日本科学未来館では3月10日より6月11日まで、企画展「世界の終わりのものがたり~もはや逃れられない73の問い」を開催している(画像1)。1階企画展示ゾーンで催されており、入場料は大人1000円、18歳以下300円(常設展示の入館料とは別)。実際に内覧会で体験してみたのでそのレポートをすると同時に、その際にうかがった毛利衛館長のコメントも併せてお届けする(画像2)。

画像1。世界の終わりのものがたり~もはや逃れられない73の問いのポスター

画像2。内覧会でスピーチした毛利館長

今回の企画展は、なかなか考えさせられるタイトルだ。そのコンセプトは、人にも文明にも、さらには宇宙にすら終わりがあり、この世の必然であるというところに端を発している。それにも関わらず、現代人は忙しい毎日の中でそれに向き合うことなく日々を過ごしているのではないか、というわけだ。

そして2011年に起きた東日本大震災により、特に日本人は平和で穏やかな生活が一瞬にして崩壊してしまうこと、一変してしまう可能性が常にあることを日本人は誰しもが思い知らされた。科学技術の進んだ現代ではあっても、我々の生活がどれだけ危うく、脆いものかということが突きつけられたわけだ。

その状況から1年を経て、まだまだ苦労されている人も多く、心配事はなくなっていないが、多くの人にとっての日常も戻ってきている。しかし、日本科学未来館のスタッフはあらゆるものには終わりがあるという事実を踏まえ、自分なりの答えを持つべきではないかと考え、そうした問題と1人ひとりが向き合う機会を設けるべく、今回の展覧会が企画されたというわけだ(同館自体、震災のために天井の崩落など被害を受けている)。

会場では、最新の科学データや統計情報なども活用した上で、終わりについてさまざまな観点からとらえる73の問いを通して、来場者に考えを問い続ける形だ(画像3)。会場は三角錐・円錐など、三角形に関わる形状を基調とするデザインとなっている(画像4・5)。

画像4。奥のロープが円錐形に束ねられている部分がゴール(画像提供:日本科学未来館)

画像5。問いは、三角錐に書かれており、各所に立っている(画像提供:日本科学未来館)

また、問いは二者択一などで自分の考えを選べたり、コメントを書き込めたりするインタラクティブな点も特徴だ(画像6・7)。ほかの来場者がどんな選択をしたかがわかるし、また詩人の谷川俊太郎氏や脳科学者の茂木健一郎氏など、各方面の第一線で活躍する著名人に聞いた「終わり観」や、前述した問いへの回答も順次公開される予定である。

画像6。こんな風にテーマに沿って自由に書き込めるコーナーも

画像7。こちらは、テーマに沿った内容をりんごの形をしたふせんに書いて、りんごの木の形をしたパネルに貼り付けられるコーナー

展示は4つのセクションに分かれており、自分自身の終わりから、自分を取り巻くものの終わり、そして世界の終わりへと会場を進んでいく。次第に視点を拡大してく流れだ。

最初のセクションは、「予期せぬ終わり」。地震、台風、隕石衝突、あるいは病気や交通事故、戦争やテロなど、ある日突然、降りかかるかも知れないさまざまな危機を扱う。問いの例としては、「いちばんこわいものはなんですか?」(画像8)や「どんな病気になるか、あらかじめわかるとしたら知りたいですか?」(画像9)などである。

画像8。「いちばんこわいものはなんですか?」では、日本と、世界中の国を所得で見て、高・中・低の3つに分けて死亡原因とその割合を示した内容だ

画像9。DNAを検査してどんな病気に将来なる可能性が高いかという遺伝子検査は、もはや夢物語ではない

また、「世界で一番安全な場所はどこでしょう?」は、世界各国の災害や事故、病気、犯罪などの各種統計データを世界地図上に重ね合わせられるリスクマップだ(画像10)。もう、これを見ると、日本がどれだけ危険な国かがわかる。もしまったく何の予備知識もない状態で、世界中の好きな国を選んで住めるとして、このリスクマップのみを参照するのだとしたら、おそらく日本は下位に沈むという、改めてショッキングな事実が突きつけられる(でも、日本にはそれを補って余る良いものがたくさんあるので、外国へ脱出する手段があったとしても、筆者はそれを選ばないが)。

