理化学研究所(理研)は11月9日、米テキサス大学オースチン校などの協力を得て、半世紀以上前に発見された自然発症突然変異マウスを解析し、さまざまな細胞・組織の基本となる多能性細胞が分化・増殖するときに、重要な役割を果たす遺伝子「Vps52」を同定したと発表した。
成果は、理研バイオリソースセンター 動物変異動態解析技術開発チームの阿部訓也チームリーダー、同・杉本道彦開発研究員、同・遺伝工学基盤技術室の小倉淳郎室長らと、米テキサス大学オースチン校などによる共同研究グループによるもの。研究の詳細な内容は、日本時間11月9日付けで米科学誌「Cell Reports」オンライン版に掲載された(印刷版の11月29日号にも掲載される予定)。
ヒトを含むほ乳類の成長過程において、子宮への着床はさまざまな細胞・組織への分化が始まる契機となる重要なできごとだ。着床前後の胚には、将来の体全体を形成する基本となる多能性細胞が存在する。
着床前胚である「胚盤胞」には、「内部細胞塊」と呼ばれる細胞群があり、その中にある多能性細胞から、万能細胞であるES細胞が作製される。
胚が子宮へ着床すると、多能性細胞は、多能性を保持したまま「原始外胚葉」へと分化していく。この過程は、ほ乳類発生における大きな節目で、細胞内では「エピジェネティック状態」と遺伝子発現の大規模な変動が起きていると考えられている。
このエピジェネティックとは、DNAメチル化やヒストンアセチル化など、ゲノムに書かれた遺伝情報であるDNA塩基配列の変化を伴わずに、遺伝子発現を活性化したり、不活性化したりする化学反応とその周辺の学問領域のことである。エピジェネティックな化学修飾は、個体発生や細胞分化の過程で重要な役割を果たし、誤った化学修飾はさまざまな疾病をもたらしてしまう。
しかし、前述した過程で働く遺伝子やその制御メカニズムについては、ほとんどが未解明だった。そこで研究グループは今回、半世紀以上前に報告されていた、この分化過程に異常を示すマウスの突然変異体「tw5」に着目。正常胚の多能性細胞は、着床後に増殖しながら内腔構造を形成するが、tw5変異胚の多能性細胞は、それ自体の数が極端に少なく、内腔も形成されず、原始外胚葉への分化も起こりない(画像1)。したがって、着床後間もなく致死となる。
tw5変異胚は、大規模な染色体逆位(染色体上の遺伝子の向きが逆転している)などの染色体異常を伴っているのが特徴だ。逆位を持つため、正常な染色体とは「交叉」(騒動染色体間の部分的な交換)が起きないことなどから、正常な染色体の解析に使われる手法が適用できず、変異の原因遺伝子は不明のままだったのである。しかし、研究グループはそこを逆にtw5の詳細な解析を行うことで、多能性細胞の分化制御メカニズム解明の手がかりを得ようとした次第だ。
研究グループは、原因遺伝子を含むゲノム領域を約750kb(75万塩基長)まで狭めた後、このゲノム領域をカバーする5種類の「BAC(Bacterial Artificial Chromosome:細菌人工染色体)クローン」を単離した。BACクローンとは、100~200kb程度の比較的大きなサイズのDNAをクローン化するための、ゲノム解析によく用いられる技術だ。
これらを1つひとつtw5変異胚に導入し、どのBACクローンを導入すると致死表現型が回復するかを検討した結果、ある1つのBACクローンにより回復することが発見されたのである。
このBACクローンはまだ16の遺伝子を含んでいたため、さらに分割して同様な導入実験を繰り返した。最終的には20kb(2万塩基長)のゲノム領域にまで絞り込み、変異マウスtw5の原因遺伝子がVps52であることを突き止めたというわけだ。
さらに、正常胚のVps52のタンパク質コード領域では、塩基のグアニン(G)の繰り返しが9回あるのに対し、tw5変異胚では11回の繰り返しがあること、また、変異マウスtw5の「復帰突然変異」(突然変異で生じた変異表現型が2回目の突然変異で元の正常な形質に復帰することがあり、この2回目の復帰のことを指す)であるtw5G変異胚では、もう1個のGの挿入があって12回の繰り返しとなるため致死にならないことも見出された。
