現代美術家・村上隆がはじめてメガホンをとって作り上げた映画『めめめのくらげ』が公開されている。彼の現代芸術家としての輝かしいキャリアと、初めての体験となった邦画の監督という立場は、一見するとかけ離れているように見える。しかし、この作品は、村上がこれまで大切にしてきた「勘違いの連鎖」の上にある作品なのだという。
今回は、村上の作品が日夜生み出されている「カイカイキキアトリエ」という創作の場で、この映画が生まれた経緯や、海外と日本におけるアートのとらえ方の違い、そして映画の「次」に取り組みたい事柄などについて聞いた。
――まず最初に、『めめめのくらげ』というタイトルの由来についてお教えください。
まず、この『めめめのくらげ』というタイトルにはいろいろな要素が絡まっていますが、その起源はつげ義春さんの漫画「ねじ式」の中に出てくる「メメクラゲ」というセリフなんです。つげさんは鉛筆で「××(バツバツ)クラゲ」と書いたのだけでも、編集者と写植屋さんがカタカナの「メメ」と勘違いをして「メメクラゲ」になり、それが日本のシュール漫画の代表的なカットとして流布されています。僕はこの「メメクラゲ」をモチーフに、目がいっぱい描いてあるペインティングを制作し、外国で初めて発表した時に、「メメクラゲ」を直訳して「Jellyfish Eyes」と名付けました。クラゲには目がないのに「Jellyfish Eyes」というタイトルなので、「日本からシュールレアリズムが来た」ということですごく注目され、僕の代表作になりました。で、それこそが勘違いの最たるもので、目を描いてるだけでクラゲのことはひとつも描いていないわけです。これまでも多くの場で言ってきたことでもあるんですが、こういった風に連綿と勘違いが連鎖していくことが、新しい文化を培っていくことなんです。
そして、自分が映画を作る時になってどんなタイトルがいいかなと思った時に、「Jellyfish Eyes」がいいなと思ったんです。でも、(邦題が)「メメクラゲ」だとそのままなので、スタジオジブリの『もののけ姫』(1997年)のドキュメンタリーの中で、鈴木敏夫さんが仰っていたヒットの法則に則って、真ん中に「の」を入れて、7文字が一番いいということだったので「め」をひとつ足して、『めめめのくらげ』にしようと決めました。
――スタジオジブリの法則を取り入れてつけられたんですね。
このタイトル自体には全く意味はないんです。僕の中ではシュールレアリズムと物事の勘違いの数珠つなぎが大事なことなので。この映画だけでなく、僕の絵画作品で、MoMAに収蔵されている「727」などをはじめとしたタイトルにも意味がないんですよ。意味がない中から、いろんな物がわき出してくるんです。この映画もまずタイトルを作ってプロジェクトを立ち上げ、そこからくらげ坊というのが出てきました。
――では、タイトルにも関連する、物語の中心を担う「くらげ坊」はどのように創作されたのですか?
当初、「くらげ坊」は身長2メートルくらいのふんどしを締めた、やせっぽっちのおじさんだったんですよ。坊は「お坊さん」の意味ですね。この企画はアニメーションで作られる予定だったので、可愛らしい男の子と女の子のアニメキャラのコントラストとなる、不気味なキャラクターとして存在していたんです。
その企画を実写映画化することになって、僕はそのまま出したかったんですが、監督補の西村善廣さんと脚本家の継田淳さんとブレインストーミングを重ねるうちに「気持ち悪いからやめましょう。村上さんはかわいいキャラクターの作家さんなので、かわいいキャラクターを作ってください」という意見が出たんです。それに対してずーっと僕は抵抗していたんですが、「そこを何とか」と説得されて、今の可愛い姿になったんです。
――なるほど、坊っちゃんの「坊」ではなかったんですね。
そうです。だけど、英語だと「Jellyfish boy」と訳されていて、坊ちゃんの「坊」になっているんですよ。これもまた、先ほど言った勘違いの連続で、僕が好きな現象なんです。
映画『めめめのくらげ』
主人公の小学生、正志(まさし)は、引っ越してきた新しい家に、見慣れない段ボールを見つけた。中から出てきたのは、くらげの様な不思議な生き物。どこか愛くるしいその生き物を"くらげ坊"と名付け、次第に仲良くなっていく。リュックにくらげ坊を連れて転校先の学校に行くと、他の生徒も、大人には見えない不思議な生物=“ふれんど”を連れていた。いったい誰が何のために。そしてふれんどとは何なのか―。