2012年、平成24年の干支は「辰」。この「辰」が付く駅といえば、東京メトロ有楽町線の「辰巳」と、JR中央本線の「辰野」だ。今回は2つの駅名の由来と、駅にまつわるエピソードを紹介しよう。
「辰巳」は皇居からの方角が由来
東京メトロ有楽町線の辰巳駅は東京都江東区辰巳1丁目にある。東京湾を埋め立てたところで、当初は7号地と呼ばれた。地名の辰巳の由来は、「皇居から辰巳の方角にある」からとのこと。
JR中央本線の辰野駅は長野県上伊那郡辰野町にある。地名の由来はいくつかの伝承による。このあたりは昔、天竜川をせき止めた湖だった。そこには竜が棲んでいた。しかし大雨でせき止めた山が崩れ、水が流れ出てしまい、竜は天に昇ってしまった……。「かつて竜がいた野」という意味から「辰野」になったといわれている。
「我田引鉄」のはしりだった「大八廻り」
ところで、かつて中央本線は、諏訪駅から大きく南へ迂回し、辰野駅を経由して塩尻駅に至った。この迂回ルートは「大八廻り」と呼ばれている。辰野廻りではなく大八廻り。とはいえ、この付近の地図を見ても、「大八」という地名は見当たらない。どうしてこんな呼び名が付いたのだろうか?
中央本線は甲武鉄道の八王子駅と名古屋を塩尻経由で結ぶ路線として計画された。延伸工事中に甲武鉄道を国有化し、現在の路線の原型ができた。この計画の際、塩尻から名古屋方面については木曽谷経由と伊那谷経由の2案あり、結果、現在の木曽谷経由となった。諏訪から塩尻まで、塩尻峠をトンネルで貫き、塩尻から木曽谷を南下するルートだ。これだと伊那谷の辰野を通らない。
ところが当時の鉄道局長、帝国議会議員の「伊藤大八」は伊那谷出身だった。そこで、せめて伊那谷の入り口を通そうと画策し、塩尻峠ではなく辰野を迂回するルートに変更させた。そのため、伊藤大八の名前をとって「大八廻り」と呼ばれるようになった。辰野の人々は伊藤に感謝し、辰野駅前に銅像を立てたほどだった。その後、辰野駅と接続する形で、伊那谷にも伊那電気鉄道が開通した。これが現在の飯田線である。
この件は、政治家が地元に鉄道を誘致する「我田引鉄」のはしりともいわれる。一方、「塩尻峠のトンネル工事が、当時の技術や予算の点で難しかった」との説もあるらしい。ただ、「大八廻り」の言葉が残り、銅像も建てられたというからには、伊藤のはたらきかけも重要な要素になっただろう。
ちなみに、塩尻峠直下に塩嶺トンネルが開通した年は1983(昭和58)年で、辰野駅開業の77年後である。この新ルートの開業により、東京(新宿)と松本を結ぶ特急列車などはすべて新ルートとなり、「大八廻り」は支線的な扱いになってしまった。このルートの辰野~塩尻間は、荷物電車クモニ143を改造した珍しい単行電車、クモハ123が走る路線として鉄道ファンに知られている。
本誌鉄道カテゴリでは、新年1月2日、「鉄道トリビア」の杉山淳一氏執筆による「いまさら聞けない『鉄道ニッチ用語』(その3) 国鉄特急形の愛称・俗称編」を掲載します。お楽しみに