海洋研究開発機構(JAMSTEC)は5月16日、東京農工大学、東京工業大学との共同研究により、初期生命が誕生した環境として有力視される「深海熱水環境」に生息する化学合成古細菌であるメタン生成古細菌(メタン菌)の内で超好熱性の「Methanocaldococcus sp. kairei1-85N(kairei1-85N)」と、好熱性「Methanothermococcus sp. kairei5-55N(kairei5-55N)」を用いて、「窒素固定代謝」の発現条件などを実験により決定することに成功し、その知見を基にこれまでの地質記録を解析したところ、35億年前の深海熱水環境には窒素固定を行う超好熱性のメタン菌に支えられた微生物生態系がすでに存在した可能性が高いことが明らかになったと発表した。
成果は、JAMSTEC 海洋地球生命史研究分野の西澤学研究員らの研究チームによるもの。研究の詳細な内容は、日本時間5月16日付けで国際地球化学会発行の科学誌「Geochimica Cosmochimica Acta」オンライン版に掲載された。
窒素は、生物にとってタンパク質やDNAの材料になる重要な元素だが、窒素分子が極めて安定な化合物であるため、多くの生物は、大気の主成分である窒素分子から直接タンパク質やDNAを合成することはできない。このため、生物が窒素を体内に取り込むには、窒素分子をアンモニアに変換する「窒素固定」反応により、窒素化合物を生成する必要がある。
窒素固定とは窒素分子をアンモニアに変換するプロセスのことで、自然界においては一部のシアノバクテリア(最初の酸素発生型光合成生物といわれる光合成細菌)やメタン菌(画像1・2)などの限られた微生物が酵素「ニトロゲナーゼ」を使って行っている。ほとんどの生物はアンモニアなどの化合物の状態になってからでないと窒素を体内に取り込むことは不可能だ。
そして窒素固定代謝は、生命の維持に不可欠なタンパク質などの窒素化合物を生み出す役割のことをいう。海洋における「生物生産量」(一定時間に一定空間内で生物により形成される有機物の総量)を決定する重要な要因と考えられている。海洋における生物生産量は、「結合態窒素」の存在量に制限されており、この70%は微生物の窒素固定代謝によって供給されているという計算を踏まえると、一部の微生物が行う窒素固定代謝により、地球上の生命が支えられてきたと考えることもできるという。なお結合態窒素とは、タンパク質やDNAを合成する原材料として多くの生物が利用できる窒素化合物の総称だ。その中には硝酸塩、アンモニウム塩、有機窒素化合物が含まれる。
地球上に生命が誕生した後、その生態系の維持と進化にはアミノ酸やDNAの材料となる窒素化合物が継続的に供給される必要があったはずだ。そのため、その供給を担う窒素固定代謝は、地球初期の光合成生態系の拡大と密接に関わっており、生命の初期進化に大きな役割を果たしてきたと考えられているが、いつどこで窒素固定が始まったのかについては、これまでのところわかっていない。
一方で、これまでの研究から、地球で最初に窒素固定を行った生物は、深海熱水環境で生息していた生命の共通祖先もしくはメタン菌であることが進化系統学の観点から提案されているが、地球初期の深海熱水環境でメタン菌が本当に窒素固定できるのかは実験的に調べられていなかった。また、35億年前の深海熱水活動でできた熱水沈殿物(石英脈)の中から地球最古のメタン菌に由来する有機物がこれまでに発見されていたが、このメタン菌が窒素固定していたのかどうかもわかっていなかったのである(画像3~5)。
「窒素固定代謝は地球初期の深海熱水環境で始まった」という仮説を検証するため、研究チームは窒素固定能を持つメタン菌の内、超好熱性のkairei1-85Nと好熱性のkairei5-55Nの2株を使った培養実験を実施した。なお超好熱性とは70°C以上、好熱性は40°C以上70°C以下の環境で増殖できる生物学的特徴を持つことをいう。
これらのメタン菌は、2006年2月に行われた、JAMSTECの有人潜水調査船「しんかい6500」およびに支援母船「よこすか」によるの研究航海「YK05-16Leg2」において、地球初期の熱水生態系の特徴を色濃く残す中央インド洋海嶺かいれいフィールドのKaliベントサイトからが採取されたされた(画像6~8)。リボソームRNA遺伝子の系統解析から、世界各地の深海熱水環境で検出される代表的なメタン菌の系統に属することが確認されている。
