前回は「シミュレータ訓練のメリット」に加えて「シミュレータを支える技術」を途中まで書いたところで文字数がいっぱいいっぱいになってしまった。ということで、まずはその続きを。

続・シミュレータを支える技術

前回、油圧を使うモーション装置で摸擬コックピットを実際に動かしながら訓練を行う、FFS(Full Flight Simulator)を対象として、ビジュアル装置とモーション装置で何をしなければならないか、という話を書いた。ところが、再現しなければならないものは、他にもいろいろある。

たとえば「音」だ。エンジン音はいうに及ばず、補助翼・フラップ・スポイラーといった操縦翼面を出し入れすればアクチュエータの動作音がする。それだって再現しなければならない項目のうちだ。

脚上げの時の「ドン」も同様である(「壁ドン」ならぬ「床ドン」?)。しかもこれの場合、モーション装置の動作とも同期させる必要がある。つまり、脚上げのレバー操作を行ったら、実機と同じタイミングで脚上げのタイミングを計り、上げ終わるのに合わせて「床ドン」の衝撃をモーション装置によって引き起こすとともに、その際の音を生成して鳴らす必要がある。

いうまでもなく、コックピットに設けられた計器類も実機と同じように動作しなければならない。それをやるには、まず実機の飛行に関連するデータをコンピュータで計算して、たとえば「この場面でこういう操縦操作を行ったら、どの項目にどれだけの変化が発生する」といったデータを割り出して、それを計器の表示に反映させる必要があるはずだ。

ということは、実機を忠実に再現できるFFSを作るには、まず実機の飛行特性や操縦操作に関わるデータを揃えておかなければならないということである。もっとも、その分野のモデリングやシミュレーションといった技術が進歩しているからこそ、新型機の初飛行を担当したパイロットが着陸後に「シミュレータで経験していたのと同じように飛ばすことができた」とコメントするようなことが起きるのだが。

最近はグラスコックピットが当たり前になったから、実機でもFFSでもディスプレイにコンピュータ・グラフィックで表示するのは同じだ。そういう観点からすると、アナログ計器を使っていた昔の機体の方が、FFSで実機と同様の計器盤を再現するのは難しかったかも知れない。

単に同じ計器を並べるだけではダメで、実機と同じように針やカウンターを動かすメカニズムを作り込まなければならないからだ。もっとも、モーターで針を動かすとかいうことになるとまたややこしいから、たとえば気圧高度計なら実機と同じものを取り付けておいて、シミュレータからそこにしかるべき大気圧を与えてやる、という方が実現しやすいかも。

シミュレータと構成管理

実機を忠実に再現する観点からすると、FFSは機種ごとに専用のものを用意するのが望ましい。ところがそうすると、FFS自体の導入・維持管理費用に加えて、設置する場所にも費用がかかる。

また、機材を代替あるいはアップグレード改修すれば、それに合わせてFFSも手を入れる必要がある。総入れ替えにしないで、ソフトウェアやコックピット内部の手直しだけで済むのなら、その方が経済的だろうからありがたい。

それに、FFSを開発・販売するメーカーにしても、複数の機種に対応するFFSのラインナップを揃える過程で、共通化できる部分は共通化する方が開発・製造が楽になるし、コスト面でも有利になる。

といった事情を考慮すると、機種ごとにまるっきり新しいFFSを開発・製作するのではなく、対応機種の変更あるいはカスタマーからの要望に合わせて交換可能にする仕組みを作り込む方が望ましい、という話になる。

それには、ハードウェアもソフトウェアも、機種ごとに異なる部分、あるいはカスタマーごとに異なる部分をモジュール化するとか、モジュール化した部分と他の部分を結ぶインタフェースの仕様を標準化するとかいう工夫が必要になる。

対応機種が同じであっても、カスタマーによっては「うちはそこまで高度な機能はいらないから」といってスペックダウンを求めてくることがあるかも知れない。そういうときにも、モジュール化によってスペックの変更に対する柔軟性を持たせておく方が望ましそうである。

あと、機種もスペックも同じ状態のままで、ビジュアル装置のイメージ・ジェネレータが使用するデータベースを更新したい、という需要もある。たとえばエアラインが新しい路線を開設することになれば、それまでは出入りのなかった飛行場が加わるから、そのデータをシミュレータに追加して訓練したい、というのはありそうな話である。実際、シミュレータのアップグレード改修に際してビジュアル装置の能力向上を図る事例もある。

FFSとコックピット・シミュレータ

FFSと似たような機材で、コックピット・シミュレータと呼ばれるものもある(「軍事とIT」の第1回目でF-35のコックピット・シミュレータを取り上げたことがあるので参照されたい)。FFSのそれと比べると簡易ではあるが、それなりのビジュアル装置もついている。といっても全周をカバーするには至らず、見えるのは前方だけだし、画の内容も簡素化されている。

コックピットと、その中の操縦装置や計器・スイッチ類はおおむね、実機と同じように作られている。ハリボテではなくて、操作すればちゃんと、それに見合った動作をするし、前方のスクリーンに投影される画の内容も変化する。ただし、モーション装置はないから、動きはしない。音の再現も省いていることが多いようだ。

コックピット・シミュレータの長所は、可搬性にあるといえそうだ。FFSだとモーション装置を動作させるための油圧装置が必要になるので、場所をとるし、移動可能にするのは難しい。その点、床の上に動かない摸擬コックピットを据え付けて、その前方に簡易ビジュアル装置用のスクリーンを並べるだけで済むコックピット・シミュレータは、機材一式を持ち運ぶことができる。

実際、ロッキード・マーティン社やボーイング社が日本向けの戦闘機売り込みに際して、自社が提案する機体のコックピット・シミュレータを持ち込んできたことがある。どちらも現物に乗って(?)みたことがあるが、設置した部屋の照明を落としていたせいか、意外と、実機を飛ばしているような気分になれたものである。もちろん、モーション装置はないから「傾き」も「ムズムズ」も感じられない。しかし、外部の風景を見られるだけでもけっこう違う。

新型機の売り込みに限らず、たとえばISOコンテナに収容した可搬式コックピット・シミュレータを戦地に持ち込んで、搭乗員の技量向上に役立てる、なんていう使い方もありそうだ。そういう使い方になるとリアリティも求められるので、音ぐらいは再現する方が良いかも知れない。

ちなみに、ITとは関係ない話だが、レバー類を動かすときの重さ、あるいはレバー類を動かしたときの機体側の反応も実機と同じにしておかなければ、忠実なシミュレーションにならない。たとえば、脚上げレバーを動かすのに必要な力が違っていて、シミュレータより実機の方がずっと重かった、なんていうことでは「リアルな訓練」にならないので、これはよろしくない。

執筆者紹介

井上孝司

IT分野から鉄道・航空といった各種交通機関や軍事分野に進出して著述活動を展開中のテクニカルライター。マイクロソフト株式会社を経て1999年春に独立。「戦うコンピュータ2011」(潮書房光人社)のように情報通信技術を切口にする展開に加えて、さまざまな分野の記事を手掛ける。マイナビニュースに加えて「軍事研究」「丸」「Jwings」「エアワールド」「新幹線EX」などに寄稿しているほか、最新刊「現代ミリタリー・ロジスティクス入門」(潮書房光人社)がある。