都会の電車はカラフルで楽しい。これは乗り間違いを防ぐという目的で路線ごとに塗り分けられているからだ。ところで、JRの貨物列車を眺めていると、都会では青い電気機関車が多く、地方では赤い電気機関車が多い。これにもちゃんと意味があって、走行できる区間の電化方式によって塗り分けられているのだ。

青い機関車と赤い機関車、色の秘密は……?

青は直流電化区間用、赤は交流電化区間用

JRの電気機関車は、直流電化区間用は青色、交流電化区間用は赤色に塗られている。最近は例外も増えているが、基本はこの色だ。国鉄時代に制定された色の名前で正確に表すと、直流用電気機関車は「青15号」で、前面の運転台の下に「クリーム1号」が使われている。交流用電気機関車は「赤2号」だ。

この塗装色になる以前は、蒸気機関車と貨車が黒、それ以外の電気機関車、客車、電車は茶色(ぶどう色1号または2号)で塗られていた。「蒸気機関車の煤による汚れが目立たないから」という理由で、電車の場合は同じ色の塗料が流用された。ぶどう色は、2009年に山手線で実施されたチョコレート電車でも話題になった。

EF60形

ED45形

直流電気機関車の青色は、1960年に登場したEF60形500番台に初めて採用された。これは同じ青色でデビューした20系寝台客車に合わせた色で、客車と同様に側面にもクリーム色の帯を入れて、編成全体の統一感を持たせた。その後、1965年に国鉄が直流用電気機関車を青15とクリーム2号に統一した。EF60形の0番台は在来色のぶどう色だったが、この理由ですべて青15とクリーム2号に塗り直された。そのほかの機関車も同様で、直流用電気機関車は青くなった。

交流電気機関車の赤色は、1955年に登場したED45形が最初だ。これは日本初の交流電化区間の試験用に作られた機関車で、在来の機関車と区別するために赤く塗られた。この色が、その後の交流電気機関車に継承。また、交流と直流の両方の区間を走行できる交直両用機関車はピンク色に塗られた。国鉄の色名称では「赤13号」で、ローズピンク、またはサーモンピンクと呼ばれている。この色は1959年に常磐線に投入されたED46形に採用された。

JR化後も伝統は継承、ただし例外も多数

電気機関車の色は上記のように、青、赤、ピンクが基本だ。国鉄がJRに移行してから製造された機関車もこの基本は継承され、直流電気機関車は青系統、交直両用機関車は赤系統に塗られている。

しかし、例外も多数存在する。寝台特急カシオペアや北斗星、トワイライトエクスプレスには専用色の電気機関車が使われている。遡れば、東京発のブルートレイン用機関車の側面の帯も特別塗装の1つ。かつて東海道線で活躍した8軸機関車EH10形は、黒地に黄帯という勇ましい姿だった。山陽本線の瀬野駅 - 八本松駅間の勾配用に充当されるEF67形は直流にもかかわらず赤い。また、地域ごとに塗り分けが異なるタイプも多い。機関車は主に貨物列車に使われるため、見る機会は限られるが、このように機関車も興味深いのだ。