米大統領選はまさかのトランプ氏勝利となり、世界中に衝撃が広がっています。同氏が掲げる排外主義的な政策や過激な言動は米国内の亀裂を深め、世界のパワーバランスを流動化させる恐れがあります。貿易・通商政策でも保護主義的な姿勢をとっており、それは世界経済にマイナスの影響を与えることになります。米国内外で警戒感と反発が強まっているのは当然のことでしょう。
ただその一方で、国内経済政策では大幅なインフラ投資、法人税と個人所得税の減税などを打ち出しており、これらは景気を押し上げる効果があるとして期待が高まっているのも事実です。
株価や為替相場は乱高下の展開に
株価や為替相場はこうしたプラス面とマイナス面への評価をめぐって揺れ動き、乱高下の展開となりました。開票が進んでいた9日の東京市場では日経平均株価が一時1,000円以上の急落となり、終値でも919円安となりました。ところが翌10日は意外にも一転して急上昇、1,092円高で取引を終えました。この日の上昇幅は今年最大、歴代13位という大きさです。為替も9日は1ドル=104円台から一気に101円台まで円高が進みましたが、その後は円が急落して10日には105円台、さらに海外市場で106円台へと円安になりました。
米大統領選直後は株価急落するも翌日には一転して急上昇した |
米大統領選直後は円高が進んだが翌々日には円安に |
本連載でこれまで何度か「トランプ勝利なら株安、円高」と書いてきましたが、開票当日こそ予想通りの展開となったものの、翌日の大幅な株高・円安は正直言って予想できませんでした。これは、9日未明(現地時間)にトランプ氏が勝利宣言した際の発言内容や翌日(同)のオバマ大統領との初会談の様子が穏健だったことから安心感が出て、国内経済政策への期待が高まったことが背景です。
トランプ氏が明らかにしている経済政策は?
トランプ氏が明らかにしている国内経済政策の主な内容は、
(1)今後10年間で1兆ドル(約100兆円)のインフラ投資を行う
(2)連邦法人税率を現行の35%から15%に引き下げる。特に企業が海外資金を国内に戻す際の税率は10%にする
(3)個人所得税を引き下げる
(4)エネルギー産業や金融機関への規制を緩和する
――などで、これらを通じて経済成長率4%をめざすとしています。
トランプ氏の主な経済政策 |
選挙期間中は両候補の非難合戦となったため政策論争があまり行われませんでしたが、たしかにこれらの政策を実行すればかなりの景気刺激効果が期待できますし、それは短期的な効果にとどまらず米国経済の中長期的な活性化にもつながりうるものと言えるでしょう。個人所得税の引き下げも合わせれば、今回のトランプ支持層の中心となった低中所得層の労働者世帯の期待にこたえることにもなります。
トランプ氏勝利を受けた9日のニューヨーク市場では経済成長への期待が先行したためダウ平均株価が256ドル高となりました。結果的には東京市場がトランプ・ショックの直撃を受けたのに、ニューヨーク市場は大幅高で終わるという皮肉な展開となりました。
為替相場で10日以後に円安・ドル高が進んだのも、米国経済が成長する可能性を読んだからです。市場では、選挙前はトランプ氏の保護主義的な政策から見てドル安との予想が多かったのですが、国内経済政策がうまくいけば案外ドル高が進むかもしれないとの見方が急速に増えています。
この減税と規制緩和の組み合わせ、そしてドル高は、かつてレーガン大統領が行った経済政策、レーガノミクスを思い起こさせます。当時はインフレと不況によって衰退しきっていた米国経済を立て直すことが最大の課題で、不況克服のために減税と規制緩和を行い、インフレを鎮静化するためにドル高・高金利政策をとったのでした。
今は米国の景気はかつてのような不況ではありませんしインフレでもない、むしろデフレ圧力のほうが気になる状態ですから環境は全く違います。実は現在の米国経済で、一つ不思議な現象が起きているのです。それは失業率が歴史的な低水準になっていることです。大統領選の直前に発表された10月の失業率が4.9%でした。米国の失業率はリーマン・ショック直後に一時10%まで上昇しましたが、その後は着実に低下しており、今年に入って5%を下回る水準まで低下しています。
この水準は米国ではほぼ完全雇用の状態と言われています。完全雇用とは「非自発的失業」が存在しない状態、つまり一定の賃金水準で働く意思がありながら就業の機会が得られない人は基本的にはいない状態のことです。失業率はゼロになることはありませんが、一定の期間さえ考慮すれば、ほぼ就業の機会を見つけられる、それほどに米国の雇用状態は良好なのです。
