火星探査機「ヴァイキング」の火星着陸、「ソジャーナー」に始まる火星探査ローヴァーの活躍――。数々の華々しい成功に彩られている宇宙開発だが、その栄光の影には、失敗の歴史が連なっている。

多くの人から望まれるもさまざまな事情により実現しなかったもの。あるいはごく少数からしか望まれず、消えるべくして消えたもの…。この連載では、そんな宇宙開発の"影"の歴史を振り返っていく。


3月14日、欧州とロシアが共同で開発した火星探査機「エクソマーズ2016」が打ち上げられ、火星に向かう軌道に乗った。このあと約7カ月の間、宇宙を旅し、今年10月に火星に到着する。

エクソマーズ2016は、2003年に打ち上げられた「マーズ・エクスプレス」以来2機目となる火星探査機で、火星のまわりを回りながら大気について調べる「トレイス・ガス・オービター」と、火星の地表に着陸する「スキアパレッリ」から構成されている。

実は、マーズ・エクスプレスにも、火星への着陸を目指した小型の探査機が搭載されていた。しかし残念ながら失敗に終わり、スキアパレッリはその雪辱を目指している。

今回は、欧州初の火星着陸を目指した小型探査機「ビーグル2」を取り上げる。

ビーグル2の模型 (C) ESA

NASAの探査機から撮影された火星上のビーグル2 (C) HiRISE/NASA/Leicester

ビーグル号、再び

1960年代、人類は火星の探査を開始した。SF小説『宇宙戦争』に代表されるように、火星には何らかの生物がいるのではという考えは根強く、惑星科学の研究者も大いに期待をかけていた。その熱は現代になっても冷めず、火星に生命は存在するのか、あるいは過去に存在していたのかという問題については、未だに答えは出ていない。

火星探査で先陣を切ったのはソヴィエト連邦(ソ連)だった。ソ連は火星の周囲をまわる周回衛星と、地表に着陸する着陸機の両方を次々と打ち上げたが、打ち上げに失敗したり探査機が故障したりと、失敗の連続だった。結局、初めて成功したのは米国で、1971年に「マリナー9」が火星の周回軌道に入り、火星の地表を調査し、大きな成果を残した。

1976年には米国の「ヴァイキング」探査機2機が、ともに火星地表への着陸に成功。火星の地表の様子を、地球人は初めて知るに至った。

そして1997年には米国の「マーズ・パスファインダー」が着陸し、「ソジャーナー」と名付けられた自走式のロボット(ローヴァー)が探査を行った。はるか上空から地表を眺める周回衛星や、着陸した場所の周囲のみしか探査できない着陸機に対して、調べたいところへ自由に移動して調べることができるローヴァーは、人類にとって文字通りの手となり足となり、火星探査活動は大きく進歩することになる。

一方、火星探査に挑戦したのはソ連と米国だけではなかった。1990年代に入り、欧州も計画を立案。後に「マーズ・エクスプレス」と名付けられたその探査機には、英国が主導して開発した、小型の着陸機が搭載されることになった。

その着陸機には「ビーグル2」という名前が与えられた。これは、かつて科学者のチャールズ・ダーウィンが乗船した「HMSビーグル」から取られている。ダーウィンはHMSビーグルでガラパゴス諸島を訪れ、多種多様な生物を観察し、そして進化論への着想を得るに至った。その歴史にあやかり、ビーグル2によって火星の生命の痕跡や手がかりを得るのだという期待が込められていた。

史上初めて火星への着陸に成功したNASAの「ヴァイキング」探査機 (C) NASA

史上初めて火星への着陸に成功したNASAの「ヴァイキング」探査機 (C) NASA

ビーグル2

ビーグル2開発の主役に立ったのは、英国の惑星科学者コリン・ピリンジャー氏(Colin Pillinger)という人物である。ピリンジャー氏は1943年に生まれ、アポロ計画で持ち帰られた月の石の分析に参加したのを皮切りに、さまざまな惑星探査計画に参加。またメディアにも多数出演し、宇宙探査の普及活動に尽力し、独特の髪型や西部地方訛りも相まって、多くの人々から親しまれた。

