「上野発の夜行列車~」で始まる歌謡曲といえば「津軽海峡・冬景色」だ。石川さゆりさんは1977年にヒットしたこの歌でNHK紅白歌合戦に初出場。以来、通算出場回数は37回を数える。「津軽海峡・冬景色」は1982年・1993年・2000年も歌われ、2007年以降は「天城越え」と交互に歌っている。

急行「八甲田」も上野発の夜行列車のひとつだった(写真はイメージ)

しかし、いまや「津軽海峡・冬景色」の情景は人々の記憶の中にしかない。この歌は、上野発の夜行列車で青森に着き、青函連絡船で北海道へ渡る歌だ。青函連絡船は1988年に運行を終了している。

さて、「津軽海峡・冬景色」がヒットした時代、上野発の夜行列車は何本あっただろう? 当時、ブルートレインブーム全盛期の上野駅は、東京駅よりも夜行列車が多かった。まだ東北新幹線が開業していなかったから、在来線特急列車の全盛期が続いていた。東北本線だけではなく、常磐線経由の夜行列車も多く、ほとんどが青森駅で青函連絡船に接続した。

さらに高崎線系統の新潟・北陸方面の夜行列車もあった。1978(昭和53)年10月、「ゴオサントオ」ダイヤ改正時の時刻表を調べてみたら、記載された列車数はなんと49本、発車時刻で44回だった。上野駅を発車し、青森駅に到着する夜行列車も19本あった。ブルートレインだけではなく、旧型客車や電車もあり、車両も行先もバラエティに富んでいた。

上野発の夜行列車の多さに驚きつつ、時系列ごとに見ていこう。

上野発19~21時台(クリックで使用車両情報を表示)

上野発の夜行列車ラッシュは19時台からスタート。19時台に6本の夜行列車が設定されていた。当時の東京駅に比べると遅い。これは終着駅までの距離が短いから。そして青函連絡船との接続を考慮しているからだ。まずは19時8分発の急行「八甲田」から。東北本線経由の座席急行列車で、旧型客車を使用していた。急行だから料金は安いし、ワイド周遊券で自由席に乗れたから大人気だった。「八甲田」は臨時列車も多く、19時16分発、21時8分発、22時48分発と続いた。

19時31分発の急行「津軽」は寝台列車の一番手。出稼ぎ、集団就職から帰省するとき、A寝台に乗れたら出世の証拠といわれた。「ゴオサントオ」ダイヤ改正から普通車が青地に白帯の12系客車になった。座席は従来通りの4人掛けボックスシートだけど、自動ドアや電気式冷暖房が付いた。旧型客車も連結しているけれど、青地に白帯の車体が多い。ブルートレインの仲間といえよう。

19時50分、いよいよ寝台特急が上野駅を発車する。常磐線経由青森行の「ゆうづる1号」だ。しかしブルートレインではない。寝台電車583系である。当時の「ゆうづる」は583系が3往復、24系客車が3往復、14系客車が1往復。なんと7往復も定期列車で走っていた。

20時台になると、「ゆうづる」と同じ常磐線経由の急行「十和田」も走り出す。こちらも「ゆうづる」に次ぐ4往復の運転で、下り列車は20時台に2本、23時台に2本あった。走行時間は24時間を超えている。青函連絡船に接続していたけれど、関東と北東北、東北と青函連絡という役割も与えられていたようだ。

「十和田1号」「十和田53号」はともに臨時列車。「十和田1号」のように通し番号の付いた列車名は運行期間を定めた季節列車、「十和田53号」のような50番台を付けた列車名は日付を指定しピンポイントで走る臨時列車を示していた。

20時台最後は急行「越前」がある。定期列車の「越前」は寝台車付き。19時台と22時台の臨時列車は座席列車で全車指定席。福井行の列車が3本もあった。21時台は「ゆうづる」「十和田」「八甲田」に混じって、上越線経由、奥羽本線経由の列車が現れる。上越線系統は寝台特急「北陸」と急行「能登」「鳥海」だ。金沢行の「北陸」「能登」は2010年まで走っていたから記憶に新しい。「鳥海」は後に「あけぼの」へ引き継がれる。

上野発22時台(クリックで使用車両情報を表示)

22時台は10本。うち6本が寝台特急という豪華な時間帯だ。福島駅から奥羽本線に入る特急「あけぼの」が2本。東北本線青森行の583系寝台特急「はくつる」、盛岡行の寝台特急「北星」が発車する。秋田行の寝台急行「天の川」は、急行列車として初めて20系客車が与えられた。

遅い時間になると、比較的近距離の電車夜行急行も現れる。22時44分発の臨時急行「ざおう57号」(山形行)・「ばんだい55号」(会津若松行)は455系急行形電車を使い、郡山駅まで併結運転された。「ざおう」「ばんだい」の組み合わせは3本。すべて季節列車・臨時列車扱いだ。「ばんだい」の定期列車は23時台にもあり、こちらは仙台行の「あづま」を連結している。

上野発23時台以降(クリックで使用車両情報を表示)

23時台になっても夜行ラッシュは終わらない。なんと15本も設定されていた。23時4分発の急行「出羽」(酒田行)は、上野発で唯一の気動車を使う夜行急行だ。「ゆうづる」の最終便が発車すると、23時42分発の寝台急行「新星」(仙台行)、23時58分発の急行「妙高9号」(直江津行)が寝台列車で、残りは急行形電車の455系・165系が占めた。455系は前述の「ざおう」「ばんだい」「あづま」など東北本線系統だ。盛岡行の急行「いわて」も455系である。

165系は直江津行の急行「妙高」と長野行の急行「信州」、そして「佐渡」の名が見える。急行は昼の列車も夜の列車も同じ愛称名を使う事例が多く、「妙高9号」などの号数は日中の列車の続きになっている。「信州51号」と「佐渡57号」は同じホーム、同じ時刻に発車するけれど、じつは運転日が異なっている。

23時台の夜行ラッシュでも乗客を運びきれないようで、0時台にも電車急行が3本ある。0時を過ぎて発車する夜行列車には特別なマークが付いていて、発車日の8日前から指定席券を販売するという意味だ。当時の指定席券は発車日の7日前から販売されたが、始発駅を0時以降に発車する列車は、例外として8日前から販売されていた。前日の夜の続きみたいな時間帯だから、0時前に発車する列車と発売日をそろえていた。

1978年10月号の時刻表で、上野発の臨時夜行列車が最も多い日は10月7日の土曜日だ。ここで挙げた列車のうち、臨時列車3本を除いてすべて稼働し、46本もの夜行列車が次々と上野駅を発車していた。

航空料金がまだ高価で、長距離輸送の主役が鉄道だった時代の上野駅は、いまとは比較にならないほどにぎやかだったことだろう。

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