頑張ったけど負けたから努力賞では駄目

吉川氏のはやぶさ2に関する説明の後は、阪本氏も混ざり、阪本氏の質問に川口、吉川の両氏が答えていくという対談形式で話が進められた。

左から阪本氏、川口氏、吉川氏。会場は文字通り満員御礼状態であった

阪本(以下、敬称略):先ほど、はやぶさでは神頼みとか、根性論とかの話がでました。いわゆる体育会系のノリの探査プログラムだったというような、外から見ると感じたんですが、一部ではアポロ13以来の卓越したマネージメントとの評価もあって、マネジメントの講演もしてくれという話もありますが、マネジメントとして注意されていることはありますか

川口:マネジメントといっても、管理をしているわけではないんですよ。よく聞かれますけど、チームのベクトルを1つの方向に向ける作業や努力が、このプロジェクトではほとんど不要だったんですね。というのも、最初、打ちあがったときから、このプロジェクトが目指すものは何か、それから、何がゴールであるかは、みんなで共有していたので、そこを聞かれても、何が良かったか逆に考えてしまいますね。

ただ、引っ張っていく側の立場からすると、ふらついてはいけないと思いますね。マネージャの目指すものは、先ほども述べましたが、"サンプルリターン"を目指すのだと。イトカワに到着して、うれしくないわけではないですが、やはりここは道半ばであると認識していましたし、みんなもそういう気持ちにならなければいけない。ここが揺らぐと、もう帰っても良いんじゃないかとか、妥協をしてしまいます。そうならないように、少なくとも自分は必ず最後までやるんだと意識してやってきました。

結局、勝たなければどうしようもない。これを心に持たないと駄目。頑張ったけど負けたから、努力賞じゃ駄目だということですよ。

阪本:運用の時の写真を見ると、笑ってないというか、最後、戻ってきて始めて笑ったような印象があって、的川さん(現JAXA技術参与・名誉教授の的川泰宣氏)の満面の笑みと対照的で、不屈のプロマネは鉄の意志とかのメッセージがあったんですか。

川口:意識はしてないですよ。的川さんが「あきらめの悪かった」と私を言っていましたが、ちょっと心外なんですよ。あきらめの悪いというよりもですね、ぜひ忍耐とかスピリッツとか、それが良かったと表現してもらいたかったです。別に笑ってなかったとは思わないんですけどね。

阪本:"はやぶさ"は幾多の苦難を乗り越えてきましたけど、"はやぶさ"の前に"のぞみ"がありましたし、そのほかにもいろいろあって、そうしたことをJAXAとして学び、それをはやぶさに込めて、そして今度は"はやぶさ2"へ持って行こうというわけですが、"はやぶさ"の出来すぎ感を見ると、ある程度、打ち上げ前にトラブルを予測してて、準備してたのが役に立ったというような印象があるんですけど。

川口:具体的な準備はしてないですね。ただ例えば化学燃料も、(イオンエンジンの推進剤の)キセノンも倍以上積んでたんです。どうしてそんなに積んでたんですかとよく聞かれるんですが、一番大きな理由は、ロケットも一緒にやっていて、ロケットの方のトラブルもフォローしないといけないということが頭にあるんです。M-Vの4号機が失敗しましたけど、(はやぶさが打ち上げられた)M-Vの5号機は第2世代へと切り替わっていて、M-V 4号機の改修ではないんです。そのため、ロケットの方も新技術がてんこ盛りで、例えば最後のキックモーターが伸展ノズルの展開に失敗したときとかをどうなるか、とかを考えると恐ろしいんですけど、ひょっとすると、そこも救わなくてはいけないということを考えるんです。

そうすると、推進剤の燃料はあればあるほど良いということで、入れられるだけ入れさせてもらったという経緯があります。そういったことが結果につながったのかもしれませんね。

阪本:担当者はこれで良いのではという思いがあったが、トップが入れろと言って入れさせたと。

川口:(製造を担当した)NECは、重さを減らせ減らせと言って、ケーブルを銅線からアルミ線にしたり、ねじをチタンにしたりで、本当にg単位で減らしてたんですけど、最後、推進剤をどれくらい入れるんですか、といわれたら、20kgとか30kgとか沢山詰めと言ったら、NEC側のスタッフは本当に驚いたというか、がっかりしてましたね。大変、ご迷惑をかけたかもしれませんが、そういう背景があったということでご理解いただけると思っています。

阪本:さらに使われなかった安全システムも沢山あって、今回は幸いにも使われなかったとは思いますが、それも打てるだけの打っていたということで、それってやはり体育会系のノリでいうと、練習以上の成果は本番では出ないということですよね。はやぶさは理学的の成果は当然ですけど、国民の期待は次のお使いはどんなことを、スリリングにしてくれるのだろうという点にあると思うんですけど。

