お正月には年賀状、お節料理、お年玉、初詣などさまざまな行事がある。どれも日本の伝統行事だけど、年賀状と初詣は比較的新しい習慣で、明治時代になってから広まった。年賀状の歴史は、遠方や都合で年始の挨拶に行けないためのお詫びを兼ねた書簡で、平安時代の公家、戦国時代以降は武家にも広まった。しかし広く庶民が年賀状を出す習慣は、明治時代に郵便はがきが発行されて以降だったという。

「初詣」の元祖は川崎大師(写真はイメージ)

そして初詣は鉄道の普及と深く関わっている。江戸時代には、元日に自宅近くの氏神様や恵方詣りをする人もいたけれど、初詣という言葉はなかったという。むしろ元日以外の初卯、初巳、初水天宮、初大師、初不動などの縁日詣りのほうが人気だった。縁日は毎月あって、一年の最初の縁日は欠かさずにお詣りするという人も多く、かなりにぎわったようだ。

元日の初詣の歴史は川崎大師から始まり、そこに鉄道会社の集客競争が加わった。やがて関東や関西で広まっていったという。その経緯は交通新聞社新書『鉄道が変えた社寺参詣』(平山昇著)に詳しい。

川崎大師は弘法大師にゆかりの21日が毎月の縁日だった。だから正月の21日は初大師、初縁日としてにぎわった。1872(明治5)年、新橋と横浜の間で鉄道が開業すると、途中の川崎駅に最寄りの川崎大師へ、遠くから参詣に訪れる人が増えた。もちろん初大師も盛り上がったけれど、明治中期になると日曜日や正月三が日の休日が広まり、縁日詣りに休めない人が元日にお詣りするようになったという。

元日の恵方詣りなどの習慣は廃れていき、恵方に関係ない初詣が広まっていった。もともと神社へのお詣りは、「お伊勢参り」や「大山詣り」など、レジャーとしての意味合いもあった。鉄道の開業で、初詣りもレジャー化していったようだ。官営鉄道もこの人出に対応して臨時列車を運行したり、急行列車を川崎駅に臨時停車させたりしていたという。この「元日詣り」を新聞は「初詣」と報じた。

『鉄道が変えた社寺参詣』(平山昇著 交通新聞社刊)

「初詣」や毎月の縁日詣りなど、川崎大師の人気にあやかって、1899(明治32)年に大師電鉄が官営鉄道の川崎駅付近と川崎大師を結んだ。後の京急電鉄である。これがいわゆる「参詣鉄道」のはじまりといえそうだ。大師電鉄は5年後に品川へ延伸し、官営鉄道と集客競争を繰り広げた。その盛り上がりが伝わって、成田山など他の東京近郊地域でも「初詣」が広まっていった。

関西では西宮神社が初詣のルーツ。西宮神社はもともと1月10日ごろの十日戎(えびす)でにぎわっていたけれど、阪神電気鉄道が元日の初詣を宣伝したため、元日の参詣客も増えたそうだ。

『鉄道が変えた社寺参詣』には、上記の経緯だけではなく、官営鉄道(国鉄)と私鉄の競争の歴史や、各地の参詣鉄道の成り立ちなども詳しい。鉄道の歴史に興味がある人におすすめの良書である。

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