元マイクロソフト社長、現在は慶應義塾大学院 メディアデザイン研究課 教授の古川享氏

東京ドームシティ プリズムホールで開かれた「IPAX2008」。IPAの事業活動の成果を紹介するイベントだが、28日に元マイクロソフト社長、現在は慶應義塾大学院 メディアデザイン研究課 教授の古川享氏が特別プログラムとして「とびだせ日本のエンジニア」と題された講演を行った。日本においてまさにITを築いてきた人物の講演だけにマスコミだけでなく、一般エンジニアも氏の言葉を聴こうと集まった。

開演前にも関わらず満席の会場

東大生も大したことはない

14時。会場に用意されたプレゼンテーションスペースに古川氏が登場すると辺りは拍手に包まれた。「"とびだせ日本のエンジニア"ということでお話させていただきますが、これから世界に飛び出そうというエンジニアの人は23~30歳以前の方が多いと思います。いつも成功しているわけではなく、挫折の連続ということもあるはずです。でも、大丈夫です」と語りだした古川氏。氏はまず自身の経歴から話を始めた。

大学に進学せず3浪して秋葉原の店員をやったエピソードを紹介。その3年間を経る中でマイコンチップが登場、当時のコンピュータ事情を語った。

「ぼくはショップの店員だったのですが、"マイコンを組み立てたが動かない"というお客さんがよく来ました。ある人はハンダ付けせずに瞬間接着剤を使っていたり、部品表を見ながらも基盤に取り付けるICをすべて逆向きにつけている人などもいました」などと、当時を振り返り会場を大いに沸かせた。「東大の研究室の人で、ワンボードマイコンが組みあがったのでなんとか制御してみたいといった人がいました。テレタイプやテンキーパッドを接続するシリアルインタフェースに"20mA"と書いてあるのですが、そこに100Vをそのまま通電させて基盤に大穴を開ける人もいたんです」と言葉を続けた。古川氏は「そのとき思ったのは、東大生もマイコンに関しては大したことはないなと思いました。今目の前で何かが始まるというときには誰が素人で、誰がプロフェッショナルかということは無いんだということを確認しました」と語る。

古川氏が23歳だったころの貴重な写真も登場

PC8800もFMシリーズもBIOSはすべてわたしが書いた

この3年間の放浪生活を経た頃、同氏の同年代の友人が次々と省庁などに入庁していったのを見て遅れを取り戻そうと決意。「3年間の遅れを取り戻すために誰もやっていないことをやろうと思い、アメリカへ行って自分でコンピュータを組み立てました。当時は1ドル180円の時代ですが、ベーシックが動くコンピュータが180万円もした。海外のキットを見たらおよそ9万円で組み立てられることが分かったからです」と古川氏は語る。

当時はプログラマだったと語る古川氏

当時はアメリカで2台組んで1台を日本で売ると、もう一度渡米できたのだという。その後、株式会社アスキーへ入社、月刊アスキーの副編集長を務めた同氏だが「こうやって話をしていると自慢かと思われるかも知れません。海外へ行こうとみなさんにお話するときに、社長をやっていただけだと思われることが多いんです。だけど、CPMのときはBIOSのプログラマだった。8ビットの時代に世の中で流通していたコンピュータの8割ぐらいは、PC8800もFMシリーズもBIOSはすべてわたしが書いてました。その後、UNIXのバークレー版もやりました」と、かつては会場にいる人と同じようにエンジニアのひとりであった経歴も紹介してくれた。