東京大学は8月26日、2色のレーザーで興奮性伝達物質「グルタミン酸」と抑制性伝達物質「GABA(ガンマアミノ酪酸:ギャバ)」のそれぞれを放出することにより、大脳の神経細胞にある「樹状突起」のトゲ構造「スパイン」の収縮や除去を誘発することに成功し、それを用いて単一スパインの頭部増大を誘発したところ、その効果は単一スパインに限局するのに対して、単一スパインの収縮・除去を誘発すると周囲のスパインにも広がること、収縮・除去を誘発する刺激と頭部増大を誘発する刺激とが競合して、増大刺激が勝ったスパイン、ひいてはシナプスのみが残ることがわかったと発表した。

成果は、東大大学院医学系研究科 附属疾患生命工学センター 構造生理学部門の河西春郎 教授、博士課程4年の葉山達也氏、野口潤 助教らの研究チームによるもの。研究の詳細な内容は、8月25日付けで「Nature Neuroscience」オンライン版に掲載された。

大脳の働きを司る神経細胞は大樹のような樹状突起を多数伸ばし(画像1)、その枝には1μm以下の大きさをしたトゲ構造のスパインが無数に生えている(画像1)。このスパインに神経細胞間の「シナプス」ができる。このシナプスによって作られる神経細胞の回路で情報が処理されることにより、ヒトの脳は高度な機能を営むことができる。この回路の動作を決めるのがシナプス結合の強さだ。

画像1。大脳の興奮と抑制シナプス

ヒトがものごとを記憶する時、大脳では神経細胞の「シナプス」において神経間の結合の強さ=「シナプス結合」が変化している(画像2)。大脳でシナプスのできるスパインの形は著しく多様で、それには深い意味があると考えられてきた。大脳の興奮性のシナプスはスパインにできる仕組みで、シナプス結合が増強する時にはこのスパインの頭部が大きくなる運動が起きること、そして学習によってスパインの大きさが変わることなどを河西教授らのグループはた2004年に発見していた。

画像2。スパインシナプスの増大、収縮、競合、整理

また、スパインの頭部増大はグルタミン酸の光による投与「2光子アンケイジング法」で誘発することが可能だ。また、この頭部増大は個々のスパインで起き、長期間にわたってシナプス結合の強度が増大する「長期増強」という記憶の基盤となる現象の基になる過程であることが認められている。

その一方、シナプス結合の強度が減弱する「長期抑圧現象」がどういう場合に起きるのか、スパインの形態変化とどう対応するのかは、単一スパインでこの現象を誘発することができなかったため、解明が進んでいなかった。加えて、スパインの収縮や除去が人為的に起こしにくく、その原因はスパインの頭部増大が発見されてから10年近く謎のままだったのである。

研究グループは今回、グルタミン酸の2光子アンケイジングに加えて、抑制性伝達物質GABAの青色レーザーによるアンケイジングを組み合わせてスパインを刺激したところ、強いスパインの収縮と除去が起こせることを発見。なお、スパインの収縮と除去は、結果としてそのスパインが構成するシナプスの選別や整理、シナプス結合の減弱につながる。

さらに、意外なことに、スパイン頭部の収縮・除去は刺激されたスパインに留まらず周囲に広がり、結果として周囲のシナプス結合も減弱させることが判明。これは、頭部増大を誘発する刺激は刺激したスパインのみに観察される、という報告と異なる結果である。

スパイン収縮と除去を誘発した場合に、周囲のスパインで頭部増大を誘発する刺激が加わっていると、収縮と増大との刺激の間で競合が起き、増大刺激が勝ったスパイン、ひいてはシナプスが増大して残るという。このように、スパインの収縮が起きる条件では、シナプスの選別過程がより厳しくなり、増大刺激が勝ったスパインのシナプスのみが残るようになる仕組みだ。

GABAは活動電位の発生を抑制するのが主たる作用であるとこれまでは考えられてきたが、今回の研究によりGABAにはシナプスを選別する直接的作用があることが確認された。すなわち、GABAはシナプスでカルシウム流入を調節することにより、スパイン収縮や除去を起こすのである。

GABAによる抑制がない場合にはスパインの増大のみが起き、その除去が起きず、結果としてシナプスの選別は進まない。従って、適切なGABA入力がないと、高度な学習に必要なシナプスの選別、あるいは記憶の整理が起きないのである(画像3)。この増大や収縮には、細胞運動の際に骨格となる「アクチン」の調節タンパク質でる「コフィリン」のリン酸化と脱リン酸化が関わり、そのリン酸化の競合により、神経細胞の細胞運動を基盤として、脳の学習がきめ細かく調節されていることがわかったというわけだ。

画像3。GABAはスパイクを抑制するだけでなく、シナプスを整理する指令を出す

神経回路は興奮性のグルタミン酸のみを入力として受けると、爆発的に活動するだけに留まる。抑制性のGABA入力はこの活動に拮抗するために、脳の計算的過程に必要であると考えられているという。今回の成果は、従来の知見に加えて大脳のシナプス結合の強弱には、シナプスにおけるスパインの運動が基盤となっており、興奮性と抑制性の伝達物質がこの運動を巧妙に調整していることが明らかとなった形だ。

脳の発達によって支えられている言語の発達においては、臨界期と呼ばれる言語に感受性の高い時期があることが知られている。動物実験ではこの時期には、シナプスの整理が促進され、これにはGABAを放出する神経の関与が必須であることが知られていたが、その理由は不明であった。今回の成果は、この謎に明快な説明を与えるという。

また、ヒトは眠りから覚めると、記憶が整理されていることに気がつくが、睡眠時にはGABAの刺激が強まり、シナプス除去が起きやすい。従って、この睡眠時にも同様の機構が関係している可能性があるとしている。

興奮刺激と抑制刺激のバランスの障害は、統合失調症、自閉症などにも見られ、神経回路再編におけるGABAの作用はこれまで考えられてきたより直接的で精密であることも、今回の成果で示唆された。GABAの作用を持つ薬は、睡眠薬、抗不安薬、抗うつ薬、麻酔薬などとして医薬品の中でも最も頻繁に使われている。研究チームは今後、情動記憶や薬物依存に関係するシナプスの運動や、それに与えるGABAの作用も調べる予定としている。