ビーグル2は、英国にとってはもちろん、欧州にとっても初の惑星探査機であり、そして初となる火星への着陸を目指した探査機だった。欧州はそれまで、ハレー彗星を探査する「ジョット」を打ち上げた以外、惑星探査への関わりは米ソに比べると薄く、他国の探査に共同参加するという形が多かった。とくに英国にいたっては、宇宙開発そのものに対して冷淡な態度をとっていた。

しかし、マーズ・エクスプレスとビーグル2により、欧州はいよいよ本格的な自立した惑星探査に乗り出すこととなり、とくに生命がいる、あるいは過去にいたかもしれない火星探査への挑戦は、ピリンジャー氏にとって念願でもあった。

ビーグル2は直径1cmの円盤状をしており、着陸後に蓋を開き、その内部にある4枚の太陽電池を花びらのように開く。蓋が開いた本体側には土や石を採取するためのロボットアームや、それを分析するための装置が搭載されており、着陸地点の周囲の地面を探査する計画だった。

開発にはピリンジャー氏が所属するオープン大学をはじめ、レスター大学など英国中の大学や研究機関が参加し、わずか4年で組み上げられた。

ビーグル2の模型と惑星科学者コリン・ピリンジャー氏 (C) ESA

ビーグル2の模型。着陸後に円盤の蓋を開き、4枚の太陽電池を花びらのように開く。本体側にはロボットアームや観測機器が装備されている (C) ESA

通信途絶

ビーグル2は2003年6月2日、マーズ・エクスプレスにともに地球を出発。そして約半年の宇宙航行を経て、12月19日にマーズ・エクスプレスから分離され、12月25日のクリスマスに火星への着陸に挑んだ。

ビーグル2は時速2万kmで火星の大気圏に突入し、耐熱シールドがその熱を受け止め続けた。やがて大気との抵抗で速度が落ちると、パラシュートを展開。さらに速度を落としつつ降下し、高度約200mでエアバッグを膨らませた。このエアバッグは地表に接地した際の衝撃を吸収するためのもので、比較的小さな火星着陸機の着陸方法として定番となっているものである。

そして同日11時45分ごろ(日本時間)、ビーグル2は火星の地表に降り立った――はずだった。

しかし、予定の時刻になってもビーグル2からの応答はなかった。ビーグル2からの通信は、火星の周回軌道に投入されたマーズ・エクスプレスや、NASAの「2001マーズ・アダシー」を経由して地球に送られることになっていた。しかし、ビーグル2からの電波を捉えることはできなかった。

その後も、地球にある電波望遠鏡も動員するなどし、通信や信号を捉えようと努力が続けられたものの叶わず、2004年2月には捜索活動が打ち切られ、ミッションは失敗したと発表された。

マーズ・エクスプレスから分離されたビーグル2 (C) ESA

ビーグル2の着陸までを描いた図 (C) UK Space Agency

ビーグル2は着陸していた

果たして、ビーグル2がどうなったのかは長年の謎だった。火星の大気圏突入時の熱に耐え切れず燃え尽きたのか、パラシュートが開かずに地表に激突したのか、あるいは着陸には成功したものの、故障で動かなかったのか――。誰もその現場を見ておらず、通信も取れなかったため、何が起きたのかは誰にもまったくわからなかった。

転機が訪れたのは2015年1月16日のことだった。NASAの火星探査機「マーズ・リコネサンス・オービター」に搭載されている高性能カメラによって、火星の地表にビーグル2と思われる物体が見つかったのである。

発見されたのはイシディス平原と呼ばれる場所で、当初着陸を目指していた地点から4.8kmほど離れていた。画像にはビーグル2らしき形をした物体の他、パラシュートや探査機のリア・カバーと思われる物体も写っていた。

その後、ビーグル2を運用していたチームやNASAの分析によって、この写真に写っているものがビーグル2と同じ大きさや形、色などを持っていること、つまり本当にビーグル2であることが立証された。

その分析の中で、4枚の展開式の太陽電池のうち、2~3枚しか開いていないこともわかった。実はビーグル2の通信アンテナはその太陽電池の下に位置しており、太陽電池がすべて展開されることで初めて外部にアンテナが露出するつくりになっていた。つまり太陽電池が1枚でも開いていないと、塞がれたままになってしまい通信ができない。

