目に見えないソフトウェア作りに"匠の技術"は必要か?

1964年、オリンピックの年に東海道新幹線が開業した。それから40年以上、毎日たくさんの人の安全な移動を助ける動脈として、日本を支える基盤として確立してきた輸送機関である。

いろいろな新幹線は見ているだけで楽しい

この新幹線の先頭車両は、空力特性を高めるためになめらかな曲面で作られている。最新の新幹線ではコンピュータ制御の装置で切削作成されるようになってきたが、以前は"匠"の世界で作られていた。つまり、鋼板を溶接し、歪みをハンマーでたたき出してあの美しい形を作るのだ。たたき出すと言ってもまんじりとたたいても仕方がない。人間の五感を駆使して、わずかなくぼみを発見し、そこをバーナーで加熱する。そしてそこをハンマーでたたく。それも微妙な強さで調整をかけながら。こうして、あの新幹線のなめらかな曲面が完成されていったのである。

こういった目で見える造形については、門外漢の人でもそこが出っ張っているとか、くぼんでいるというのはある程度簡単にわかってしまう。愛車にワックスをかけている途中で、ほんのわずかな傷やくぼみについてもすぐにわかるし、気になってしまうことと同じである。しかし、気がつくのは容易であっても、これを補正したり修理したりするのは容易ではない。それこそ匠の技術が必要になる。

いっぽう、情報システムは普通のモノ作りと違って、形が見えないソフトウェアを作成し、動作させることである。「情報システムが"半分くらい"できました」と報告を受けても、どこが半分なのか普通にはわからない。また、完成しましたと言われたところで、どのように美しく、完全にできているかも判断がつきにくい。見えない新幹線を作っているようなものである。さらにソフトウェアの不具合が見つかり、いろいろやって不具合を修理しましたと言われたところで、どうなったかもわかりにくい。

こうした情報システムを作り上げるのが、システム人材、つまりシステムエンジニアである。システムエンジニアに必要なのは「まず体力だ」と言う人がいたが、これは大きな間違いである。誤解を避けるために補足するが、健康はすべてに優先する基本であり、システムエンジニアだけに当てはまるモノではない。

いつまでも"職人気取り"では困ります!

それでは、情報システムに携わる人材に必要なのは何かというと、まず「論理思考」である。論理的ということは、「前提になるものとそれから導き出される結論との間に筋道が立っている」ということだ。情報システムは、基本構想から論理的に展開したひとつひとつのソフトウェアが正しく作られて、トータルとして正しい動きをする精密機械のようなものである。したがって理路整然としていない発想で作ると動かない、もしくは不正な処理となってしまう。すべてが論理的な世界である。

システム化の最初の構想だけは、論理的に出てくるものではなく、感覚的なものだという人もいるかもしれない。しかし、情報システムの世界では、感覚的に作成されるものをできる限り排除しなければならない。たとえば、ものすごく実践肌の優秀な人が、システムの企画段階で、こういうアイディアがある、こんな構想はどうだろうか? と思いつくことがある。内容的にはすごくとも、情報システムとしては困る。なぜなら、そういうものは、どう発想したかもわからないし、誰にも真似できない。つまり論理的でなければ、ノウハウが継承されないのだ。最初は匠の技でもかまわないが、いつまでも匠の技では困る。

論理的な考えができればそれで良いかというと、それだけでは済まない。考え方だけではなく論理的な手順の組み立てに落とし込まなければならない。情報システムは1人で作って、1人で運用するものではない。数多くの人の共同作業の結晶が情報システムである。全員が思いつきで行動しても成果は得られない。さらに大切なのは、先述の通り、論理的でないと同じことの繰り返しができないことである。

こうして見ていくと、論理思考は情報システムのみならず、あらゆる仕事で必要になる。どんなことをやろうとしても、論理的な手順がない限り、場当たり的に推進することになる。仕事を完璧に仕上げるためには、着手以前に論理的に正しい段取りを作成しなければ進められないはずだ。

情報システムの開発に関して言うと、業界全体で論理的に正しい段取りが明示されているきわめて珍しい業種である。1970年代からソフトウェアエンジニアリングが普及し、工程の呼び方に小異があるが、計画、要件定義、基本設計、詳細設計、テストなど、ほぼ同じ言葉が通用する。またシステムを開発するという行為自体、仕事を論理的にブレークダウンすることが極めてあたりまえである。これらのことから、情報システムに携わる人で論理思考ができない人は皆無と思う。

ところがこの世界だけにどっぷりつかっていると、逆に、どんな仕事にも論理的な手順が必須であることを忘れる場合も多い。こういう人を識別するためには、サーバを統合してコストを下げる、ITを使ったビジネスを立ち上げるなど、少し変化球のテーマを投げてみる。そうすると、自分で論理的な段取りを組む習慣が退化した人だったら、たちまちのうちに立ち往生してしまうだろう。

しかし情報システムの人は、論理思考の基礎は十分にある。すべての仕事において、論理思考のできるシステム人材を核として進めることは有効だ。経営を、新幹線のように複雑なシステムで、安全に高速に走り続けさせるためには、論理思考のできるシステム人材が必須なのである。しかもこの論理思考はすべての社員にも必要とされるものだ。

"匠の技"が結集したように見える新幹線も、動かすためには論理的な制御システムが欠かせない。美しいモノを美しく動かすには、システムも美しく = 論理的でなければならないのだ

(イラスト ひのみえ)