「結婚したい」という願望を口にすると、すでに結婚している人から「どうして結婚したいの?」と質問されることがあります。「なぜ結婚したいのか、その目的が定まっていないと、結婚はうまくいかない」と言われることもあります。
なぜ結婚したいか。そう訊かれれば「この人、と思える相手と添い遂げたい」というのが、私にとっての「結婚したい理由」ですが、それだけが理由だとしたら、特に焦る必要はないわけです。
まぁ、「もし一生、そんな相手とめぐり会えなかったらどうしよう」「そんなことよりとりあえず今がさびしくてしょうがない」などのやりきれない思いはありますが、「心から愛せる相手とめぐり会いたい」という気持ちのほかに、いろいろと不純な気持ちもあるのではないかと、最近思えてきました。
「独身」が普通でなくなる年頃
30代後半になって、ひしひしと感じることがあります。それは「周りに独身が減った」ということです。仕事の集まりや、飲み会などに参加すると、独身は自分だけということもざらにあります。
私は、フリーライターという少しめずらしい職業を選んだくらいですから、「みんなと一緒でなければいけない」とは、思わないほうです。むしろ、子供の頃から「みんなと一緒はイヤ」と思うほうでした。
しかし、今、「独身は自分だけ」という状況については、正直ちょっと「つらい」と感じる気持ちがあります。例えば、男女関係の話題になったとき、こちらはマックスでも同棲までしか経験がないのに、他のみなさんは同じ相手と何年も同居し、数々の大きなケンカや価値観の違いを乗り越えてきているわけです。それを聞いていると、自分の恋愛の悩みや、異性に対する意見など、まるで天動説を唱えている科学者ばりに遅れているように感じます。
そして、さらにギャップを感じるのが、親子関係の話題です。子供のいない私にとって、親子関係というのは、「両親と、娘である自分」です。社会的には大人ですが、親子関係では「子供」の立場しか知りません。周囲の友人や知人が、親の立場で親子関係を語っているのを聞くと、まだまだ子供の立場で甘やかされてばかりの自分が恥ずかしくなってきます。
独身だからといって、もちろん毎日何もしないで生きていられるわけではないし、独身だからこその苦労やつらさもあります。でも、結婚している人たちの話を聞いていると、自分には、「深い人間関係という人生経験」が、圧倒的に足りていないのでは、と思えてくるのです。「普通」にならなくてはいけないとは思いませんが、何かとても大事なことを経験しそびれているような、そんな焦りを感じます。
独身は"自然"じゃない?
単純に、既婚者でないとわからない話題から取り残されるのも寂しいものがありますが、「自分だけが独身」という状況を、なかなか自然なものとして受け止めてもらえない、ということもあります。
「たまたま、いい相手にめぐり会えなかったから独身」と、自分では思っていても、だんだん周りの人たちが「なんで独身なの?」とツッコむことをためらう年齢に、私自身がなってきたのです。
ツッコんでもらえたほうが「いやー、なかなかそういう相手にめぐり会えなくて」「機会はあったんですけど、自分がだめにしちゃったんですよねぇ」などと説明ができていいのですが、ツッコんでもらえないと、なんとなく場に「ずっと独身って、何か事情が……?」「いや、このトシで独身って、ツッコまれるのもつらいだろうな」と、触れてはならないムードが漂い始めるのもキツいところです。
結婚していて当たり前。そんな年齢になって初めて、「普通でないこと」って、わりとしんどいんだな……と実感しています。
<著者プロフィール>
雨宮まみ
ライター。いわゆる男性向けエロ本の編集を経て、フリーのライターに。その「ちょっと普通じゃない曲がりくねった女道」を書いた自伝エッセイ『女子をこじらせて』(ポット出版)を昨年上梓。恋愛や女であることと素直に向き合えない「女子の自意識」をテーマに『音楽と人』『POPEYE』などで連載中。
イラスト: 野出木彩