4月にゴールデンタイムへ進出した日本テレビ系バラエティ番組『千鳥かまいたちゴールデンアワー』(毎週水曜20:00~)を前身番組から立ち上げた柳沢英俊氏が、5月末で同局を退社した。新たな舞台は、インターネットテレビ局・ABEMAをグループに持つサイバーエージェントだ。
日テレ在籍時は、バラエティなどを制作するコンテンツ制作局と、スポーツニュースや中継番組などを制作するスポーツ局を唯一兼務するという異例のポジションだった同氏。まさにこれからのタイミングで、なぜ移籍という決断をしたのか――。
石川遼の言葉から受け取った「コンテンツ作りで大事なこと」
柳沢氏は2006年に日テレへ入社すると、スポーツ局に配属。2年目の時、15歳でゴルフのプロツアー史上最年少優勝を果たした石川遼選手の担当記者となり、計4本のドキュメンタリー番組を企画・演出。11年には、4年半の取材をもとにした書籍『石川遼、20歳』を執筆した。
テレビマン人生のスタートから、ともに歩んできた石川選手。彼が発した“僕は上手い選手にも、強い選手にもなりたいわけではない。すごい選手になりたいんです”という言葉が印象に残るという。
「プロ人生の中では、勝ち続けられなかったり、ミスをしてしまうこともあると思うんです。ただ、どこかで“やっぱりすごいな!”という瞬間を生み出せるような選手になりたいということを言っていて。それはアスリート像の話なのですが、もしかしたらコンテンツ作りにおいても大事なことなのかもしれないと思いました」
13年からはスポーツニュース番組『Going! Sports&News』(毎週土・日曜23:55~)の演出を務めながら、オリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯の中継や大型番組などの演出を担当。先日亡くなった長嶋茂雄さんのドキュメンタリー『80歳、長嶋茂雄の今』(16年)も手がけたが、これは特に忘れられない仕事になったという。
「正直、人生で一番緊張した仕事でした。日テレの先輩たちが築いてきた信頼関係で成立した番組だったんですが、密着取材の初日が長嶋さんの車で後部座席の隣に座って、自分でカメラを回す車中インタビューだったんです。ガチガチの私に長嶋さんは優しく話しかけてくださり、話しやすい空気を作ってくれました。小さい頃からテレビでずっと見てきた国民的スターに圧倒されていたのですが、取材を始めると緊張よりも幸せを感じ、すごく不思議な気持ちになりました」
最初の収録で涙を流しながら笑った『千鳥かまいたち』
2020年に制作局兼務となり、『世界一受けたい授業』の演出をしながら、21年に『千鳥かまいたちゴールデンアワー』のルーツである『千鳥vsかまいたち』を立ち上げた。
最初の単発番組の収録は、「名物番組の中でたった1回で終わってしまった企画をやってみるという、非常にムチャなお願いをする内容だったんですけど、その難しさを微塵も感じさせないくらい、千鳥さんとかまいたちさんの4人の色に染めてもらいました。誰も筋書きが描けない展開にスタジオで涙を流しながら笑いました」と手応えを感じた。
同じカップリングの『千鳥の鬼レンチャン』(フジテレビ)もある中で、彼らがMCでありながら“プレイヤー”であることを最大の強みとし、そこから日曜昼の限定レギュラー、土曜23時台と順調にステップアップ。この4月、ついにゴールデン進出を果たしたのだ。