メガホンを取った湯浅政明監督

2006年に刊行された森見登美彦氏の青春小説が原作のアニメ映画『夜は短し歩けよ乙女』が、2017年4月7日に公開される。メガホンを取ったのは、同じく森見氏の小説をもとにしたTVアニメ『四畳半神話大系』(2010年)を手がけてきた湯浅政明監督だ。

両作はいずれも京都が舞台で、主人公は冴えない大学生。『四畳半神話大系』の"私"(CV.浅沼晋太郎)は、プライドが高く自意識過剰気味でコミュニケーションが苦手、それでも四畳半の下宿で思考を巡らし、出町柳などの京都の街を徘徊しながら、青春を謳歌しようと奮闘する。一方、本作では"先輩"(CV.星野源)と彼が思いを寄せる"黒髪の乙女"(CV.花澤香菜)、その2人を取り巻く人々の淡い恋模様が四条木屋町や下鴨神社などの場景と共にファンタジックに描かれる。

物語は、全4章からなる原作を四季のある不思議な一晩のエピソードとして再構成。まるでお祭りのような一夜の中で"黒髪の乙女"が、ジメジメした夏や底冷えする冬まで、さまざま表情を見せる京都の街並みを練り歩いていく。自意識をこじらせた"先輩"は、そんな"乙女"の目に少しでも留まろうと七転八倒。理屈っぽく動き回りながらも、やがて"乙女"に近づいてゆく。

本作は、京都の大学生賛歌であると同時に、倦怠や僅かな期待と共にモラトリアムを満喫する大学生たちの普遍的な青春物語だ。とは言え観終わった後には、京都の郊外で育ち、市内の学校で6年強も過ごしてしまった自身の大学生活を思い出さずにいられなかった。

なぜ、湯浅監督はファンタジックな画を作りながらも、随所でリアルに京都を表現できたのか。その疑問を率直にぶつけながら、『四畳半神話大系』から『ピンポン THE ANIMATION』(2014年)、本作に至るまでの制作を振り返っていただき、監督が映し出す青春の根源についても伺った。

京都には「このままずっといけそう」と思えちゃう雰囲気がある

――湯浅監督は九州の大学を卒業されています。にもかかわらず、本作では京都の大学生らしいと言ってしまえるような、自意識でがんじがらめになっていくモヤモヤした感覚がすごくリアルに演出されていて驚きました。これは森見さんの原作から読み解かれたものなのでしょうか。

森見さんの原作、それに脚本の上田(誠)さんから聞いたものは大きいと思いますね。でも、大なり小なり普通の大学生が思っているようなことが元になっているとも感じます。それが強調されるような仕掛けが(京都には)あるんだと思いますね。京都の街って大学生の割合が多いんですよね?

――そう思います。京都市の住人を無作為に何人か集めたとして、その中にいる大学生の割合は他の街よりもずっと多いのではないでしょうか。

銭湯が多いだとか大学生を中心にさせるロケーションがあって、学生に即した街になっているのかなという感じがしますね。今回の物語は極端ではありますが、多かれ少なかれ他の地域の人も、ああいったモラトリアムな感覚は抱いていると思うんですよね。でも京都はそれが特に強いように思います。「このままずっといけそう」と思えちゃう雰囲気というか(笑)。

――実際にそんな雰囲気の中で過ごしている人も多そうですね。普段から京都はよく行かれていたのですか。

それほどは行ってなかったですね。友達に連れられて訪れたのが最初でしたが、その時は鴨川を見せられて、「これが等間隔カップルだ!」という風に紹介されましたね(笑)。『四畳半神話大系』を作るようになってからは何回か行ってます。取材以外ではそんな長い時間ではないですけど京都ってすごく住みやすそうだし、楽しい。どこかで壁があるようにも感じるけど、とてものんびりできますね。

京都の「モラトリアムな感じが怖い」と脚本・上田誠氏も

――初めに行かれた時の印象から変わったところはありますか。

最初の頃は京都駅前辺りをウロウロしてたので、夏なのに暑いなぁなんて思ってました。のんびり行って気付いた大きなことは、とにかく鴨川の存在感ですね。街の中なのにいつも鳥がいるし、人混みでもみくちゃになっても、あそこに行くと何だかほわっとできますよね。鴨川を上れば(北のエリアに)行けるし、下る時も川を利用すれば分かりやすい。その上、(京阪)電車も横を走ってますしね。川だけでなく、街並みが碁盤の目になってるのも、何条で上がるとか分かりやすい。カフェも多いのですかね?

――すごく多いです。カフェ巡りが趣味の大学生もたくさんいると思いますね。学生向けのようなカフェも多いですし。

ですよね。テーブルも大きかったり、のんびりしてるのにご飯も大きかったりして、東京の感覚からすれば、やっていけるのかなとか心配になっちゃうような(笑)。

――懐が切ない学生でも食べられる食堂も多いですしね。

本当、貧乏旅行しててもそんなに困らないというか。そういうところもあって、よく上田さんは「モラトリアムな感じが怖い」と言ってました。適当でもずっと生きていけそうな雰囲気ですね。それで「物作りをする上では『ここから出ていかなくちゃいけない』みたいな気持ちがあるんだけど、でもやっぱり居心地が良い……」とか(笑)。

終わってみれば全て一晩の物語になるようエピソードを配置

――劇中でも、そんなモラトリアムな感覚が滲み出ていました。作中の演出としては、終盤で風邪が京都を襲って、暴風が荒れ狂う中で京都市指定のゴミ袋が吹き飛ばされていく描写がありましたよね。そこで、ファンタジーの中にも絶妙なバランスでリアリティがあるんだと気付かされました。そういったところは、実際に京都にロケに行かれて気付いた物事から着想を得られたのですか。

そうですね。原作自体が結構狭いエリアの出来事なので、できるだけロケーションは行い、"らしさ"は出ると良いなと思いましたね。

――なるほど。原作は第1章以外の3つの章の時間帯が夜ではなかったところ、映画では一晩として演出されていたことにも驚かされました。ただ一夜の中も不思議な時間が流れていて四季もありますよね。これは『四畳半神話大系』でみられたようなSF的な時間感覚のエッセンスがあらためて生きてきたという側面もあるのでしょうか。

それは特には考えてなかったですね。『四畳半神話大系』は4つのエピソードを11話にする作業でしたが、今回は4つのエピソードを1つの話にすることが必要でした。それには貫くものがほしいと一番に考えて、タイトルが『夜は短し歩けよ乙女』なので一晩"乙女"が歩く話にしよう、と。そう考えていると、"乙女"と李白の対比的な構図が浮かんできたんです。原作のように他のキャラクター達は四季のその日を生きていて、"乙女"だけがその日の夜を歩いていて、李白はもっと何十年も長い時間を浪費している。それを"乙女"が変な空気で一晩の話にし、冬に寝込んでいる李白に春からの決着をつける。終わってみれば全て一晩の物語、そんな話になれば良いなと思いながらエピソードを配置していきましたね。