吉川:大冒険してもらいたいという声もありますが、基本的には冒険をしないで済む探査機にしたいです。新しい試みもありますが、そもそもはやぶさでできなかったこと、ミネルバをきっちり下ろすとか、サンプリングホーンを予定通り下ろすとか、そういうことをきっちりやりたいなと考えています。

阪本:今、"あかつき"が順調に飛んでて、広報担当としては、少しハラハラさせてくれたほうが、盛り上がって良いんですけど。嘘です。今後なんですが、宇宙探査をしていく若い人たちが、川口、吉川というビッグネームができてしまって、その下がなかなか伸びづらいということが出てくるかもしれないという危惧がありますがどうですかね。

川口:次の世代が裁量を持って開発に携わらないと、技術などを伝えられないんですね。もっとも手っ取り早くはやぶさ2を作ろうと思うと、ロートルがやることです。でも、それだと育たない。もちろんアドバイザーとしては参加していますが、若手主体の方針でやって、将来を担ってもらわないと駄目ですね。

吉川:若い人と話すと、結構はやぶさ2をやりたいという人がいます。はやぶさ2は順調に行っても、戻ってくるのに10年間かかります。それだと今の若手も中堅になってしまう。だからこそ、早めに始めて若手にバトンタッチしていきたいと考えてます。

阪本:現在2人はプロジェクトマネージャの立場ですが、JAXAの新入社員に何になりたいと聞くと、プロマネが多いんですね。なんでそんなに大変なことをやりたがるかと思いますが、逆にお2人にマネジメントのロゴを外してもらって、もう1度、例えば学生の立場で、10年、20年かけて自由にやって良いと言われたら、何をやってみたいですかね。もちろん、はやぶさ2、3と行くのもあるかと思いますが、まったく違う展開、例えばIKAROSなんかも面白い試みだと思いますが、どうでしょう。

川口:マネジメントをしたいわけではなく、プロジェクトがやりたいんですよね。プロマネになりたい人に誤解があると思うんですが、プロマネってやっていても面白くないんです。プロジェクトマネジメントっていうのは、妥協をせざるを得ない、断腸の思いで色々なものを切り捨てていく立場ですよ。多分、やっていて凄いストレスが溜まると思います。どの分野でも、十分なリソースが与えられて、好きにやって良いよ、ということはない。限られたリソースを、色々切り捨てて、どこまで残れるかということをやっていますよね。そういうことはあまり面白くない。プロジェクトをやるっていうのと、プロジェクトマネジメントは違っていて、新しいことをやっていこうというのがプロジェクトで、そこが一番おもしろい。提案して、無形から有形を作っていける。これが何よりも面白いんです。だから学生に戻って、なにやるかというと、具体的には言えませんが、目に見えているようなものではなく、恩師の1人である故・長友信人先生(当時東京大学宇宙航空研究所教授)より「目に見えるものは過去のもの」と言われてまして、まさにそのとおりで、目に見えているものにあこがれていたら、駄目なんですね。だから、今目に見えていないものこそが夢であり、アイデアだと、それをやって行きたいですね。

吉川:私は実はプロマネではないんですけど、リーダーということで、仮にマネジメントする立場になると色々大変なんですが、マネジメントしないで良いというのであれば、元々天体力学という、大学でも先輩から、なんでカビのはえたような学問をやるといわれたほどマイナーな分野を専門としてまして、やはりそこが面白くて、今や小惑星は50万個近く発見されています。そういった基本に返った小惑星とか、天体などの勉強を出来ないかと思っています。またもう1つ、スペースガードにも興味があります。これは最近、真剣に取り組みが始まっていて、今すぐに天体衝突が起きるわけではないですが、それに備えて、何ができるか、ということをやって行きたいと思っていますね。

阪本:宇宙研って面白い組織で、もちろん今もパワフルなんですが、退官すると、より面白いことをやり始めるという空気がありますが、そういう考えが元になってそうですね。すみません、時間が来たようですので最後に一言ずつお願いできればと思います。

川口:はやぶさに出会ったのは運命なんでしょう。私の人生の半分はロケット、もう半分は惑星探査、この2つが出会って、ハレー彗星の探査から始まって、そして今はやぶさが地球に戻すことができたことを考えると、本当に幸せですね。ぜひ皆さんには、やりたいことはなんなのか、を追求していってもらいたい。それをより多くの若い人に開かれていけるように努力していきたいと思っています。

吉川:私もはやぶさのミッションに関われて本当に幸せだったと思います。その一番の理由は初めての、誰も見たことがなかった天体を見ることができた。イトカワの映像を初めて見たときに感動したわけです。そういう感動をぜひ、今後は次の世代にも感じてもらいたいと思っていまして、若手にも感動が伝えられるよう頑張って行きたいと思っていますので、皆さんもご支援いただければと思います。