「くの字型道路」のミステリー

下の団地の航空写真を見てほしい。今回の「ミステリー」はこれだ。

心臓のような形をした「西大和団地」。問題は真ん中を走る道路だ。(国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より・CKT20127・コース番号:C20/写真番号:21/撮影年月日:2013/02/26(平25)に加筆)

この「く」の字型に折れ曲がりつつ敷地の真ん中を貫く道路。これが不思議だ。

別に不思議じゃない? それよりも「東京団地ミステリー」と名乗っているのにこの団地が埼玉県和光市にあることのほうが謎? いやいや、この道路には思いもよらない因縁があるのだよ(あと東京都のぎりぎり外に位置する和光市は「東京圏」といってもさしつかえないってことにしてください)。

さてこの道路、この団地の規模ならわざわざ敷地の真ん中に通す必要もなさそうだと思った。団地が計画された当時に、周辺に大きな道路がなかったからここに通したということは考えられるが、それにしたって敷地の終わりで公園にぶつかって途切れててあんまり意味ないし。とにかくなんだかへんなのだ。なんなのだろう。

「敷地の中を斜めにくの字型で走るへんな道」といえば高島平団地を思い出すだろう。思い出さないですかそうですか。

団地界の王様・ご存じ高島平団地の中を貫く奇妙な斜めの道。(国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より・CKT20127・コース番号:C20/写真番号:32/撮影年月日:2013/02/26(平25)に加筆)

この高島平の道の場合は、答えは単純だ。これは川の跡だ。団地建設以後何年かは流れが残っていたようだ。

1975の高島平団地。くだんの道は北のほうを見ると川であることがわかる。(国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より・CKT7415・コース番号:C19A/写真番号:27/撮影年月日:1975/01/12(昭50)に加筆)

高島平のケースは「ぐっとくる曲線道路を見たら川の跡と思え」の格言(なにその格言)の通りだ。地理院の地図を見ると今でもこの道は暗渠として記されている。しかし、西大和団地の道路は河川由来ではない。

1947年の西大和団地付近の様子。問題の道路が川だった様子はない。あと南東の奇妙な家屋群が気になるよね。(国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より・コース番号:R360/写真番号:4/撮影年月日:1947/10/24(昭22)に加筆)

くの字型道路の部分は団地建設前からうっすらと道だ。川の跡らしきものもあるにはあるが、それは敷地の南東の際の曲線のほうで、くだんの道路の箇所ではない。ちなみにその川跡は現在外環道になっている。では「くの字型道路」の由来は何なのか? あと南東の奇妙な家屋群はなんなのか?

現地に行ってみるとあっさりその疑問が解決する。

道路に沿って鉄塔が!

いや「道路に沿って鉄塔が」ではなく、この鉄塔に沿って道路が! だな。

なんと「くの字型道路」を作ったのは送電線だったのだ。よーく見ると各時代の航空写真に鉄塔が写っていた。戦前の地図を見ても送電線を示す線が道路と同じ場所を走っていた。送電線がこの道を作ったのだ。

「鉄塔ラウンドアバウト」・略して「鉄ラ」

送電線によって道が作られちゃう、というのは意外かもしれないがこういう例は結構ある。その極端な例が「鉄ラ」だ。

丘陵地の住宅街に伸びる道が、鉄塔に当たってそのまわりをくるんと回っている。まるでラウンドアバウトのようなので「鉄塔ラウンドアバウト」・略して「鉄ラ」と呼ぶ(国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より・CKT20072・コース番号:C27/写真番号:437/撮影年月日:2007/04/26(平19)に加筆)

実際に現地に行ってみても、みごとにくるんとなっている!

横浜にある鉄塔のまわりの様子だ。一見、閑静な住宅街に鉄塔が闖入しているように見えるが、順番は逆だ。もともと丘陵の斜面に鉄塔しかなかった場所が後から宅地開発されてこのようになったのだ。

鉄塔は動かせない。まるで御神木のように。そして送電線の下には基本的に建築できない(いろいろ条件はありますが)。だからその下は道路にならざるを得ない。そうするとその道は当然のことながら鉄塔に行き当たる。しかたがないからくるんと迂回する。結果的に、パリの凱旋門のまわりの「ラウンドアバウト」と呼ばれる交差点のようになる。これは「鉄塔ラウンドアバウト」略して「鉄ラ」と呼ばれる。呼ばれる、というか、ぼくがそう呼んでいる。

こちらも横浜の例。道路の真ん中に鎮座する「御神木」たる鉄塔を避けるように道路が菱形に膨らんでいる。キュート! (国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より・CKT20072・コース番号:C22/写真番号:32/撮影年月日:2007/04/26(平19)に加筆)

現地で見るとこんな。なんかすごい!