「あれ?」と疑問に思う人も多いと思います。「米国では白人労働者が移民に職を奪われて失業者が増えているから、その不満がトランプ支持になった」と受け取られています。しかし失業率の数字から見る限り、それは実態とはズレがあるように見えます。
問題は、失業率よりも賃金にあるのです。一般的な労働者の賃金水準を示す平均時給の推移をみると、ここ数年は1%台から2%前後の低い伸びにとどまっています。このように労働者の賃金が伸びない一方で、高額所得者との所得格差が拡大しています。これこそが、トランプ氏勝利の背景の一つとなっているものです。
平均時給の推移は低い伸びにとどまっている |
したがって彼らの支持を受けて勝利したトランプ氏が、賃金を引き上げられるような経済環境を作り出すことに成功するなら、前述の国内経済政策は妥当だと評価することができます。
最大の懸念材料は排外主義、保護主義的な考え方
しかしその一方で、トランプ氏の政策には大きな問題があります。何といっても、排外主義、保護主義的な考え方が最大の懸念材料です。トランプ氏は投票日直前にも改めて、TPP(環太平洋経済連携協定)からの脱退、NAFTA(北米自由貿易協定)の再交渉または脱退、中国を「為替操作国」に認定し45%の報復関税をかける――などを強調しました。メキシコや日本にも関税をかけると発言しています。
これによって海外に奪われた雇用を取り戻すとしていますが、この考え方には致命的な欠陥があります。その通りの政策を実行すれば、各国との自由貿易が阻害され貿易が減ることにつながり、世界経済全体にとってマイナスになるからです。
それにトランプ氏の主張は、多くの米国企業が世界的な部品供給のネットワークでつながっているという重要な事実を見落としています。たとえばアップルのように多くの米国企業は、主要な部品や素材を中国や日本などから調達して中国の工場で製品を組み立て、それを米国はじめ世界中に販売しているわけです。したがってもし米国が中国や日本からの輸入品に高い関税をかければ、それは米国企業に負担を強いることになりますし、米国企業が関税分を製品価格に転嫁すれば、その分は米国の消費者に負担させることになります。
もう一つ、移民の入国規制を厳しくするというのが、いわばトランプ政策の"目玉"なわけですが、これにも落とし穴があります。たとえばシリコンバレーにはインドや中国などからの優秀なIT技術者が集まっているのですが、移民規制によって優秀な技術者が集まらなくなる恐れがあります。
トランプ氏はかねてアップルやシリコンバレーのIT企業を「富裕層」「格差拡大」の元凶と言わんばかりに批判してきました。あるいは、移民規制もシリコンバレーへの圧力のつもりなのかもしれませんが、そうしたIT企業が打撃を受けることは、米国経済全体の活力を損なうことにもなりかねません。
つまり保護主義や排外主義は、いま見てきたように米国にとってもマイナスになるのです。トランプ氏がそれに気がついて軌道修正するかどうかが最大のポイントです。実は勝利後のトランプ氏は、そうした保護主義的・排外主義的な発言を控えています。トランプ氏への反発を意識して一時的に抑えているだけなのか、逆に選挙中の言動がもともと選挙向けのパフォーマンスに過ぎなかったのかは、まだ判断がつきません。もう少し様子を見る必要がありそうです。
今後、政権移行チームで政策の練り上げを進めていくことになりますので、その動向を見ていく必要があるでしょう。来年1月20日の就任前には主要閣僚も順次決定していきますので、その顔触れからもトランプ政権の性格や方向性を占うこともできそうです。
このほか、日米安保体制や日米経済関係への影響、対ロシア、対中国との関係も気がかりですが、それらについては次号以降に改めて見ていきます。
執筆者プロフィール : 岡田 晃(おかだ あきら)
1971年慶應義塾大学経済学部卒業、日本経済新聞入社。記者、編集委員を経て、1991年にテレビ東京に異動。経済部長、テレビ東京アメリカ社長、理事・解説委員長などを歴任。「ワールドビジネスサテライト(WBS)」など数多くの経済番組のコメンテーターやプロデューサーをつとめた。2006年テレビ東京を退職、大阪経済大学客員教授に就任。現在は同大学で教鞭をとりながら経済評論家として活動中。MXテレビ「東京マーケットワイド」に出演。