2011年6月に「京」スーパーコンピュータ(スパコン)がTop500で1位になったことは記憶に新しいが、それ以前に1位になった日本のマシンが4台ある。1993年11月から1995年11月まで1位(1994年6月は2位)になったNWT(Numerical Wind Tunnel:数値風洞)、1996年6月の日立製作所の「SR2201」、1996年11月に1位になった「CP-PACS」、そして2004年6月から2006年6月に1位になった「地球シミュレータ」である。

三好甫(みよしはじめ)は、NWTと地球シミュレータを作り日本のスパコンに一時代を築いた功労者である。この三好氏(以下、敬称略)の没後10年の節目に「三好甫先生記念 計算科学シンポジウム」が開催された。

三好先生と三好語録の高い理想を掲げよの言葉

三好は航空宇宙技術研究所(航空宇宙3機関は統合され、現在は宇宙航空研究開発機構となっている)の計算センターの責任者であった。航空機の設計は模型を作り風洞で試験するというのが普通であったが、これをコンピュータシミュレーションで置き換え、航空機をまるごとシミュレートしようというのが数値風洞である。なお、大型の超音速風洞は大きなビル全体を占有する巨大装置で、設置面積、消費電力ともにスパコンより大きいし、模型の縮尺に比例して空気の粘性などを変えられないので結果の補正が必要という問題がある。

第1期の数値シミュレータは富士通のVP400スパコンを使用したが、第2期として280倍の性能のスパコンの開発

そして、実用的な数値風洞を実現するためには、1987年に導入した富士通の商用スパコンである「VP400」に比べて100倍以上という高い処理能力を持つスパコンを必要とするということで、その実現を指導したのが三好である。

三好はスパコンの開発者では無かったが、技術で何が実現できるかを良く理解しており、実現可能なギリギリの高い目標を掲げた。それが100倍以上という要求である。当時、ベクトルスパコンは巨大な装置というのが一般的な受け取り方で、それの100倍というのは途方もない要求であった。

三好は、開発にあたっては三位一体で(1)役所を組織し、(2)メーカーを組織し、(3)ユーザを組織することが重要と述べており、前線に立って役所と掛け合って予算を確保し、メーカーの技術者と話し合い、経営者を説得し、メーカー間の分担を調整した。そして、ユーザを組織してアプリケーションを開発し、スパコンで意味のあるシミュレーションができる環境を作った。

この100倍以上の性能のスパコンの開発を受注したのは富士通である。開発を担当したアーキテクトの北村氏(現広島市大教授)は、当時の富士通の商用スパコンであるVP2000の200台分の能力を設置可能な面積に納める必要から、小さくすることが最大の課題であったという。

NWTのアーキテクトの北村氏

商用機のVP2000の200台分の能力を設置できる大きさに詰め込むために、小さくすることが最大の課題

そして、64ビット長に1~3命令を詰め込むLIW命令セットを開発し、従来のメインフレーム互換のアーキテクチャに比べてハードウェアを簡単化し、さらに、これまでのスパコンで採用していた高速のECLに加えて、より高密度のGaAs LSIやBiCMOS LSIを使うことで小型化を図った。

プロセサボードのLSI配置。ECL(黄色)より高密度で高速なGaAs LSI(青色)も採用

しかし、GaAs LSIの品種数が多かったこともあり、なかなか製造できず、開発、製造は泥沼であったという。当時、CRAYがCray-3でGaAs LSIを使うという計画を進めていたが、結局、Cray-3の開発は途中で中止となってしまった。一方、富士通はNWTをベースにVPP500を商品化しており、商用マシンでGaAs LSIを使ったのは富士通だけである。

シンポジウム会場に展示されたNWTのボード(左)、水冷ベローズ(中央)、水冷モジュール(右)

その結果、完成したベクトルプロセサは、上の写真のように金色のヒートスプレッダを持ったLSIが並び、銅合金でできた蛇腹のような構造のベローズの底がそれぞれのLSIに接触するようになっている。そして、その上に青色の水冷モジュールが付き、各LSIに接触する蛇腹の中に勢いよく水を噴射して冷却する。なお、この水冷モジュールについているのはノンスピルコネクタで、コネクタを外すときは自動的に内部の弁が閉まって水が漏れない仕掛けになっている。

これで計算エンジンはできたが、データを供給するメモリが問題である。演算性能にマッチしたメモリ性能を実現するためにメインフレームで2次キャッシュに使ったSRAMをNWTのメインメモリとして採用した。性能問題はこれで解決したが、熱が問題で、排気温度は45℃にもなり、筐体の上には陽炎が立ったという。

メインメモリの熱で陽炎のたつマシン

そして、このマシンは1993年11月から1995年11月までTop500で1位となった。また、NWTの利用成果として、巨大問題の先進的な解法の開発に与えられるGordon Bell賞を3回受賞している。

さらに、数値風洞として、複雑で実用的な解析が実現できるようになりHOPE(日本版スペースシャトル)やSST(超音速機)、エンジンやヘリコプターなどのプロジェクトに貢献した。

NWTの利用成果

そして、JAXAの数値解析グループ長の松尾氏は、数値風洞NWTの成功の原因として次の図を示した。

数値風洞は何故成功したか

やはり、プロジェクトをけん引し、統率した三好のカリスマが成功した最大の原因である。また、三好はユーザ重視を貫き、目標の設定は明確で、それも高い目標を狙うという点で卓越していたという。

この三好の先見性とカリスマは地球シミュレータの開発にも発揮され、NWTに続いて巨大スパコンを作り上げたのであるが、三好はその完成を見ることなく、地球シミュレータセンター長在職のまま2001年11月に享年69歳で世を去った。そして、地球シミュレータがTop500の1位を日本に奪還したのは、その半年後の2002年の6月のことであった。

三好がいなければ、これらのスパコンがぶっちぎりの性能を持つシステムとして開発されることはなかったというのは日本のスパコン関係者の共通した認識である。