国立天文台は9月12日、地球から最近傍にある銀河の1つとして有名な「ソンブレロ銀河」の中心に潜む超巨大ブラックホールの周辺構造を、「位相補償VLBI手法」を駆使することで、すばる望遠鏡やハッブル宇宙望遠鏡の100倍以上細かい解像度で検出・撮影することに成功したと発表した。
成果は、国立天文台 水沢VLBI観測所/イタリア国立宇宙物理学研究機構/日本学術振興会特別研究員の秦和弘 研究員、宇宙航空研究開発機構 宇宙科学研究所・助教/総合研究大学院大学の土居明広氏、国立天文台チリ観測所の永井洋特任助教、台湾中央研究院の井上允特聘研究員、国立天文台 水沢VLBI観測所・准教授/総合研究大学院大の本間希樹、イタリア国立宇宙物理学研究機構のMarcello Giroletti氏、同・Gabriele Giovannini氏らの国際共同研究チームによるもの。今回の研究成果は2013年9月10日~12日に東北大学で開催された日本天文学会秋季年会にて発表された。
これまでの研究から、多くの銀河の中心部には太陽質量のおおよそ100万~100億倍という巨大な質量を抱えたブラックホールが存在することがわかってきている。ブラックホールは光さえも脱出できないという非常に強い重力のために直接その存在を撮影することは不可能であり、現在は間接的な証拠からその存在が「ほぼ」存在するとされており、宇宙で最も謎めいた天体である。よって、その周辺構造を直接観測してブラックホールの活動メカニズムを解明することは現代天文学における究極的課題の1つだ(画像1)。
画像1。銀河の中心には、巨大ブラックホールが存在していると想像されている。(c) Slone Digital Sky Survey (c) NASA (c) Gemini observatory/AURA illustration |
一部の巨大ブラックホールは極めて活動が激しく、物質を吸い込むと同時に強力な噴射である「ジェット」も観測されている。この現象はブラックホール近傍から噴出されたガスが光速の99%以上という猛烈な速度で、数1000~数万光年にもわたって宇宙空間を突き進む宇宙最大級の高エネルギー現象だ(画像2)。
画像2(左):「肉食系」巨大ブラックホールの代表例。おとめ座方向にある電波銀河M87(おとめ座A)。(c) NASA and the Hubble Heritage Team。画像3:ジェットを大量に吐き出すM87の想像図。研究チームの2011年英科学誌「Nature」記者発表資料より |
この種のブラックホールはいわば「自己主張」がはっきりしているので、ブラックホール自体は輝かずとも、こういった周囲の活動現象を手がかりにブラックホール自体の性質を探ることが可能だ。研究チームではこのようなパワフルなジェットを噴出する巨大ブラックホールを「自らを積極的に周囲(観測者)にアピールする」という意味で「肉食系」巨大ブラックホールと呼んでいる。
しかしこのような肉食系はごく少数派で、巨大ブラックホールの割合の内で約1割である。残りの約9割では、実は大規模なジェットがまだ発見されていないのだ。この種の巨大ブラックホールは光度や活動性の弱いものが多いために観測が難しく、肉食系と比較してその生態の多くがいまだに謎に包まれている。研究チームではこのような巨大ブラックホールを肉食系に対して自己アピールが控えめな「草食系ブラックホール」と呼ぶことにしたという。こうした草食系ブラックホールの仲間には、我々の天の川銀河の中心に潜む巨大ブラックホールがいる。
草食系にもジェットは存在するのか、それとも肉食系だけが持つ特別な能力なのか。この疑問を解決することは、ブラックホールの活動メカニズムを紐解く上で大変重要な手がかりとなる。宇宙の多数派を占める草食系巨大ブラックホールの生態を明らかにすることを目標に、研究チームは今回、地球から見ておとめ座の方向に位置し、約2900万光年離れたところにある渦巻銀河の「ソンブレロ銀河」(M104またはNGC4594)に着目した(画像4)。手前に暗黒星雲の帯があり、それによってメキシコのソンブレロ帽みたいに見えることからその名が名付けられた有名な銀河である。
ソンブレロ銀河は、アンドロメダ銀河などの天の川銀河が所属する局部銀河群の銀河を除いて地球から最も近い銀河の1つだ。この銀河の中心部には太陽質量の約10億倍という、宇宙最大クラスの草食系巨大ブラックホールが存在することが知られており、将来のブラックホール直接撮影の最有力候補の1つとしても注目されている。
しかし活動性の弱い草食系の代表格ゆえ中心部の観測は難しく、ブラックホール周辺の詳しい構造は明らかになっていない。ハッブル宇宙望遠鏡の解像度をもってしても、中心部にはジェットなどの目立った構造はこれまでのところ確認されていなかった。一般にジェットは可視光より電波で明るいという性質があるため、ハッブルと同程度の解像度を持つ電波望遠鏡でも観測されているが、中心部はやはり微弱な点源状にしか映らないのである。
ソンブレロ銀河の中心で身を潜める草食系ブラックホールの姿を暴くには、これまで以上に「ブラックホールに肉薄する高い解像度(視力)で観測」し、かつ「微弱な信号を鮮明に検出する」、という2点を同時に克服することだ。そこで研究チームは「位相補償VLBI」という観測手法を駆使することで、これらの困難を克服した。
