よくある問題:タスクを整理して何になるのか?

「タスクを整理したところで、タスクが片付くわけではない。紙に書き出してみても、仕事は1ミリも前に進まない。そういう無駄なことは、やめるべきではないか」という趣旨のご意見を、たびたびいただきます。私の仕事がビジネス、ライフハックに関わる人間だからでしょう。もちろん、面と向かっておっしゃる方は、ここまでストレートではありませんが、趣旨はこういった感じです。

『ストレスフリーの整理術』(デビッド・アレン著、田口元監修、二見書房、2008年刊)や『情報ダイエット仕事術』(堀E正岳著、大和書房、2008年刊)などは、「情報」「整理」と銘打っているものの、ここで言われる「情報」は主に、仕事の情報のこと。そして、方法論の中核には「整理」があるのです。

このことは、上記2冊に限った話ではなく、おおむね例外なしに、効率的なタスク処理には、まずタスク整理という発想があります。おそらく、その基本的発想に納得できない方が、上述のような「タスク整理はムダではないか」というご意見を述べられるのだと思います。

確かに、タスクをどんなに完璧に整理したところで、それで仕事が少しでも処理できるかと言えば、そうはいきません。もちろん、会社の上司などから、タスクを管理し、その進捗状況を逐一、わかりやすく報告せよと指示されている場合は別でしょう。その場合には、タスクの整理そのものがタスクの一部になるわけですから、整理すればその分、仕事が進んだと考えることもできます。

タスクをどれほどきちんと整理したとしても・・・

しかし私のように、事実上フリーで仕事をしているものにとっては、べつに報告すべき上司がいるわけでもなく、タスクをきちんと整理すること自体は、タスクの進捗に貢献しません。もしこれをやらずに、全く同じ成果を残すことができるなら、確かにタスク整理はムダです。

ですが、実際にはすべてのタスクを記録に残し、それを整理するのをやめることはできません。それをやめることは私にとって、きわめて危険なことで、代わりに自由になる時間量では、全く見合わないのです。

よく強調されているとおり、そもそもタスクを記録し、整理するのは、タスクをもれなく処理するためです。タスクの種類が増えてくれば、すべてを記憶してはおけないし、たとえ記憶しておけたとしても、すべてもれなく処理できたかどうか、不安になります。この問題を解決するため、すなわち記憶の補完が、タスク管理ツールを使う第一の理由です。

そして、もうひとつ重要な目的があるのです。

ライフハックス:タスク管理ツールは、意志決定の補完ツール

私にとって、タスク管理ツールを使うことの意味は、私のような意志薄弱な人間でも、これによって意志決定することができるように助けてくれるからです。タスク管理ツールは、タスク処理に必要な意志決定補助ツールなのです。

取りかかりにくいタスクを前にすると、きれいな女性を前にして何も言えなくなる高校生のような気持ちにさせられます。そこに近づきたい気持ちと、近づいて痛い目に遭う苦痛な予測とが、複雑な感情を作り出してしまって、行動を起こせなくなるのです。このタイミングで、好きなプロ野球中継でも始まれば、一も二もなく逃避してしまいます。

タスクに近づきたいが遠くへ押しやってもいたいという「葛藤」がある

こういう複雑な感情で身動きがとれなくならないように、何としてもややこしいタスクについては、そのありとあらゆる関連情報を、目に見える形に直しておく必要があります。

分割できないか。できるとしたら、すぐに終わらせられる部分はどこか。取りかかりにくい要素は何か。少しでも人に任せることのできる部分はないか。最終的な締め切り日時はいつか。それまで先送りして差し支えない部分はどこか。そのタスクに取りかかったとき、他のどんなタスクや自由時間が犠牲になりそうか。どのくらい犠牲になりそうか。助けてくれる人はいないか。いるとすればどういう連絡手段が適当か。その連絡にかけられる時間はどのくらいか。

こういった、タスクに関わる細々とした情報の一つ一つがはっきりすれば、タスクに取りかかるという決定は、非常にやりやすくなるものです。そもそも取りかかりにくいタスクというのは、取りかかったが最後、自分、周囲、時間などがどうなるか、さっぱり読めないものです。しかし、そこを「読みたい」という気持ちは強くあります。せめて、取りかかったら少なくとも、何時まではタスクに忙殺されるかだけでもわかれば、今取りかかるか、それとも他の日時に回すかくらいは決められます。

こういうことは、その場で紙に書いてもできないことはありませんが、タスク管理ツールを使った方が簡単ですし、効率的です。ここのところが半自動的に済ませられるようになると、タスクに取りかかることができないという大まかな悩みから脱出でき、少し違った地平が開けてきます。