クルマの両輪

『人を動かす』(著:D・カーネギー/発行:創元社)

前回は、『人を動かす』(著:D・カーネギー)から「人の立場に身を置く」ことをインテリジェンスの技術として学び、その訓練として「誉める」ことを推奨しました。両者はカードの表と裏で、人の立場に身を置かない誉め言葉は上滑りし、誉める技術がなければ、独りよがりな人物評価に陥ってしまいます。両者はクルマの両輪のようにどちらが欠けても成立しません。

実は『人を動かす』の中では「誉める」だけを切り出してかなりの紙幅を割いています。それは人間が100%「誉めて伸びるタイプ」で、リーダーには不可欠の技術だからです。逆境に奮起するタイプもいますが、彼らはそもそも「誉めてもらえる」ことを疑っておらず、逆風を誉められるためのエッセンスとして楽しんでいるにすぎません。人の上に立つなら論戦の技術を学ぶよりも「誉める」を究めるのが近道です。論戦は敵を作り、誉めるは味方を生み出すのです。

しかし、日本社会において「誉める」という行為は照れくさいものです。また、この春から新社会人デビューする人にとっては、上司や先輩を「誉める」ことは困難です。さらに、恋人と同じように妻を誉めた日には、痛くもない腹を探られるかもしれません。そこで本稿においては、「誉める」ための具体的方法は脇に置き、「人の立場に身を置く」をカスタマイズするわけです。

「飛び込み営業」から学んだ究極の営業法

私は会社員時代「人の立場に身を置く」ことで新規事業を立ち上げました。

フリーターから広告代理店の営業マンへのジョブチェンジに成功するも、営業成績は最低で、その先に待つのは解雇でした。ある日、事務所にいると宗教系の訪問販売がやってきて、仕事が中断されイラッとしました。

その時「人の立場に身を置く」、すなわち自分が押しかけている客の立場で考えてみました。すると、飛び込み営業とはとんでもなく客に迷惑をかける存在だと気がつきます。約束もなく押しかけ、お客の時間を奪います。そのうえ、商品を押し付け金を奪っていく不届き者です。

ましてや、こちらが提供している広告商品が必ずしも客のニーズにマッチしているとは限りません。カウンターのみで5席しかないショットバーにテレビCMは不要で、ダイヤの指輪を売るのに「ポケットティッシュ」が馴染まないようにです。

そこで「何をお望みですか?」と訊ねて回ることにしました。押し売りよりは御用聞きのほうがマシだろうという単純な発想です。私という人間に依頼したいことがあるかと尋ねて回ったのです。なかには実現できないリクエストもありましたが、幸いにも「広告社」と入った名刺を渡して「牛丼が欲しい」と注文する人はいませんでした。

その結果、新規事業が生まれます。パンフレットを見せることもなく(もっとも、昭和の終わりに作られたパンフレットはとても使い物になりませんでしたが)、商品を並べることなく仕事が受注できた理由は「相手の話を聞く」に徹したことです。

黙っていても売れた理由

一切の売り込みをやめ、話を聞く姿勢で接すると、多くの社長が身の上話を始めました。創業期の苦労話や商売の難しさ、痛快な成功談を語り始め、ひとしきり話したあとに「ところで」と仕事を切り出します。「できる」と答えると契約成立です。できないことなら「調べてきます」と次の面会の約束を取り付け、その日に訪問すると永年のビジネスパートナーのような歓待を受け、知らないうちにお客に気に入られていました。

話を聞いただけで成功した理由を『人を動かす』で紹介されているアメリカの作家のジャック・ウッドフォードの言葉で説明しましょう。

「どんな誉め言葉に惑わされない人間でも、自分の話に心を奪われた聞き手には惑わされる」

人は自分の話を聞いてくれる相手に好意を持ちます。人は感情の生き物。どれだけ理屈を並べても、最後は「好き嫌い」という単純な感情に支配されます。つまり、上司や同僚に好かれたければ、相手の話を聞いてあげることです。コツは「人の立場に身を置いて」話を聞くように努め、苦労なら苦労を、成功なら成功といった相手が自慢したいツボを見つけ出し「誉めて」あげるとイチコロです。

「エゴの時代」の現代だからこその教訓

反対に話を聞かないと相手は心を閉ざします。私の営業成績が悪かったのは、売り込もうとするあまり、相手の話を聞かず一方的に説明を繰り返していたからです。考えれば当たり前の話で、好きなタレントや尊敬する人物でもない、どこかの誰かの話を黙って聞き続けることは苦痛以外の何物でもありません。おまけにその後で「買え」と要求を突き付けられて、財布を開く客などいるわけがありません。社内で嫌われたければ、自分の話だけを続けると良いでしょう。

そして、これは新社会人向けのカスタマイズ。

「好き嫌いで仕事は決まる」

悲しいけど、これ、現実。「人の立場に身を置く」をフィーチャーした理由の1つです。「人の立場に身を置く」ができるようになれば、嫌われる確率はグッと下がります。それどころか「人の立場に身を置く」技術が身につけば「オンリーワン」は目の前です。

後世の人は現代を「エゴの時代」と呼ぶかも知れません。他愛のない独り言を万人の目に晒すツイッターに始まり、どうでもよい日常をひけらかすブログ、人間関係まで「見える化」してしまうFacebook。リアルでは茶髪、ピアス、無精ヒゲはすべて「個性」というかけ声の前に市民権を得ました。私らしく、自分らしくと「世界にひとつだけの花」になろうと誰もが先を急ぎます。

しかし、多くの人が薄々は気が付いているのです。「自分は普通かもしれない」と。ソーシャルメディアでいつまでも誰かと「絡んで」いるのは不安の裏返しです。他人という鏡に映り込む自分を見つけて居場所を確認しているのです。つまり、誰もが自分の話を聞いてほしいと声を上げる「エゴの時代」。

だからこそ人の立場に身を置き、話を聞き、誉めてあげることができる人が求められます。「俺が」「私が」とエゴをむき出しにする時代の「オンリーワン」は「人の立場に身を置く」ことができる人です。

宮脇 睦(みやわき あつし)
プログラマーを振り出しにさまざまな社会経験を積んだ後、有限会社アズモードを設立。営業の現場を知る強みを生かし、Webとリアルビジネスの融合を目指した「営業戦略付きホームページ」を提供している。コラムニストとして精力的に活動し、「Web担当者Forum(インプレスビジネスメディア)」、「通販支援ブログ(スクロール360)」でも連載しているほか、漫画原作も手がける。著書に『Web2.0が殺すもの』『楽天市場がなくなる日』(ともに洋泉社)がある。

筆者ブログ「マスコミでは言えないこと<イザ!支社>」、ツイッターのアカウントは

@miyawakiatsushi