寝台特急「北斗星」の臨時列車化をきっかけに、前々回は東京駅、前回は上野駅の夜行列車を振り返った。今回は同じ時期、1978(昭和53)年10月号の時刻表から、大阪駅を発車した夜行列車を紹介しよう。大阪駅は東西各方面の長距離列車が発着し、鉄道網の中心だった。西へ九州・山陰方面、東へ東京・東北・信州・北陸方面の長距離列車が走っていた。

大阪駅発着の寝台特急「日本海」。臨時列車は2013年1月まで運転された

大阪駅の夜行列車は17時15分発の「日本海1号」から始まる。客車は新しい24系25形で、オール2段式B寝台。青森駅は8時41分着で、15時間以上の旅だけど食堂車はなかった。大阪駅を起点とする寝台列車はすべて食堂車がなかった。駅弁屋さんが繁盛したに違いない。「日本海」は2往復あって、20時15分発の「日本海3号」もある。こちらは24系(24形)で、B寝台は3段式。2段式A寝台を連結した。どちらを選ぶか悩みどころだ。

北陸・信越方面へは、22時ちょうどに発車する新潟行の寝台特急「つるぎ」もある。寝台特急を補完する形で、青森行の急行「きたぐに」も走っていた。当時の「きたぐに」は、大阪駅発着で唯一、10系寝台車を連結していた。「日本海」はその後、1往復に減便され、「きたぐに」は583系を使った列車として、どちらも2013年まで走っていた。「つるぎ」は1990年代に廃止され、列車名はもうすぐ運行開始する北陸新幹線に引き継がれる。

大阪発17~22時台(クリックで詳細情報を表示)

大阪駅から最も夜行列車が多い方面は九州だ。新大阪駅始発の列車もあり、新幹線との接続が考慮されている。東京駅・名古屋駅から新幹線に乗り、新大阪駅で寝台特急に乗り継ぐことで、東京発の寝台特急より遅い時間に出発し、目的地に早く着くことができた。日豊本線経由の「彗星」は3往復もあった。鹿児島本線経由の「明星」は臨時列車も入れて4往復。「なは」も鹿児島本線経由だけど、こちらは京都駅発着だ。

長崎方面の「あかつき」は2往復。14系寝台車の改良版、14系15形が導入された列車で、関西から九州へのブルートレインで最後まで残った。ユニークなダイヤとして、「あかつき3号」は門司駅で分割され、佐世保行編成は筑豊本線を経由した。鳥栖駅では先に長崎行編成が到着し、20分後に佐世保行が到着する。号数まで同じ名前の列車が1日2回も通るという珍しい現象が起きた。「あかつき」を補完する形で急行「雲仙」「西海」もある。オール寝台車の特急列車が走る区間は、オール座席車の急行も走らせた。乗客が予算に応じてサービスを選べるように配慮したようだ。

21時台以降は中距離の夜行列車が続く。山陰方面の急行「だいせん5号」はオール20系客車。終着駅は大社線大社駅。国鉄における出雲大社への最寄り駅だった。「だいせん」も大社線も廃止されたけど、大社駅は現在も保存されている。長野方面の急行「ちくま5号」も寝台車を連結している。

大阪発23時台以降(クリックで詳細情報を表示)

23時台の花形は東京行の寝台急行「銀河」。四国方面へ連絡する急行「鷲羽」の名前も見える。急行「立山5号」は全車両が糸魚川行。ただし観光シーズンのみ、付属編成が富山地方鉄道に乗り入れ、立山駅へ向かった。距離の短い夜行列車は座席の電車ばかりだ。

0時台あたりから、東京発の九州行寝台特急が発着する。「さくら」「あさかぜ」「はやぶさ」「みずほ」は、大阪駅を深夜に出発する人にも便利な列車だったようだ。名古屋発博多行「金星」も大阪駅に停車。大阪駅に到着する頃には満席になっていたと思うけれど、「明星」「彗星」「あかつき」出発後の最終便という機能を持っていた。3時46分発の上り「金星」以降は到着列車。東京・名古屋・京都・新大阪行が停車している。朝早く大阪に到着したい人に便利な設定といえる。

ところで、大阪駅発ではないけれど、紀勢本線を経由する2本の夜行列車があった。

天王寺駅23時0分発の普通列車「はやたま」は、紀伊半島をぐるっと回って名古屋行。旧型客車の3段式B寝台を2両連結しており、普通列車だけど列車名が付いていた。寝台車の連結は5時7分着の新宮駅まで。残りの客車は名古屋駅に12時59分到着。約13時間の旅だった。「はやたま」の30分後、23時30分発の急行「きのくに28号」は新宮駅に5時18分着。グリーン車指定席、普通車指定席を連結していた。