培養実験では、35億年前の熱水環境下で窒素固定ができるのかを確認するため、当時の熱水域で想定されるさまざまな条件で実験が行われ、それぞれの微生物が窒素固定するための熱水化学組成、増殖収率、窒素固定に関する速度ならびに「同位体分別値」が決定された。
なお同位体分別値とは、窒素固定において窒素分子からアンモニアが合成される時、生成物(窒素分子)と反応物(アンモニア)の「窒素同位体存在比」が変化する度合いをいう。また窒素同位体存在比とは、窒素原子の安定同位体には自然界で99%以上を占める多数派である質量数14の14Nと、1%に満たない少数派である質量数15の15Nの2種類があり、その比率の「15N/14N」のことである。
実験の結果、1細胞あたりの窒素固定速度は2株とも(窒素固定できる条件では)熱水化学組成によらず一定で、窒素固定能を持つ海洋光合成細菌の代表種「Crocosphaera watsonii strain WH8501」(シアノバクテリア)に比べて約10倍も高いことが判明した。
また、超好熱性メタン菌については、窒素固定の際に必要となり得る鉄やモリブデンについて幅広い濃度条件で窒素固定できることも併せて確認されている。大気酸素に乏しい初期地球の海水はモリブデンに乏しく鉄に富んでいたと考えられていることから、今回の実験結果により超好熱性メタン菌が初期の熱水環境でも活発に窒素固定していたことが示唆された形だ。
さらに、35億年前の地質記録の解読するために窒素固定の同位体分別値が測定されたところ、その値は2株とも温度や熱水の化学組成によらず一定値が示された(画像9)。この結果は、初期の熱水環境でメタン菌が窒素固定をした場合、その分別値は今回得た実験値と同じであることを示唆しているという。
そこで実験値を使って、35億年前の深海熱水性の石英脈に保存された窒素分子と(最古のメタン菌由来と考えられている)有機物の窒素同位体組成の関係が調べられたところ、当時の深海熱水環境に生息したメタン菌が窒素固定して増殖していた可能性が高いことが判明した(画像10)。以上から、自然界での窒素固定は35億年前にはすでに起きていた可能性が高いことが明らかになったのである。
今回の研究で窒素固定の基本的な代謝システムは35億年前の深海熱水環境においてすでに完成していた可能性が高いことが判明した。このシステムが、化学合成微生物のみならず光合成細菌にも備わることで、海洋表層部でも生物によって窒素化合物が供給されるようになったと考えられているが、光合成細菌が窒素固定能力を獲得したプロセスはまだ明らかにはなっていない。
これまでの研究で、窒素固定遺伝子は生命の共通祖先もしくはメタン菌から直接もしくは間接的に光合成細菌へ伝播したと推定されているが、深海熱水域と海洋表層部という物理的に隔離された2つの環境に生息する生物間で遺伝子伝播が行われる可能性は極めて低いと予想されるという。
その一方で、光合成生態系が誕生したのが34億年以降と推定されているため、その時にはすでに窒素固定システムが完成していた可能性が高いことが今回新たにわかったというわけだ。このことは、窒素固定遺伝子の大規模な伝播は地球初期の深海熱水環境で起き、生命の共通祖先もしくはメタン菌から(当時の深海熱水環境に生息していた)光合成細菌の祖先に伝播したことを示唆しているとする。
さらにこの場合には、シアノバクテリアを基底とする光合成生態系は、地球の大気に酸素を供給すると共に、誕生当初から窒素固定の代謝能力を持ち、窒素化合物を供給することにより、海洋における生態系の形や規模を決定するなど、地球上の生命進化に大きな役割を果たしていたという、生物の進化プロセスに関する新たな仮説が浮かび上がってくるという。
この仮説を検証するため、今後は初期の海洋表層を模擬した環境で始源的な光合成細菌が窒素固定するための物理化学条件や窒素固定速度・同位体分別値を明らかにすると共に当時の浅海堆積岩の分析を行い、浅海環境で窒素固定が開始された年代を決定することが重要だとする。海洋地球生命史研究分野ではこれらの研究を通して、生命が海洋に満ち溢れていった経緯や環境要因の特定にさらに迫っていく予定とした。