青空を背景に巨大な大仏が鎮座する

日本には各地に巨大な大仏が存在する。その中で最大の「兵庫大仏」が鎮座しているのは、有名な鎌倉ではなく神戸市。こちらの大仏はなんと座高11m、全高18m。奈良の大仏(東大寺・蘆舎那仏(るしゃなぶつ))、鎌倉の大仏(長谷高徳院(こうとくいん)・阿弥陀如来(あみだにょらい))とともに、日本三大大仏のひとつに数えられている。

その兵庫大仏があるのが、天台宗の仏教寺院「能福寺(のうふくじ)」。この寺は最澄(さいちょう)が延暦24年(805)に、日本最初の密教教化霊場として創建したと伝えられる古刹(こさつ)だ。後に、平清盛によって兵庫港に福原宮が設けられ際には、平家一門の祈願寺に定められた。大伽藍(だいがらん)などが建設され、大変栄えたと言われている。

見詰め合うふたつの巨人

さて、そんな立派な歴史をもつ大仏さま。全高はなんと、同寺から電車でわずか20分足らずの長田地区でポーズをとっている、あの有名人(?)の身長と同じだという。神戸近郊にお住まいの方なら、すぐにピンとくるだろう。そう。鉄人28号だ。

長田区の若松公園に設置された鉄人28号は、両足を踏ん張りポーズを決めた状態では15.6m。しかし、足を伸ばして直立させた時の全長は、18mになるように設計されているそうだ。

ということは、大仏さまと鉄人は互いの存在を認識しているに違いない。他に視線をさえぎるものがないふたりの目線で、一度は街中を見渡してみたいものである。

平清盛が髪をそって入道したのがこの地

日本で唯一の清盛公の墓所も境内にある

ところで、2012年に放映されているNHKの大河ドラマ「平清盛」。主演の松山ケンイチは坊主頭で奮闘中しているが、実は、実際に清盛が髪をそった場所はこの寺である。また、境内には清盛公の墓があることでも知られている。

なぜこの地に大仏が建てられたのか? 鎖国が解除されて兵庫港が開港したことで、キリスト教信者が急激に増え、仏教徒らは危機感を抱いた。そこで、仏教のシンボルとなる大仏を建立すべく行動したのだ。その時に莫大(ばくだい)な金額を寄進したのが、兵庫の豪商・南条荘兵衛である。

初代の大仏は明治24年(1891)に建立。座高は8.5mだったが、その後、第二次世界大戦中の昭和19年(1944)、金属回収令によって国に供出されてしまった。その後、長く不在が続いたが、大仏建立100年目に当たる平成3年1991に再建され、現在に至っている。

神戸事件で切腹した滝善三郎の墓碑も

境内には明治政府初の外交問題となった、「神戸事件」を終結させた滝善三郎の墓碑もある。神戸事件とは、慶応4年(1868)に備前藩(現・岡山県)兵が隊列を横切ったフランス人水兵らを負傷させた事件。問題を起こした隊列の責任者であった滝善三郎が切腹したことで、幕引きしたと伝えられている。

歴史に興味がある人は、能福寺とセットで三宮に足を運ぶといいだろう。駅徒歩10分の三宮神社境内には、この事件で使用されたものと同型の大砲が展示されている。実際に手を添えてみることで、弾を放つ脅威が伝わってくるかもしれない。

ちなみに、三宮神社に祀られている三宮稲荷と安高稲荷大明神は、古くから霊験あらかたであることで知られ、遠方からの参拝者も多いそう。来訪した折には、お稲荷(いなり)さまにあいさつすることをお忘れなく!

看板にも大仏の説明が

寺は神戸市兵庫区のビル街の谷間にある

近隣には平清盛ゆかりの地が点在している

ところで、NHKで「平清盛」が放映されていることから、神戸市では「KOBE de 清盛2012」キャンペーンを展開している。清盛ゆかりの地を大々的に紹介しているが、その中には当時「大輪田泊(おおわだのとまり)」と呼ばれていた兵庫区も含まれている。

兵庫大仏が鎮座する能福寺の近隣には、金光寺や真光寺、また清盛橋など多くの史跡が点在している。さらにハーバーランドまで足を延ばせば、大河ドラマ「平清盛」の世界を体験できる「ドラマ館」なども設けられている。神戸観光の際に、それらを巡ってみるのもいいかもしれない。

●information
能福寺
神戸市兵庫区北逆瀬川町1