かつて、ほぼ唯一の超音速旅客機だった「コンコルド」が2003年に引退して以来、私たち一般人が音より速く飛ぶことはできなくなってしまった。しかし、移動時間を劇的に短くでき、何よりも姿かたちが格好良い超音速旅客機は、いつの時代も根強い人気を誇っている。

コンコルドが飛べなくなり、また後継機が現れない原因のひとつには、「ソニック・ブーム」と呼ばれる、飛行機が音よりも速く飛んだ際に発生する、まるで爆発音のような騒音があった。

解決に向けて長年の研究開発が続けられた後、米航空宇宙局(NASA)は今年3月1日(現地時間)、このソニック・ブームを低減させる新しい技術を使った技術実証機「QueSST」を開発すると発表した。(関連記事:NASA、超音速旅客機の復活に向けた技術実証機「QueSST」を開発へ)

そして米国内の民間企業や、米国外でも、次世代の超音速旅客機の開発に向けた動きが徐々に始まりつつある。

はたして、コンコルドのあとを継ぐ、次世代の超音速旅客機は日の目を見るのだろうか。

ほぼ唯一の超音速旅客機だったコンコルド (C) British Airways

QueSST (C) NASA

音速の壁を超えて

馬車に始まり、鉄道、自動車と、乗り物が発明されて以来、人類は常にスピードを追い求めてきた。やがて鳥のように空を飛べる飛行機が生み出されてもスピードへの追求は止まらず、第二次世界大戦中に実用化されたジェット・エンジンやロケット・エンジンによって、人類はあらゆる鳥よりも速く飛べる術を手に入れた。

それまで主流だったレシプロ・エンジンは効率が悪く、またプロペラを使って推進力を作り出す仕組みは、その原理上、出せる速度に限界があった。ジェットやロケットの実用化は、それらの限界を超え、飛行機をはるかに速い速度で飛ばすことを可能にした。

しかし、速度を上げていく中で、また別の限界にぶち当たることになった。音の速度(音速)である。飛行機が音速に近付くと、機体が激しい振動を起こし、空中分解することもあった。多くの人はこの限界を壁に見立てて「音の壁」とも呼んだ。

この音の壁の突破が不可能ではないということは、早い段階から理論的に示されていた。そこで米国航空諮問委員会(NACA、現在の米航空宇宙局(NASA)の前身)は、音速突破を目指した「XS-1」という実験機を開発した。

そして1947年10月14日、テストパイロットのチャック・イェーガーが搭乗したXS-1によって、人類は初めて音速を突破することに成功した。

X-1 (C) NASA

イェーガーとXS-1が音よりも速く飛んでいる間、地上では何かが爆発したような轟音が聞こえた。その音に、機体が爆発、空中分解したのではないかと思った者もいたという。その正体は、「ソニック・ブーム」と呼ばれる超音速で飛行する物体から発生する衝撃波だった。このソニック・ブームは、音速を超えて飛行しようとする人類に、第二の壁として立ちふさがることになる。

コンコルド

超音速飛行はその後、まずは戦闘機や爆撃機といった軍用機で実用化され、1953年に登場した米国のF-100「スーパー・セイバー」を皮切りに、世界各国が超音速で飛行できる軍用機の開発を進めた。

一方そのころ、特殊な訓練を受けていない一般人が乗れる航空機――旅客機の実用化も進んだ。当初はごく限られた富裕層向けの移動手段ではあったが、1960年代に入るといよいよ大衆化が始まり、飛行機による海外旅行が身近なものになった。

そうなると、次は旅客機も超音速で、という考えが生まれるのは当然だった。

そして1950年代の後半から、米国、英国とフランス、そしてソ連で超音速旅客機の開発が始まった。しかし、その開発は困難を極めた。戦闘機と比べ、旅客機はより機体が大きく、また乗り心地や安全性、さらに経済性にも配慮しなければならない。

この中で、米国は採算が取れないとして撤退。しかし、英仏は共同で「コンコルド」の開発に成功し、ほぼ時を同じくしてソ連も「Tu-144」の完成にこぎつけ、Tu-144は1975年に、コンコルドも1976年から、旅客機としての運航が始まった。

超音速旅客機はそれまでの旅客機の、2倍近い速度で飛ぶことができる。つまり目的地までの所要時間は約半分となり、また仮に同じ人数を運ぶとした場合、これまでの旅客機が片道を飛ぶのにかかっていた時間で往復することができるため、航空会社の所有機数を減らすことも可能だとも思われていた。

ところが蓋を開けてみると、コンコルドもTu-144も商業的には失敗に終わり、Tu-144は運航開始後数年で、コンコルドはそれでも長生きはしたが、2000年に起きた墜落事故の影響もあり、2003年には引退してしまった。

コンコルドやTu-144が失敗に終わった理由はいくつかある。まずエンジンの燃費が悪く、また多くの燃料の積めなかったため航続距離が短く、太平洋横断など、長距離路線には投入できなかった。また運航コストも高く、乗客も100人程度しか乗せられなかったことから、乗客一人あたりの運賃もべらぼうに高くなった。さらに折り悪く発生したオイル・ショックの影響で燃料費が高騰し、さらに運航コストが上昇した。

1960年、70年代になると、旅客機による移動の大衆化がさらに進み、乗客は超音速は出せなくても、安く快適に乗れる飛行機を望み、航空会社も一度に大量に乗客を運べ、運航コストが安い機体を望むようになった。1970年に登場した2階建ての旅客機「ボーイング747」が大ベストセラーになったのは、こうした事情があった。

そして、当時の超音速旅客機にはもうひとつ、致命的な欠点があった。それはチャック・イェーガーが超音速飛行をしているときに地上に轟いた轟音、ソニック・ブームだった。

コンコルド (C) British Airways

Tu-144。写真は1990年代に、米国とロシアが共同で超音速機の研究を行った際に使われたときのもの (C) NASA