生物の適応力には驚かされる。生命には水が不可欠なはずなのに、体内の水分がほとんど失われても生き続ける不思議な虫がいる。アフリカ中央部の半乾燥地帯の花崗岩盤地域に生息するネムリユスリカがそれである。そのゲノム塩基配列を解読して、干からびても死なない性質に関連する遺伝子の多重化領域と乾燥時特有の遺伝子発現調節の仕組みを日ロ米の国際研究チームが見つけた。人工多能性幹細胞(iPS細胞)や受精卵、血液などの常温乾燥保存法の開発にもつながる成果として注目される。
農業生物資源研究所(茨城県つくば市)とカザン大学(ロシア)、沖縄科学技術大学院大学、基礎生物学研究所(愛知県岡崎市)、金沢大学、モスクワ大学(ロシア)、ロシア物理化学医学研究所、ヴァンダービルト大学(米国)の共同研究で、9月12日付の英科学誌ネイチャーコミュニケーションズのオンライン版で発表した。
ネムリユスリカ(幼虫の体長約1センチ)は、最低半年続く乾季にも生き続ける。卵がふ化して幼虫になったころ、卵が産み落とされた水たまりはすっかり干上がってしまう。しかし、乾ききった幼虫は半永久的に代謝をしない乾燥休眠に入る。過酷な高温(90℃)や低温(-270℃)、強い放射線にさらしても平気だ。宇宙空間に2 年以上放置した後も蘇生した。乾燥した状態から吸水すると、1時間で覚醒して再び成長し、サナギを経て成虫に育つ。80万種を超える多様な昆虫で、ネムリユスリカの幼虫だけがこの極限乾燥耐性を持つ。
研究チームは、ネムリユスリカのゲノム(全遺伝情報)の約9600万塩基対の配列を解読し、約1万7000個の遺伝子を突き止めた。乾燥するとすぐに死んでしまう近縁種のヤモンユスリカのゲノムも解読して比べ、ネムリユスリカにしかない遺伝子が多重化した領域を見いだした。この領域をARIdと名付けた。ARIdに存在する遺伝子群の一つとして、ストレスタンパク質の一種のLEAが存在していた。LEAタンパク質は、細胞膜やタンパク質を乾燥から保護する機能があり、乾燥に伴って発現が上昇していた。
乾燥耐性に欠かせないLEA遺伝子を持つ昆虫はネムリユスリカだけで、もとは細菌の遺伝子である。約2500年前に始まる進化の過程で、偶然に侵入した細菌の遺伝子がユスリカのゲノムに組み込まれて多重化したことで乾燥に強い特性を獲得した結果、特異な性質をもったネムリユスリカという種が確立したとみられている。
研究チーム代表の黄川田隆洋(きかわだ たかひろ)農業生物資源研究所主任研究員は「この研究で、ネムリユスリカが生体成分を乾燥から保護する遺伝子群や、損傷を受けたタンパク質を修復する遺伝子群が見つかった。このような乾燥に耐える機能をもった遺伝子が多重化したのと同時に、乾燥特異的な遺伝子発現誘導機構を獲得した結果、個体が干からびても死なない仕組みができあがったと考えている。この極限乾燥耐性遺伝子群を細胞の常温乾燥保存に活用する可能性を探る研究にも着手している。実現すれば、現在広く使われている面倒な細胞凍結保存法を革新する画期的な新技術になるだろう」と話している。
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