地震も火山も多いのに、原子力発電所は狭い範囲に集中しているし、国としての借金も多い。まぁ、どんな国や地域でも、何かしらマイナス面はあるわけで、すべてが安全・安心・快適なところというのはないので、どの点を考慮するか、という点になるのだが、それにしても日本はリスクの高い国だなということを実感させられる。

画像10。「世界で一番安全な場所はどこでしょう?」。白地図の上に各種のリスクマップを重ねられる仕組みで、自分が気になる危険性のみを重ね合わせると、どこが安全か危険かが一目瞭然となる

続いて2つ目のセクションは、「わたしの終わり」だ。生命の仕組みが解明されつつあり、医療技術も急速に発達している中で、「生」という概念、「生と死の境界」も揺らぎだしている。そんな中、人の終わりについて、アイデンティティのあり方についてを問う、まさに哲学的な命題も多分に含んだセクションである。問いの例としては、「体じゅうの細胞は日々生まれ変わっている。1年後のわたしは、今のわたしではない?」(画像11)、「永遠の生を手にいれることができるなら、ほしいですか?」(画像12)などだ。

画像11。「体じゅうの細胞は日々生まれ変わっている。1年後のわたしは、今のわたしではない?」では、体中のさまざまな細胞がどれだけ早いペースで入れ替わってしまうかがわかる。昨日と今日の自分はもう違う?

画像12。今回の展示では、無性生殖で増える生物は、すべての個体が「わたし」という考え。たくさんの「わたし」がいるわけで、一気に全滅しない限りは無限の命を持つ?

「体じゅうの細胞は日々生まれ変わっている。1年後のわたしは、今のわたしではない?」という問いは、現在の自分と1年前や1年後の自分と比較すると、体を構成する細胞の非常に多くが入れ替わっているのだ。短いものだと小腸とかの細胞は1.3~1.6日、長いものでも赤血球の120日など、すぐに入れ替わってしまう。

そういう観点から見たら、同じ自分とはいえないような気もするのだが、まぁ、一気に全細胞が入れ替わるわけでもないので、やっぱり自分は自分なのが当たり前かと思ったりもする。が、なんだか、考えていくと自分という存在が何か揺らいでくるような、結構奥の深い問いなのであった。

ちなみに、人は誰でも受精卵をオリジナル細胞1個目として分裂を続けて、最終的には全身で60兆(赤ちゃんの時点でそんなにはないだろうけど)という膨大な細胞に分裂するわけだが、どの時点でオリジナルの細胞は分解してしまったのか、それともまだがんばっているのか、ちょっと気になるところである。まぁ、分裂できる回数が限定されているから、もうとうの昔に役目を終えて分解してしまっていると思うが、もしかしたらまだ体のどこかでがんばっているのかもしれないと思えてくる?

そして3つ目が「文化の終わり」だ。地球が始まって以来、人も自然も絶えず進化し、技術の進歩は人の生活を大きく変えてきた。文化も技術も絶えず変化しているし、滅びてしまった文化や失われてしまった技術もたくさんある。諸行無常というやつで、永遠不滅なものなど、形があるものであれないものであれ、(今のところは)この世に存在していない。ここでは、そんな内容を見ることができる。

また、昨今、地球環境を守りつつ現在のライフスタイルを維持するため、「持続可能(サスティナブル)」という言葉がよく使われているが、ここはそれを扱っており、上空に塵をばらまいて太陽光を遮って地球温暖化を食い止めようとする「ジオエンジニアリング」研究の例なども登場(画像13)。持続可能とは何を、いつまで、誰と持続させることなのか、変化に満ちた世界で残すべきものは何かを問い直すセクションである。

ここもまた考えさせられる珠玉の問いがてんこ盛りで、「50年前の生活に戻ることはできますか?」(画像14)は、非常に素晴らしい問いだと思う。筆者は絶対に「戻ることはできない」というか、「戻らない」を選ぶ。原子力発電所のない時代の方がいい、という人もいるだろうが、正直、今の生活を手放すことはできないので、絶対に昔に戻る気はない。SF人間だから、むしろ未来に向かいたいという気持ちだ。

画像13。「リスクをはかりにかけて「使う」判断をしますか? -ジオエンジニアリング」。無理をすればどこかが歪むわけで、この問いは原子力発電にも当てはまるだろう

画像14。50年前に戻れるかといわれて、絶対に戻れない(生まれてないからわからない人も多いだろう)。あの頃はよかった、という人ももちろんいるだろうけど。例え30年前だとしても、筆者は戻りたくない

