球団の売却やチーム名の問題など、最近なにかと話題の横浜ベイスターズ。その本拠地といえば、横浜大洋ホエールズ時代より使用する横浜スタジアムです。現在のスタジアムが使用開始したのは1978(昭和53)年で、これに合わせて大洋ホエールズも本拠地を移し、横浜大洋ホエールズとなりました。
そんな横浜スタジアムのすぐ横を走るのが根岸線。いまから32年前の1979年まで、京浜東北・根岸線の103系に混じり、「ハマ線」こと横浜線で使用される茶色の旧型国電も走っていました。当時の写真をご紹介しましょう。
横浜線では、日中、根岸線磯子駅まで直通運転する列車が12往復設定されていました。うち4往復が茶色の旧型国電73形で運転されており、中にはたった4両で根岸線を走る電車もありました。根岸線内の駅では、10連用の長いホームに4連の横浜線八王子行が停車するたび、みんな唖然としつつも、ドアを目指していっせいに移動を始めたものでした。
根岸線では横浜の都会的な風景に溶け込んでいた73形。横浜線内では田畑や丘陵地帯など、どこか懐かしい風景の中を走っていました。
これらの写真を撮った1978~1979年頃、横浜線は小机~八王子間で複線化の工事が始まっていました。完成した区間から段階的に複線化され、1988年の相原~八王子間の複線化により、全線の複線化が完了しました。
あらためて過去の写真を見返すと、複線化工事真っ只中の写真や、複線化のための路盤ができ上がっている区間を走る写真がある一方、俗に「ハエたたき」と呼ばれた単線ならではの古い架線柱もあり、当時の横浜線がローカル線の雰囲気を色濃く残していたとあらためて実感しました。
そんな横浜線も、いまは6ドア車を連結した205系8両編成が運転され、快速も走っていて、首都圏の通勤路線として重要な役割を担っています。
今回紹介した「鉄道懐古写真」
撮影時期 | 写真の説明 | |
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写真1 | 1979年9月10日 | 横浜スタジアムの横を通過する横浜線直通の73形7連。 内野席が見える |
写真2 | 1978年5月 | 根岸線石川町駅。10連用の長いホームに滑りこんだ 4連の八王子行き |
写真3 | 1978年5月 | 磯子駅引き上げ線で待機中の73形。先頭はクモハ73 187。その後、横浜線直通八王子行となって折り返す |
写真4 | 1979年9月10日 | 根岸線関内~石川町間。横浜スタジアムの真横を通過中 |
写真5 | 1979年3月28日 | 大口~菊名間の寺尾トンネルを抜ける磯子行4連 |
写真6 | 1979年3月28日 | のんびりと丘陵地帯を行く横浜線の73形4連。 横浜線、大口~菊名間 |
写真7 | 1979年4月9日 | 畑越しに7連が行く。このあたりは現在も田畑が残る。 先頭はクモハ73の600番台奇数車 |
写真8 | 1978年5月 | 複線化工事真っ只中の長津田駅に接近する上り列車。 右端にちらりと東急8500系が見える |
写真9 | 1979年9月2日 | 単線時代の象徴でもある通信用の電柱、通称「ハエたたき」 が残る相原~片倉間を行く東神奈川行 |
写真10 | 1979年9月2日 | ここは東京都八王子市。単線の線路に沿って複線化用の 路盤が完成している。1997年4月、この近くに 「八王子みなみ野駅」が開業した |
※写真は当時の許可を取って撮影されたものです
松尾かずと
1962年東京都生まれ。
1985年大学卒業後、映像関連の仕事に就き現在に至る。東急目蒲線(現在の目黒線)沿線で生まれ育つ。当時走っていた緑色の旧型電車に興味を持ったのが、鉄道趣味の始まり。その後、旧型つながりで、旧型国電や旧型電機を追う"撮り鉄"に。とくに73形が大好きで、南武線や鶴見線の撮影に足しげく通った