京都大学は7月18日、岩手大学との共同研究により、ウシやヒツジ、ヤギなどが属するウシ科動物の胎盤構造の多様性に、太古に感染したレトロウイルスである内在性レトロウイルスが関わっていることを突き止めたと発表した。

成果は、京大ウイルス研究所の宮沢孝幸准教授、同・仲屋友喜産学官連携研究員(現:日本学術振興会特別研究員SPD)、岩手大の橋爪一善教授、同・越勝男博士研究員(現:東京都健康長寿医療センター研究所博士研究員)、中川草 日本学術振興会特別研究員PD(現在は東海大学助教)らの共同研究チームによるもの。研究の詳細な内容は、7月17日付けで米国ウイルス学専門誌「Journal of Virology」に掲載された。

ヒトを含む真獣類(胎盤を持つほ乳類)は、発生時に胎児を育む器官である胎盤を作る仕組みを持つ。胎盤は妊娠中に胎児を子宮内で支えたり、母子間での栄養交換やガス交換が行われたりすることで、胎児の成長を助ける役割を担っている。

真獣類は、恐竜絶滅後に進化を遂げ多様化したが、体内の組織や器官の構造は基本的に類似している。当然どの動物もほ乳類は胎盤を備えているのはいうまでもない。どの動物の胎盤もみなヒトの円盤状のものをイメージするかも知れないが、実は胎盤の形態や構造といった解剖学的形態は動物の種類によって大きく異なっている。ヒトと同じ盤状胎盤はマウスなどで、イヌやネコは帯状胎盤、ウシやヒツジは叢毛性多胎盤、ウマやブタは散在性胎盤を形成し、多様なのだ。さらに、同じ解剖学的形態を持つ胎盤でも、その組織学的構造は動物の種類によって異なっており、まさに動物ごとに胎盤の種類が違うという具合である。

この胎盤の形態の違いが何によるものなのかは謎だ。ウシ科動物は、ウシ亜科やヤギ亜科、インパラ亜科など全7亜科から構成されるが、すべて約100個の小さい胎盤節から構成される多胎盤を形成する。その形成過程において、胎子側の細胞と母体側の細胞が融合する現象が見られるが、その細胞融合像が各亜科により異なっているのだ。そこで研究チームはウシやヒツジなどのウシ科動物の胎盤組織構造に着目し、研究を進めることにしたのである。

「BNC」はさまざまなホルモンを産生し、それらを母体へ輸送することで妊娠を維持する役割を果たす。BNCは母体側胎盤の表面の細胞(子宮内膜細胞)と融合することで母体へ侵食し、ホルモンの輸送も行う。この融合細胞の形態がウシ科動物の中でも動物種によって異なっており、ウシやスイギュウ、シタツンガなどが属するウシ亜科動物では、BNCと子宮内膜細胞が1対1で融合して「三核細胞(TNC)」を形成するが、ヤギやヒツジなどが属するヤギ亜科動物では、複数のBNCが1つの子宮内膜細胞と融合して「多核細胞」を形成する。これまで20~30年間にわたり、母子間での細胞融合という特殊な現象を引き起こす原因や、ウシ科動物間での融合細胞形態の違いを生み出す原因は、究明が難しく謎のままだった。

胎盤における細胞融合というと、ヒトやマウスの場合は、胎児の栄養膜細胞同士が融合する現象が知られている。その現象には、細胞融合能を持つ「Syncytin」と呼ばれる分子が関わっていることも同様に確認済みだ。Syncytinは内在性レトロウイルスの「エンベロープタンパク質(Env)」に由来する因子で、その内在性レトロウイルスは祖先の生殖細胞に感染した外来性レトロウイルスが遺伝によって子孫へ伝播し、宿主ゲノムの一部となったものだ。研究チームはこれまでに、ウシ胎盤で特異的に発現するウシ内在性レトロウイルス「K1(BERV-K1)」のエンベロープ遺伝子(env)を同定している。

研究チームは、BERV-K1Envの細胞融合能の有無を確かめるために、BERV-K1Env発現細胞とウシ子宮内膜細胞を試験管内で共培養を実施。すると、高い細胞融合活性が確認された(画像1)。次に、抗BERV-K1Env抗体を用いてウシ胎盤における免疫組織化学染色が行われ、BERV-K1EnvがBNC特異的に発現していることも明らかになったのである(画像2)。

BERV-K1Envの細胞融合像(画像1(左))とBNCでの発現(画像2)

さらに、ウシ科動物におけるBERV-K1の保有状況も調べられた。すると、ウシやバリギュウ、アジアスイギュウ、シタツンガなどのウシ亜科動物のみがBERV-K1を保有しており、近縁なヒツジやヤギなどのヤギ亜科動物にはBERV-K1が確認されなかった(画像3)。このことから、BERV-K1がおよそ2000万年前にウシ亜科動物の祖先動物に感染し、胎盤形成に関わるようになったことが示唆されたというわけだ。ウシ亜科動物はレトロウイルスであるBERV-K1をゲノムに取り込むことで、胎盤に新たな機能を持たせ、ウシ亜科に特異的な胎盤構造を獲得したと考えられたのである。

また、ウシ亜科動物のすべてのBERV-K1Envの細胞融合能は純化選択によって保存されていたことから、BERV-K1Envはこれらの胎盤において、TNC形成能を発揮していることが示された(画像4)。そして系統樹解析の結果、BERV-K1Envはこれまでに同定されているSyncytinとは大きく異なるものであることが判明。これらのことから、研究チームはBERV-K1Envを「母子間細胞融合誘導因子1(Fetomaternal trinucleate cells inducer1:Fematrin-1)」と命名した。

画像3。ウシ科動物におけるBERV-K1保有状況

画像4。Fematrin-1によるTNC形成過程の模式

今回の研究によって、長年にわたって謎だったウシ科動物における母子間融合細胞の形成機序が明らかになった。研究チームは、ウシ亜科以外のウシ科動物にもFematrin-1とは異なる内在性レトロウイルスのEnvが存在し、同様に細胞融合の役割を担っているが、それぞれの性質が異なるため、細胞融合像に違いが生じているのではないかと考えているという。近年、畜産業界ではウシの妊娠成功率低下が問題視されている。その原因や対処方法は未だに明らかになっていないが、ウシの妊娠において中心的な役割を担うFematrin-1の発見が、原因究明や治療方法の確立の契機となると考えられるとした。