なので、今の生活を維持するのに原発が必要だというのなら(絶対に必要なのかは議論の余地があるところだろう)、それは受け入れるしかない。さんざん電気を使って科学技術の恩恵を受ける生活をしているのに、「原発反対!」と言っても説得力がないように思える(我が家も東京ホットスポットの葛飾区にあり、成長期の子どもたちもいるし、非常に放射性物質の飛散は不安ではある)。まぁ、ここで原発うんぬんの話をしても何もならないのだが、ぜひ読者の皆さんも考えていただきたい。

ただ1つお願いしたいのは、まるで原子力発電所が悪の権化のように感情的にいわれることがあるが、科学や技術が悪いわけではなく、問題があるのは使う人間の側にあるわけで、科学や技術を叩くのはやめてほしい、というところ。サイエンスライターの1人としてのお願いである。

そして最後の「ものがたりの終わり」も、これまた哲学性の高い問いがそろう。「世界の終わり」とは、何を意味するのか? 宇宙が終わることか、地球が終わることか、それとも自分の人生が終わることか? はたまた、大事な人やものごとが終わることか? そして、さまざまな終わりが待ち受けていても、今この瞬間は、世界も我々も続いているということを確かめて終わる内容となっている。「あなたにとって世界の終わりとは、何が終わることなのでしょうか?」(画像15)や「あなたはどんな未来をつくりますか?」(画像16)などが問いだ。

画像15。「あなたにとって世界の終わりとは、何が終わることなのでしょうか?」。筆者は単純なので、地球環境が壊滅的な状況となって、もう生きていけないという状況が訪れることだ

画像16。「あなたはどんな未来をつくりますか?」。1つも具体的ではないが、よりよい未来。昨日よりも今日、今日よりも明日と、少しでもいい未来をつくりたいものである

筆者の場合、「世界の終わり」というのは、(単純だが)隕石の衝突などで唐突に世界が崩壊してしまい、本来ならまだ続いていた人生が唐突に終わってしまう、人類を含めて地球環境そのものが壊れてしまう、というようなものをイメージする。自分たちが住める世界が突然なくなってしまうという感じだ。

自分が死んでしまうことで世界を認識できなくなり(魂の存在は筆者には証明できないので、ここではないものとする)、世界が終わる、ということもあるだろうが、あまり自分はその点での怖さなどは感じない。子どもたちがいるので、これから先も連綿と子孫がずっと生きていってくれれば、自分の一部分は死なないのでは? という気がするが、実際のところ、死を迎えてみないとわからない。

まぁ、サイエンス系の記事を日々書いていると、自分の寿命が尽きるまでには不老化の技術とか開発されてしまうのでは? などと感じることが往々にしてあるので、根拠のない「自分だけは死なない」的な思い込みのようなものもあったりするのだが(まだ精神的に幼いってことかもしれない)、自分だけが不老になり、自分の子どもや、まだ見ぬ孫たちが先に他界していくのを見るのはさすがにイヤである。

というように、とにかく考えさせられるのが「世界の終わりのものがたり~もはや逃れられない73の問い」の特徴である。最新データを多数駆使してまとめられており、もちろんサイエンスではあるのだが、哲学的な一面も持つ点が印象的だ。ゴールまで来ると、とても切ないのが今回の企画展の最大の魅力のように思う。

最後は、辛い時も前に向かって一歩踏み出せるような、当たり前のことなのだが、とても勇気を与えてくれる言葉がオブジェに記されて立っている。なんと書いてあるかは、ぜひご自分で確かめていただきたい。

最後まで来ると、とても切ない気持ちになるのだが、そんな思いを持った人のために用意されているのが、自分が終わりを迎えた時のために人生を共に歩む大切な人への思いを便せんに書き込むことのできる関連企画「"ラブレター"ライティングスペース」だ。頭上に巨大球体ディスプレイ「Geo-Cosmos」(画像17)がある1階シンボルゾーンに同コーナーは用意されており、ぜひ書いてみてはいかがだろうか。

画像17。有機ELが用いられた直径6mの第2世代Geo-Cosmos

そのほか、関連イベントが用意されており、毎日無料で開催されているのが、科学コミュニケーターによるサイエンス・ミニトーク「終わりの5秒間」だ。突発的な事故などで自分の人生が終わる場面を想定し、残された時間があと5秒となった時、自分ならどうするかを考える参加型トークだ。