VLBI(Very Long Baseline Interferometry:超長基線電波干渉計)とは、地球各地に存在する複数の電波望遠鏡を繋ぎ、地球サイズ規模の実効口径を持つ巨大電波望遠鏡を実現する技術だ(画像5・6)。これによりすばる望遠鏡やハッブル宇宙望遠鏡の100倍以上という、あらゆる観測装置の中で圧倒的な解像度を実現することができる(画像7)。今回は、全米に散らばる10台の電波望遠鏡から構成される世界最大級のVLBI観測網「VLBA(Very Long Baseline Array)」が使用された。
画像5(左):観測技術VLBIの例。米国のVLBI観測網のVLBA。(c) Jeff Hellerman/NRAO 画像6(中):国立天文台が保有する日本のVLBI観測網「VERA」。(c) 国立天文台。画像7(右):人の目、すばる望遠鏡、ハッブル望遠鏡、VLBIによる解像度と視力の比較表。VLBIが圧倒的な解像度と視力であることがわかる |
さらに、ここに位相補償という技術を組み合わせる(画像8)。位相補償とは日本の国立天文台が世界をリードしている観測手法であり、目標天体と隣接する参照天体をほぼ同時に観測することで、地球大気によるゆらぎを除去する技術だ。これにより、暗い天体からやってくる微弱な電波でも大気による擾乱に埋もれることなく鮮明に検出することが可能になるのである。
研究チームはVLBAを用いてソンブレロ銀河の中心部に対する位相補償VLBI観測を実施したところ、同銀河の巨大ブラックホール周辺の微弱構造を約140マイクロ秒角(1度角の約2600万分の1)の解像度で検出・撮影することに成功した(画像9)。これはハッブル宇宙望遠鏡の約400倍の解像度であり、シュバルツシルト半径(ブラックホールによる重力が強く光さえ脱出できなくなる半径)のわずか数10倍程度の領域にまで迫る空前の解像度だ。これほどまでブラックホール本体に肉薄する撮影に成功したのは天の川銀河のものを除くと、草食系ブラックホールでは初めてのことだ。
さらに今回の高解像度撮影の結果、全長わずか1光年程度と非常に小規模ながらブラックホール近傍から南北2方向に向かってガスが対称的に噴出する様子をとらえることにも初めて成功した(画像10)。南北のガスの明るさの比率などを詳しく調べたところ、光速の約20%以下の速度で北側のガスが地球に向かって近づいている、逆に南側のジェットが地球から遠ざかる方向に噴出していることが明らかになった。これはハッブルなどの解像度では明らかにすることは不可能である。
一般にブラックホールとはガスを「引き寄せる」天体だ。それにも関わらず一部の肉食系ブラックホールは強力にガスを「噴出」している。そもそもなぜブラックホールから噴出が起こるのか、またこれは特別な現象なのかといったことは、これはブラックホールの活動メカニズムを解明する上で天文学者に突きつけられた長年の難問だという。
その謎を紐解くためには肉食系だけ調べるのでは不十分で、むしろ宇宙の大多数を占める「草食系」ブラックホールの生態を明らかにする必要があった。今回、その代表格であるソンブレロ銀河のような草食系ブラックホールにも規模は小さいながら、肉食系と同じような噴出流が存在していたことが判明。そのことは大変重要な結果だという。草食系は宇宙の大多数を占めることから、今回の発見により、ジェットは多くの巨大ブラックホールが持つ共通の能力であることを示唆しているというわけである(画像11)。
ただし、なぜ噴出が起こるのか、噴出ガスの強弱をもたらす根本的要因は何なのか、といったそのメカニズムを解明することは今回の研究だけでは不十分だという。また、草食系の中でもとりわけ活動性の弱い、いわば「絶食系」ブラックホールにジェットが存在するかどうかはまだわかっていない(ちなみに絶食系の代表格は、実は天の川銀河の中心に存在する巨大ブラックホールである)。おそらくブラックホールに吸い込まれるガスの量の違いや、周辺の磁場構造、ブラックホール自身の自転速度(スピン)の違いなどが関係していると考えられるとする。
この難問を解くためには、ジェットのみのみならず、「降着円盤」と呼ばれるブラックホールに降着するガス(引き込まれる過程で、原始惑星系円盤のようにブラックホールの赤道方向にガスが円盤状に広がったもの)との関連も一緒に調べる必要があるという。理論的にソンブレロやM87(おとめ座A)の降着円盤はミリ波~サブミリ波(波長1ミリ程度以下の電波帯)で最も検出しやすいと予想されており、研究チームは現在ALMA望遠鏡なども用いてこれらの巨大ブラックホール周辺構造をさらに詳しく調べているとした。
また、今回ブラックホールに肉薄する解像度で撮影に成功したことについては、近い将来「ブラックホール本体の直接撮像」の実現に向けて大きな弾みとなる成果であることも研究チームは述べている。今回のVLBI観測はいわゆるセンチ波での電波観測だったが、現在さらに高い周波数を用いたVLBI実験が世界中の天文学者の協力により進行中だ(通称サブミリ波VLBI、またはEvent Horizon Telescopeプロジェクト)。同プロジェクトには、日本からも今回の研究チームを含め国立天文台が中心となって参加している。
サブミリ波VLBIを用いれば今回のセンチ波VLBIをさらに10倍程度上回る解像度(視力約「300万」)が実現し、文字通り「黒い穴」が直接写真に写ることが期待されるという。研究チームは今後ジェット、降着円盤、そしてブラックホール本体までを総合的に観測することによって、ブラックホールの活動メカニズムの解明を目指すとしている。