こうしたことから、ビーグル2は火星の大気圏への突入には成功し、着陸も果たしたものの、何らかのトラブルによって太陽電池をすべて展開できずにアンテナが塞がれたままとなり、その結果通信を送ることも、また受け取ることもできなかったと推測されている。太陽電池が完全に開かなかった原因としては、展開機構の故障、また着陸時の衝撃を受け止めたエアバッグが萎まず、展開を妨げた可能性などが考えられるとしている。

ビーグル2計画の主要メンバーだったマーク・シムズ(Mark Sims)氏は、この発見がもたらされた当時、次のように語っている。

「私はもちろん、ビーグル2にかかわった全員が、2003年のクリスマスに大きな失望に味わいました。あれ以来、毎年クリスマスがやってくる度、『一体、ビーグル2に何が起こったのだろうか』と考えていました。正直なところ、その答えを知ることはないだろうと諦めていました。しかし今回の発見で、私たちがあと少しで成功するところにいたことがわかりました。わずか4年ほどで探査機を造り、着陸まで果たせたことを、私はとても大きな偉業であったと感じています」。

NASAの探査機「マーズ・リコネサンス・オービター」から撮影された火星上のビーグル2 (C) HiRISE/NASA/Leicester

NASAの探査機「マーズ・リコネサンス・オービター」から撮影された火星上のビーグル2 (C) HiRISE/NASA/Leicester

"火星のダーウィン"は次の世代へ

残念なことに、この知らせを最も聞きたかったであろうピリンジャー氏は、その前年の2014年5月7日に亡くなっていた。

しかし、ピリンジャー氏の、そしてビーグル2の撒いた種は、確実に育ちつつある。マーズ・エクスプレスとビーグル2が打ち上げられた2003年には、月探査機「スマート1」が打ち上げられ、2004年には彗星探査機「ロゼッタ」と、彗星に着陸する「フィーレイ」、さらに2005年には金星探査機「ヴィーナス・エクスプレス」が打ち上げられ、大きな成果を残している。

そして今年3月14日には、新しい火星探査機「エクソマーズ2016」が打ち上げられた。エクソマーズ2016は、火星の周囲をまわりながら火星の大気について調べる「トレイス・ガス・オービター」(TGO)と、火星地表への着陸技術を実証する「スキアパレッリ」から構成されている。2018年には、欧州・ロシアの双方にとって初となる火星探査ローヴァーの打ち上げも計画されている。

エクソマーズ計画の大きな目標のひとつは、火星における生命の存在について、今も存在する、あるいはかつて存在していた、といった何かしらの確実な証拠を捉えることにある。同計画にはビーグル2にかかわっていた科学者の多くが参加している。

ピリンジャー氏とビーグル2が果たせなかった、"火星のダーウィン"を目指す旅は、こうして次の計画、そして世代へと受け継がれ、今なお続いているのである。

(関連記事:欧露の火星探査機「エクソマーズ2016」打ち上げ成功 - 火星の生命探る旅へ)

ビーグル2の模型 (C) UK Space Agency

エクソマーズ2016の想像図。右下に描かれているのが着陸機「スキアパレッリ」 (C) ESA/ATG medialab

【参考】

・NASA - NSSDCA - Spacecraft - Details
 http://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraftDisplay.do?id=2003-022C
・UK-led Beagle 2 lander found on Mars - News stories - GOV.UK
 https://www.gov.uk/government/news/uk-led-beagle-2-lander-found-on-mars
・Beagle 2 - In Depth | Missions - NASA Solar System Exploration
 http://solarsystem.nasa.gov/missions/beagle02/indepth
・Beagle-2 lander found on Mars / Mars Express / Space Science / Our Activities / ESA
 http://www.esa.int/Our_Activities/Space_Science/Mars_Express/Beagle-2_lander_found_on_Mars
・Tributes paid by The Open University to "inspirational" planetary scientist Professor Colin Pillinger
 http://www3.open.ac.uk/media/fullstory.aspx?id=27359