ちなみにこのミニトークは内覧会でも体験できて、うっかり司会担当の科学コミュニケーターさんと目を合わせてしまったら、予想通りマイクを向けられてしまった。しかし、筆者はなんだか最近、座右の銘が「まだ終わらんよ!」とでもいうべき常にあがいている精神状態になっているので(笑)、「(高速道路などでの交通事故を想定したので)その5秒間に何とかして、終わらせません(たったの1秒でもできることはある!)」と題材から思いっきり脱線する答えを自信満々に答えて、「終わるっていう条件なのに、終わらせないなんて、なかなかない貴重な回答をありがとうございます(笑)」というオチとなった。参加する時は、あまりこんな頭の悪い回答をしないようにしよう。参加したい人は、直接ミニトーク会場へ。

そのほか、毎日10時から先着順に整理券が配布される形だが、展示ツアー「終わりの科学」も行われている。それから、5月19日には、事前に日本科学未来館のWebサイトで事前申し込みをする必要があるが、終わりのトークテーブル vol.2「どのリスクを選ぶのか/どの未来を目指すのか」が開催。登壇者は、三菱総合研究所リサーチフェローの野口和彦氏だ。

また、5月3~6日、12、13、19、20、26、27日という5月のゴールデンウィークおよび土日の10日間に5階カフェで1日50個限定で食べられるのが、「Toshi Yoroizuka」のオーナーシェフの鎧塚俊彦氏が「世界の終わり」をテーマに創作したオリジナルスイーツ「ルネサンス」。滅亡は新たなる誕生で、大地から新たな生命が誕生するのをイメージしたというものだそうだ。価格は630円(税込)となっている。

さらに、1階ミュージアムショップには、世界の終わりをイメージさせる1冊を投稿する「終わりのアンケート」で投稿された小説や映画、美術などから、約30冊の書籍を選定した「世界の終わりの本棚」もある。

そして冒頭で述べたように、毛利館長にも話を単独で聴かせていただいた。まず、一番印象に残った質問は何かを聴いてみたところ、「あなたにとって世界の終わりとは何が終わることなのでしょう」だったという(画像18)。その問いに対する答えは、「人として尊厳が失われる時」だそうである。命が終わる終わらないには関係なく、人として尊厳を保てなくなった時が人としての終わりであり、つまりは世界が終わる、と思ったそうだ。

画像18。毛利衛館長。一番印象に残った問いの前で撮影。宇宙という死と隣り合わせの環境を体験してきただけあって、言葉の重みが違っていた

また、先ほどのサイエンス・ミニトークの終わりの5秒間の話もうかがってみた。残りの5秒間でジタバタする筆者とは異なり、「何もせず、ゆっくりとその5秒間の人生を楽しみます。余計なことをすると、もったいないですからね」と答えてくれた。毛利さんは、宇宙に行った時の話として、「宇宙船の外壁のすぐ外は、人が生きていけない真空なんだ」として、すぐ近くに「死があることを実感した」といった内容の話をしていたのだが、「5秒間を楽しむ」という言葉に、一歩間違えたら簡単に死んでしまう危険な世界を体験してきた余裕のようなものを感じた。

筆者なんて、死を感じたことなんて、これまで数える程度しかない。交通事故を起こしそうになったり、がんの可能性もあるなんて医師に言われたり(結局なんともなかったし)、花やしき遊園地のローラーコースターに乗った時とかくらいである(笑)。死生観の違いを思いっきり感じるわけで、やはり宇宙というのは特別な場なんだと改めて思ったわけである。

日本科学未来館は、日本の科学展示施設の中でも最先端のサイエンスやテクノロジーにフォーカスしているわけだが、こうした哲学的な要素も強い展示は一風変わっているのではないだろうか。これまで何度も同館の展示を取材してきたが、ここまで考えさせられ、なおかつ切なくなるようなものは体験した試しがない。

科学技術が人の生活をよりよいものにするための道具として、人類がきちんと使いこなせるようにするためにも、今回の企画展のように生と死について科学的に考えることは、とても重要で素晴らしいことではないだろうか。

こうしたことを常日頃から考えるのは老若男女問わずもちろん大切だし、子どもでもどんどん考えてみるべきだろう。ゴールデンウィークもまだ後半があるので、ぜひ足を運んでみて、ご自分の目でそしてご自分の心で73の問いを考えてみてほしい。