私は一昨年ぐらいから「終活」をテーマにした漫画を描いている。

10年間漫画家をやっていて、誰も私の話を聞こうとしなかったのに、この漫画を描き始めた途端、インタビュー依頼が急増した。

つまり、世間は私には興味ゼロだが「終活」には高い関心がある、ということだ。

「8月31日」状態では立ち行かない、誰もが抱えた宿題

「終活」とは死に支度のことであり、生きている内から死ぬことを考えるというメメント・森繁久彌活動のことである。

「死ぬときのことを考えろ」と言うと、日本では「縁起でもない」、時には「早く死ねというのか」と怒り出されてしまうケースも多い。

よって、死や死後の話は先延ばしになり、本人の顔にリアル死兆星が浮かんでから、それも本人ではなく主に家族が考えるのが一般的であった。

しかし、「死が見えてきたから」と言っても、人間は生まれた瞬間が死ぬことが決まっているのである。見えているものを見えないふりをして、晩年という名の8月31日になって「何もやってねえ」とカミングアウトし、家族が総動員で絵日記のねつ造や読書感想文を作成するのと同じように、突貫で葬式や墓の準備をしている状態である。

その段階になって「俺の死骸は鳥に食わせてくれ」といっても、いきなりそんな手の込んだことはできない。よって本人の意志とは関係なく、適当な念仏を唱えられ、そこら辺の墓地に埋められるしかないのだ。

死んだ後のことはどうでも良いという人も多いとは思うが、終活というのは、死後だけではなく死ぬまでの過程も含めてのことであり、この過程が高齢化により年々ロングラン公演になりつつある。

よって早い内に自分で考えておかないと、選択肢もなく、そのとき空いている施設とかに入れられ、そこで長い時間を過ごすことになったりするし、意識がある内に延命治療などの意志をはっきりさせておかないと「…シテ…コロシテ…」状態にならないとも限らない。

このように、必ず来るとわかっている上に、考えないと自分も周りも困ることになるとわかり切っている「死」を「縁起でもない」という気持ちの問題で考えないようにするのは、自称先進国のやることではないのではないか。

また、従来であれば、死後整理というのは、親族が総動員で片づけたり揉めたりするものであったが、最近は家族自体いない人が増えており、そういう人は行政が文字通り「処理」することとなり、もちろん税金が使われる。

そのため、国的にも費用含め自分の死の用意は自分でしてもらわないと困るのだ。

家族がいるにしても、本人が死に支度をしているのとしていないのとでは、残された方の大変さが違う。

ネットの普及で“世界規模”になった遺品

昔であれば、遺産含め、故人が残したものは大体家の中に収まっているものであった。しかし、今はワールドワイドウエブというものがある。ネットの普及で家の中に収まっていたものが一気に世界にまで広がってしまったのだ。

財産ひとつにしても、通帳などが存在しないネット銀行やネット証券を使う人が増えてきているし、給与もデジタル化されるという噂もある。

本人が財産一覧を残していなければ、遺族は把握すら難しくなり、無いなら無いと言い残してもらわないと「ワンチャン」が捨てきれず、ずっと探してしまうかもしれないのだ。

もちろん、借金も隠されるとあとで大変なことになる。

最近は契約もネット上で行うことが多いので、本人の死後も家族の知らない口座から知らないサブスク料金が引き落としされ続けるということもある。

このようなアナログではない遺品のことを「デジタル遺品」といい、終活する際の大事な一項目となっている。

そして、現在多くの人間が使っている「SNS」や「ブログ」などもデジタル遺品の一種だ。

故人のツイッターアカウントにその親族や関係者がログインし、本人が亡くなったことを知らせるツイートをしているのを見かけたことがある人も多いのではないだろうか。生前関係のあった人に本人の死を広く知らせる方法としてはかなり有効である。

しかし、これは周囲の人も故人がツイッターをやっていたことを知っていて、さらにパスワードなどを把握し、ツイートできる状態でないと使えない方法だ。周囲の人間が何も知らなければ、アカウントは更新されることもなく削除されることもなく「最後のつぶやき」のまま放置されることになる。

よって最近はアカウントの放置を防いだり、ツイッター上だけで繋がりのある、顔も名前も知らないけれど性癖だけは知っている皆さんにも自らの死を報せることができるよう、エンディングノートには、SNSのアカウントやパスワードの記載欄、そして死後投稿してほしい文章、さらに死後アカウントを消すか残すか書き込む欄があったりする。

だがそれも、やってくれる遺族などがいなければ用をなさない。

ツイッターに遺言を自動投稿する「desubot」登場

  • フォロワーに向けた遺言を自動投稿できるサービスが登場しました

    フォロワーに向けた遺言を自動投稿できるサービスが登場しました

最近、自らの死を自分で伝える、ツイッターサービスが発表され話題を呼んでいる。

その名も「desubot」だ。

これは「death」のつづりがわからなかったという中学生あるあるではなく、deathだと直接的すぎるし、何より暗いからだ。つまり、このツール自体、後ろ向きなものではないということである。

「desubot」は、一定期間、投稿やいいねが更新されないと「desubot」から生存確認のDMが送られ、反応がないとあらかじめ用意された「遺言」が投稿されるという仕組みである。

このシステムに関して、縁起でもない、や不謹慎という声はなく、おおむね好意的に取られているという。ツイッターをやる世代にとっては、すでに死や死後は自分で考えるものという認識が広がっているようだ。

しかし、このシステムでは、何らかの原因で返信やいいねができず、生きているのに遺言が投稿されてしまいそうな気もするが、逆にそれが良いような気もする。

遺言を見た人が「死んどったんかいワレ」と本人や周囲と連絡を取り、逆に死を防ぐ可能性もあるからだ。ネット上での生存確認が、今問題になっている「孤独死」を防ぐカギになるかもしれないということである。

ネットの繋がりはリアルに比べ、軽んじられる傾向にあったが、顔も名前も知らないが性癖だけは知っている人間が命綱になる日がすぐそこまで来ているのだ。