列車の分割と併結は、直通運転の便利さと鉄道会社の事情から生まれたアイデアだというのは前回の通り。現在は事例が減る傾向だが、かつては全国で列車の分割や併結が行われていた。その中でも特にユニークな列車が、国鉄時代に山陰方面と九州方面を結んだ急行「さんべ」だ。いったん分割し、別の路線を走った列車を再び連結したという。
急行「さんべ」は1961年に関西方面と山陰方面を結ぶ列車として誕生した。列車名の「さんべ」は沿線の名山「三瓶山」に由来する。当初は列車名も漢字の「三瓶」だったという。その後「さんべ」の名は、1968年に山陰方面と九州方面を結ぶ列車に転用された。新しい「さんべ」は、山陰本線経由、美祢線経由、山口線経由の3つのルートを走る準急列車を統合して格上げした列車だった。
急行「さんべ」は、米子駅と熊本駅・小倉駅・博多駅を結ぶ列車が仕立てられ、夜行列車と日中を走る列車があった。山陰方面は鳥取発着へ延長された時期もある。分割した列車を再び併結する列車は、昼間に設定された1往復だった。そんな急行「さんべ」の運行形態は、iPhoneアプリ『時刻表復刻版 1968年10月号』(1,500円)で確認できる。
下り「さんべ3号」は、米子駅を10:00に出発し、山陰本線を走行。益田駅に13:47に到着すると、山口線経由の車両を分割。この編成は小郡(現在の新山口)まで走った。
残りの編成はさらに山陰本線を進み、長門市駅に15:27に到着。ここで美祢線経由を分割した。美祢線経由は長門市駅を15:37発、下関駅に17:19着。一方、山陰本線経由の列車は長門市駅15:35発、下関駅17:13着。ここで再び両列車を連結して、下関駅を17:27に発車し、熊本駅に20:33着という行程であった。上り「さんべ1号」は熊本駅08:50発、下関で分割し、長門市で連結、益田駅で山口線経由を連結して、米子駅19:33着だった。
ミステリー小説の題材に
この「分割、再連結」という運用は1985年まで実施されたという。急行「さんべ」は、運行区間の延長と短縮、運行本数の削減、夜行列車の臨時列車化など、時勢に合わせて運行形態を変化した。そして1997年に日中の定期列車を廃止。1999年に臨時夜行列車も廃止された。なお、同時期には同じく「分割、再連結」する列車として急行「あきよし」もあった。こちらは山陰方面と九州方面を美祢線と山口線経由で結んだ。益田で分割したのち、厚狭で連結、さらに小倉で博多行きと日田彦山線方面を再分割した。
「さんべ」「あきよし」どちらもユニークな列車だったが、「さんべ」のほうがよく知られている。その理由は「あきよし」が先に廃止され、「さんべ」の名前が残ったからだろう。鉄道ミステリー作家の西村京太郎氏が、急行「さんべ」の「分割、再連結」を殺人事件のトリックして採用して知名度を上げた。「さんべ」が登場する小説は『再婚旅行殺人事件』で、短編集『蜜月列車殺人事件』に収録されている。この作品はテレビドラマにもなったので、多くの人々に知られるきっかけになったと思われる。