高松市の郊外にある「熊野権現桃太郎神社」(写真提供:高松市創造都市推進局)

「川を流れてきた大きな桃を割ったら元気な男の子が出てきた」。桃太郎の話は誰もが知っているだろう。その“桃太郎”の名を冠した神社が、国内に何と5つもある。その中で唯一、桃太郎と家来の墓まで建っているのが「熊野権現桃太郎神社」だ。

神社がある地域一帯の地名は「鬼無(きなし)」。かつて桃太郎が瀬戸内海を渡ってくる海賊を、鬼が島(女木島(めぎしま))で退治して“鬼がいなくなった”ことから、その名が付けられたと伝わっている。まさに桃太郎の舞台にふさわしい場所と言えよう。

拝殿内に奉納されている桃太郎主従の絵馬

物語に出てくる川も山も海もある

その昔、元讃岐国守だった菅原道真(みちざね)が、地元の漁師から「稚武彦命(わかたけひこのみこと。古代の皇族)が3人の勇士を従えて海賊退治を行った」という話を聞いた。それをおとぎ話にまとめたものが「桃太郎伝説」であり、その後、口移しに全国に広まったとされている。

高松市の鬼無地区は、背後に芝が生えている里山があり、すぐ近くに「本津川(ほんづがわ)」が流れている。しかも沖合には大洞窟がある「女木島」が浮かんでいるといったように、おとぎ話に出てくる要素が全て整っていた。このことを理由に地元では、鬼無地区こそが桃太郎伝説の発祥の地だと主張している。

境内に足を踏み入れると、桃太郎と3人の勇士はもちろん、老夫婦の墓や石碑もある。神社の歴史に詳しい鬼無さん(この地に多い名字だとか!)は「その昔、地元の小学校に勤めていた橋本先生という方が独自に研究していました。その結果、ここが桃太郎伝説の元になった稚武彦命と、3人の勇士がいた場所だということが判明したそうです」と語る。

ちなみに、桃太郎が持っていた「きびだんご」は、イネ科の「黍(きび)」で作られた「黍団子」のことで地名の「吉備(きび)」ではないと鬼無さんは言う。

桃太郎に従った犬猿雉と老夫婦の墓

他の桃太郎神社との連携もとっている

鬼無では、毎年3月の最終日曜日に「鬼無桃太郎まつり」を開催している。まつりで行われる相撲や寸劇には多くの客が集まり、会場は活気にあふれるという。

本家を主張してはいるが、全国にある他の桃太郎神社とも連携をとっており、「桃太郎サミット」なども開催している。「特に岡山は隣の県ですし、3人の勇士の中には岡山の犬島出身者もいたということから、岡山の桃太郎神社のお祭りに参加もしています」(鬼無さん)。

鳥居にも「桃太郎神社」と記されている

熊野権現桃太郎神社の絵馬には桃太郎

ゲーム「桃太郎電鉄」の看板もある

近隣にあるJR予讃(よさん)線「鬼無駅」のホームには、人気ゲーム「桃太郎電鉄」の石造りのキャラクターを設置するなど、桃太郎をテーマにして町おこしも図られている。その他にも、近隣には“鬼が塚”など、鬼にまつわるスポットもたくさんある。

また、桃太郎の墓の横にある、おじいさんとおばあさんが一緒に眠る墓も注目していただきたい。老夫婦が稚武彦命の見識に感じ入り、すぐに縁を結んで養子にしたからという言い伝えから、縁結びの神とされているのだ。良縁を願う人は、この墓めがけて香川を来訪するのもありかもしれない。

●information
熊野権現桃太郎神社
香川県高松市鬼無町鬼無848番地