最近なにかと話題の「遺伝子」。病気のかかりやすさから、警察や裁判の世界まで入り込む「チョー実用的」な世界になっております。ただ、これほど広い遺伝子利用が可能になるには「PCR」という技術の登場がかかせません。ポイントはともかく増やすこと。今回は、実用な話を、楽しみながらご紹介できればいいな♪ でございます。

「PCR」は、遺伝子研究にとっての「車輪とレール」みたいな発明です。あるいは「電子メールとWeb」といってもいいですな。まあ、PCRがなくても研究は不可能ではないけど、効率が格段に違う。まあ、画期的な技術なのでございます。1983年に発明されました。

PCRで何ができるかというと、遺伝子を運ぶDNAのねらったパーツだけを、短時間で大量に増やすことです。増やすとなにがいいか、というと、分析できないものが、かんたんに分析できるようになるということなんですな。たとえば、食塩を考えてみてくだされ。1リットルの水のなかに食塩が1粒はいっていても、それをどうやって調べればよいかはわかりません。でも、食塩を100グラムにすれば、それがあるってことはいろいろな方法でわかりますな。

あらゆる化学分析で同じことがいえて、できるだけ目標の化学物質の量を増やすことができれば、その化学物質が存在することから特性まで、いろいろなことが調べられるのですな。遺伝子を運ぶDNAは、巨大な分子で、そのパーツは4種類の塩基などからできていますが、よーするに化学物質です。なので、増やせばいろいろなことがわかります。

さらに、DNAの並び方は「血液が何型か決める」とか「ある毒に対抗できる酵素を作る」「太りやすくする」とかいった設計図になっております。その部分があるかどうかを調べられれば、DNAからいろんなことが読み取れるのです。

そこでDNAを増やせばいいということになります。実際、私たちの身体のなかでは、細胞分裂のときにDNAが増えています。DNAは、二重らせんとよくいいますが、たとえるなら、ちょうどジッパーのような形になっています。で、ジッパーのように左右にわかれます。もちろん、それだけだと増えません。半分になるだけですな。が、そこに、ジッパーのさらに細かな部品をたくさん用意し、それをくっつける職人のような働きをする酵素(DNAポリメラーゼ)を用意してやると、各々のジッパーの片割れにわらわらと部品がくっついていって、もうひとつずつの相手ができるのです。結果としてジッパー、じゃなくてDNAが2つに増えるわけです。

で、これは生物が細胞分裂するときに、必ずやっていることなんですが、まあ20時間とかかかるんですね。もちろん、人工的に制御すればもっと早くできるわけですが、十分な量に増やすにはいかにも時間がかかります。

それからもうひとつ、DNAは遺伝情報を持っているのですが、これを分析する場合、全部を増やす必要はありません。人間のDNAなら、足を作る、爪をつくる、ヒゲをつくる、ガンになりにくい、ふとりやすい、背がのびやすいといったいろんな情報が、DNAの部分部分に折り込まれているのです。その部分をふくむところだけを増やせばいいのですな。

で、この一部だけを増やすというのが、PCRのポイントです。PCRでは、DNAの増やしたい部分の、「左の方」と「右の方」のマークに、しおりのような役割をする大きめの分子のブロックを用意するんですな。で、(1)その、しおりにあたる分子ブロックと、(2)DNAの部品になるもの、それから(3)職人にあたるDNAポリメラーゼをDNAと一緒に溶液のなかにぶちこんでおくのです。そうしたうえで、

  1. 温度をあげてDNAを2つに分裂させる
  2. 急速に温度をさげて、分裂したDNAの一部に(1)しおりの分子ブロックをくっつけさせる
  3. ふたたびちょっと温度をあげて、(1)しおりの分子ブロックをヒントに(3)職人に(2)部品をくっつけさせる

以上なら1-2-3が、20時間とかではなく、数分間! ですんでしまうのですな。で、目標のパーツは2倍になっているってなわけです。いうならば2はヒントみたいなもので、ジグソーパズルでいえば端っこの部品をあてがうようなものです。

さらに、うえの1-2-3を何度もくり返すと、パーツは倍、倍、倍、倍、倍、倍と増えていき、2時間もすれば10億倍にもなり、分析が容易にできる、ってなわけです。ポリメラーゼ(職人になる酵素)を使って連鎖的に反応をさせるので、ポリメラーゼ(P)連鎖(Chain)反応(Reaction)、PCRというわけでございます。うまいこと考えたものですな。

文章ではどーもなーという方は、英語ですけど、Youtubeにいろいろアニメがでていますので、ご覧いただければわかりやすいかと思います。これとかこれとかですかね。

ところでPCRに必要なのは、分子ブロックはちょっと面倒ですが、あとは汎用性の高い薬品と、温度を上げ下げできるヒーター+クーラー(サーマルサイクラーっていうんだそうです)があればいいわけです。で、このサーマルサイクラーはそんな高いものじゃないのですが、日本の大手のタカラバイオ(宝酒造の関連会社ですな)だと50万円とかですな。

ただ、ベンチャーが作れないことはないわけで、オープンソースのサーマルサイクラーは8万円くらいで入手できます。実際に作った人によると、ちゃんと使えそうということですな。薬品(酵素)などは別途かわないと、つかえませんけど。

ということでPCRは、遺伝子についての「鉄道と車輪」なわけでございますが、これを発明したキャリー・マリス博士についてふれないわけにはまいりますまい。というか、ハヤカワから出ている自伝『マリス博士の奇想天外な人生(ハヤカワ文庫NF)』がモーレツにおもしろいので(訳者も福岡伸一さんという筆が立つ科学者で読みやすい)それを読んでいただきたいのですが。ひとつだけ。

キャリー・マリス博士はまあ、変人なのです。社会規範からしたら信じられん人です。4回の結婚歴があり、LSD中毒だったという話もあり(当人がそういってる)、2人の元妻の3人の子供がいたりします。で、PCRの発明については「彼女のジェニファーとドライブしている最中にPCRの原理を思いついた」というエピソードがあるのですね。あまりの変人なので、ノーベル賞はもらえないだろうと当人も思っていたらしいですな。

が、彼はPCRの発明でノーベル賞をとっています。もちろんほかにも数々の栄誉があるのですが、そのなかで日本国際賞も受賞しております。で、本のネタバレですが、日本国際賞受賞者に対する皇后陛下との会話で、マリス博士いわくこんなことがあったそうな……。

皇后陛下(マリス博士の連れた夫人を見て)「この方と一緒にいらしたときにPCRを考えつかれたのね。」

マリス博士「いえ、別の女性です。」

皇后陛下「では、またひとつ大発見ができますね。」

本当かどうかは、マリス博士と皇后陛下にしかわかりません。

著者プロフィール

東明六郎(しののめろくろう)
科学系キュレーター。
あっちの話題と、こっちの情報をくっつけて、おもしろくする業界の人。天文、宇宙系を主なフィールドとする。天文ニュースがあると、突然忙しくなり、生き生きする。年齢不詳で、アイドルのコンサートにも行くミーハーだが、まさかのあんな科学者とも知り合い。安く買える新書を愛し、一度本や資料を読むと、どこに何が書いてあったか覚えるのが特技。だが、細かい内容はその場で忘れる。