本連載の第7回で、自動改札機、あるいはマルスとの連動による車内改札の省略について取り上げた。ただし、そのときには車内改札の話が本題だったので、マルスの話まで踏み込むことができなかった。

そこで今回は、鉄道にITが関わってきた歴史における、ひとつの「象徴」ともいえる座席予約システム「マルス」(MARS)について取り上げてみよう。

そもそもマルス以前はどうしていたか

鉄道に「指定席」というものが登場したのは相当に昔の話だが、そもそも昔は指定席を設けている列車そのものが少なかった。特急(特別急行)が本当に「特別」な列車で、その中でも特に一等車や二等車を利用する人は、本当に限られていた時代の話である。

ところが戦後、特に1961年のダイヤ大改正あたりから、昼行、あるいは夜行の特急列車によるネットワークが一気に広がってきた。そうなると当然ながら、指定席を設定する列車が増える。そして、ネットワークの拡大と所得水準の向上による相乗効果で、指定席を設定する特急列車の利用者も増えることになった。

では、その指定席に関する情報をどのように管理していたのかというと、それがなんと「紙の台帳」だったのである。指定席の販売を管理する「乗車券センター」なる施設を設けて、指定席の予約情報を参照、あるいは記入するための紙の台帳を用意する。その台帳を、中華料理店の回転テーブルみたいな丸い回転台に収容しておき、複数のスタッフがアクセスできるようにしていた。

各地の駅では指定席の申し込みがあると、乗車券センターに電話をかけて「○月△日の××列車、二等車の指定席を大人■枚分」とやっていたわけだ。申し込みがあった列車の指定席に空きがあれば、枚数と区間を台帳に記入するとともに、その情報を申し込みがあった駅に伝達、駅ではそれを受けて手書きで指定券を発券する仕組みである。

この方法でも理屈の上では管理が可能だが、問題はいくつもある。そもそも、紙の台帳だから操作ミスや記入ミスの可能性を完全には排除できない。そして、いちいち電話をかけて申し込まなければならない上に手書き発券なので時間がかかる。しかも、席番などの情報を口頭で伝達すると、伝達ミスの可能性が残る。

このほか、台帳を出したり戻したりする際のハンドリングという問題もあった。台帳を取り出すときには、回転台を回して目的の列車の台帳を取り出さなければならないが、回転台をかなり速い速度で回していたというから、うっかりすると怪我人が出そうだ。しかも、同じ台帳の奪い合いだって起こりかねない。

用が済んだ台帳を回転台に戻すときにも、慣れている人はサッと投げ込んで回転台に戻すことができるが、慣れていなければそうはいかない。投げ込み間違えれば台帳が落ちたり、誰かにぶつかって怪我人を出したりもする。

また、指定席券というのはいったん発券したら終わりというものではなく、キャンセルが出ることもある。キャンセルが出た座席をそのままにしておいたら機会損失につながるから、台帳を修正して「空席」に戻さなければならない。そこで記入漏れがあれば空席が無駄になるし、記入ミスがあれば重複発売になる。

台帳をコンピュータ化・オンライン化したのがマルス

そこで、紙の台帳をコンピュータの記憶装置に置き換えるとともに、各地の駅に設置した端末機と結んでオンライン化することで、大幅な効率向上が見込めるのではないか、という考えが出てきた。そして開発したシステムでは、記憶媒体に磁気ドラムを使用したことから「Magnetic-electronic Automatic Reservation System」、略してMARS(マルス)と呼ぶことになった。

ただし、なにしろ1960年代の話だから、当時最新のメインフレームであっても、処理能力は当節のパソコンよりも低かっただろう。もちろん、信頼性もずっと低く、当初に試験導入した際にはずいぶんと故障に悩まされたらしい。そうした苦労を乗り越えて、システムの能力向上や拡張を積み重ねることで、現在まで続く指定席予約システムに発展してきたわけだ。

つまり、マルスの歴史は日本における情報通信技術の発達の歴史におけるひとつの縮図であるし、その情報通信技術の精華である、ともいえるわけだ。

ちなみに、最初のマルスが登場した際には、端末機から照会すると空席の有無を緑、あるいは赤のランプで表示するだけで、発券は口頭の伝達と手作業で行っていたそうだが、これは後に端末機で発券する際に自動的に印字するようになった。そうでなければコンピュータ化の意味がなくなってしまう。

これは国鉄~JRグループに限った話ではなくて、座席指定特急を走らせている民鉄各社でも同様である。やはり、昔は紙の台帳と人間の手作業で指定席の販売情報を管理していたものが、コンピュータ化、オンライン化という流れをたどってきた。

昔と現在を比較すると、もちろん現在の方が大変である。取り扱う列車や座席の数が多いだけでなく、販売チャネルの多様化、接客設備の多様化、運賃制度の多様化といった要因が加わってきているからだ。

たとえば、JRの指定席料金には「閑散期」と「繁忙期」の区別があるから、発券する指定券の乗車日によって、これらを使い分けなければならない。また、特に寝台車において顕著だが、設備の種類が増えている。

昔ならひとつの列車の中に「A寝台」と「B寝台」しかなかったものが、今ではそれぞれに複数の種類がある。たとえば、寝台特急「カシオペア」のスイートだけ見ても、車端の展望スイートと中間部のメゾネットスイートの2種類がある。「カシオペアツイン」にしても階上・階下・車端の別があり、車端の部屋ではエキストラベッドを使える場合もある。

こんな調子だから、これを紙の台帳で管理しようとしても手間がかかりすぎて、現実的には不可能ある。コンピュータを利用した管理を行わなければ、指定席という制度そのものが成り立たない。実は、日本の鉄道システムを陰で支えている重要きわまりない構成要素がマルスなのである。

では、そのマルスを利用するための手段についてはどうなっているのだろう…というところで、話は次回に続く。

執筆者紹介

井上孝司

IT分野から鉄道・航空といった各種交通機関や軍事分野に進出して著述活動を展開中のテクニカルライター。マイクロソフト株式会社を経て1999年春に独立。「戦うコンピュータ2011」(潮書房光人社)のように情報通信技術を切口にする展開に加えて、さまざまな分野の記事を手掛ける。マイナビニュースに加えて「軍事研究」「丸」「Jwings」「エアワールド」「新幹線EX」などに寄稿しているほか、最新刊「現代ミリタリー・ロジスティクス入門」(潮書房光人社)がある。