鳴り物入りで創刊したのが記憶に新しい。iOSのアプリ内コンテンツ課金をいち早く取り入れ、iPadのメディア機能の見本市のような雑誌だったが、契約者が伸び悩んで翌年の12月に廃刊になった。それに比べると、The Magazineは非常にシンプルだ。イラストや写真は美しいが、文章を読むためのアプリに徹していて派手な機能はない。

The Dailyもプロフェッショナルな編集チームとアプリ開発者、優秀な記者やライターが揃っていたはずだ。何が異なっていたのか考えると、The Dailyは紙の雑誌出版の規模や常識にとらわれ、最初から大きなビジネスとして展開を図った結果、それ程大きなiPad雑誌市場を作り出せなかった。

一方、The Magazineは既存の雑誌出版ではできないところからスタートした。素晴らしい作り手のコンテンツがあり、少数でもそれを読みたい人に結びつけるための仕組みを、iOSプラットフォームやソーシャルメディアを活用することに長けたアプリ開発者が作った。シンプルなThe Magazineを手にして、他のiPad雑誌よりも粗末と感じる人も多いと思う。でも、The Magazineのコンテンツを楽しめる読者にとって、The Magazineはユニークなコンテンツに触れられる特別な雑誌である。The Magazineのハードカバー版は読むための本ではなく、保存版になる。多くのThe Magazineユーザーにとって必要なものではないはずなのに、これだけ多くの人がハードカバー版の実現を望んでいるというのは、少数でもThe Magazineを深く好んでいる人たちがたくさんいることの証である。