このような「鉄ラ」事例は全国にあって、最近ぼくはそれらを巡るのを楽しみにしている。先日は大阪に見に行った。来週は仙台に見に行く。そんなもの見るために旅をするのか、と驚くかもしれないが、ほうっておいてほしい。

ともあれ、送電線は「強い」のであとから来たものがその存在に影響されてしまうのだ。そして団地はある大きさを持った街として開発されるので、その影響が現れやすい。だからぼくは団地を面白いと思うのだ。

送電線および鉄塔がどれぐらい「強い」かというと、このように高速道路も「負けて」しまうほどだ。他の部分は切り通しのようになっているのに、鉄塔が立っている部分はそれをどけることができず島のように残って、道路がその部分だけトンネルになっている。横須賀の例。(国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より・CKT20072・コース番号:C20/写真番号:53/撮影年月日:2007/04/26(平19)に加筆)

団地<送電線<マンション!

さてさて、さきほどの団地の南東にあった気になる家屋群はなにか。これ、「モモテハイツ」というアメリカ軍駐屯基地の住宅街なのだ。この一帯はもともと日本軍の軍需工場やゴルフ場などであった場所が、戦後アメリカ軍の基地「キャンプ・ドレイク」となった場所だ。前回の「3代にわたる因縁が鳥型モンスターを羽ばたかせる~光が丘団地」といい、このあたりはアメリカ軍と縁がある。

日本への返還は60年代終わりから80年代にかけて徐々に行われたそうだ。歴史に翻弄されたこのエリアの変遷は非常におもしろい。ぜひWikipediaの「キャンプ・ドレイク」の項を読んでみてほしい。そして返還後の姿のひとつがこの西大和団地というわけだ。

1989年の様子。モモテハイツの跡地が印象的(現在は理化学研究所や大学などになっている)。そこと団地の間の元川筋の部分は現在の外環道のための用地になっているのがわかる。(国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より・CKT892・コース番号:C11/写真番号:15/撮影年月日:1989/11/03(平1)に加筆)

なにが言いたいのかというと、これだけまわりの用途が様々に変化しても、戦前からの送電線の位置だけは変わらないのすごい、ってことだ。いわば西大和団地の中を貫く道路だけが戦前の姿を保存していると言える。

と、ここで話を終えてもよかったのだが「団地とマンションの違い」という点からこの「送電線の強さ」に関連してとても面白い事例があったので、最後にそれを紹介しよう。

あるとき地図を見ていてびっくりしたのがこのマンションだ。

新百合ヶ丘駅そばのこのマンション、なんと送電線が敷地の地下を通っているようなのだ! (国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より・CKT20092・コース番号:C82B/写真番号:20/撮影年月日:2009/04/27(平21)に加筆)

マンションができる前の航空写真を見てみると、なんと敷地のど真ん中に鉄塔が立っている。(国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より・CKT7415・コース番号:C36/写真番号:6/撮影年月日:1975/01/04(昭50)に加筆)

つまり、西大和団地が鉄塔に従って敷地内に道路を走らせたのと対照的に、このマンションはマンションのために送電線を埋めたのだ。さぞかし調整と費用がたいへんだっただろう。

よくぼくは「団地とマンションの違いって何ですか?」と聞かれるが、極端に言えば送電線を埋めることができるかどうかの違いだ、と答えることができるのではないかと思った。マンション強いなー!

<著者プロフィール>
大山顕
1972年生まれ。フォトグラファー・ライター。主な著書に『団地の見究』『工場萌え』『ジャンクション』。一般的に「悪い景観」とされるものが好物。デイリーポータルZで隔週金曜日に連載中。へんなイベント主催多数。Twitter: @sohsai

イラスト: 安海