またVps52を人為的に破壊した胚は、tw5変異胚と同様な多能性細胞の異常を示すことが確認されたので、Vps52が変異マウスtw5の原因遺伝子であるという結論が得られたのである。
変異胚で異常が認められる時期の多能性細胞ではVps52の発現は認められず、多能性細胞を包む「臓側内胚葉」(着床後すぐの胚に存在する内胚葉系の細胞からなる細胞層)で発現していることがわかった。この点に関して研究グループは、興味深いこと、と称している。
これは一見矛盾するようだが、Vps52が臓側内胚葉で働き、細胞間相互作用を介して多能性細胞の増殖や分化を促進するものと予測した。これを検証するため、研究グループは多能性細胞だけでVps52遺伝子を欠損する遺伝子改変マウス系統を作製。
その胚を調べたところ、tw5変異胚やVps52欠損胚が致死となる胎生6.5日ごろの段階を越えて、より後期の段階まで生存することがわかった。しかしこの胚も、血管形成の異常などのため、胎生9.5日には致死となった(画像2~7)。
多能性細胞特異的にVps52遺伝子を破壊したマウス胚の表現型その2。画像4(C):受精後8.5日の正常マウス胚。画像5(D):受精後8.5日の変異マウス胚。変異マウス胚(D)では卵黄嚢(YS)に鬱血が確認された。スケールバーはどちらも0.5mm |
多能性細胞特異的にVps52遺伝子を破壊したマウス胚の表現型その3。画像6(E):受精後9.5日の正常マウス胚の卵黄嚢。画像7(F):受精後9.5日の変異マウス胚の卵黄嚢。正常マウス胚の卵黄嚢では明瞭な血管構造を確認した(E矢印)が、変異マウス胚では確認できない(F矢印)。スケールバーはどちらも100μm |
これらの結果から、着床後すぐの段階では、Vps52は臓側内胚葉で発現して多能性細胞の発達を促し、さらに後期の段階になると多能性細胞に由来する組織でも発現し、血管などの組織の発達に必要な働きを持つことが判明したである。
また、tw5変異を持つES細胞の分化を誘導すると、細胞の集合塊が形成された後で分化が停止するが、そこにVps52を導入すると、分化は正常に進行することも見出された(画像8)。
画像8は、ES細胞の分化・増殖を促進するVps52。Aは、tw5変異ES細胞の胚葉体形成。分化を誘導後3日目には集合塊(△)を作るが、その後の発達が見られず、7日目でも集合塊のままで分化が停止している。
Bは、Vps52を導入したtw5変異ES細胞の胚葉体形成。分化を誘導後3日目には集合塊(△)を作るが、Vps52導入により、それ以降の分化が促進され、7日目にはよく発達し、分化した胚葉体(矢印)が形成された(なお、画像のスケールバーはどちらも200μm)。
さらに、tw5変異を持つES細胞と、Vps52を導入して正常となったtw5変異ES細胞を混ぜ、胚と類似した構造(胚様体)を形成すると、外側に位置する臓側内胚葉の層はVps52を導入した細胞で占められるが、内側の多能性細胞のほとんどはtw5変異のES細胞に由来しており、原始外胚葉によく似た細胞層を形成していた。
この場合、胚様体は正常に発達できることを確認画像9・10)。これらの結果から、Vps52は、ES細胞が分化するときも臓側内胚葉で発現し、細胞間相互作用を介して多能性細胞の分化や増殖を促進することが確認できたのである。
過去の酵母を用いた研究により、Vps52という遺伝子は、細胞内外の物質輸送を担うと考えられていた。しかし今回、ほ乳類特有の機能として、あらゆる組織の基本となる多能性細胞の増殖・分化に必須であり、その後の血管形成などの発生にも深く関わることが発見された形だ。
これ以外にも、さまざまな組織や器官形成の重要な局面でVps52が機能している可能性がある。また、臓側内胚葉は、多能性細胞の発生に必須な信号を発信していることが知られており、Vps52がそれらの情報伝達に関わっていると考えられるという。
今後は、今回使用したtw5変異マウス、復帰突然変異したtw5G変異マウス、原因遺伝子同定のために作製した変異マウスなどのバイオリソースを用いることで、ほ乳類のさまざまな組織や器官形成のメカニズムとその情報伝達ネットワーク、単細胞生物である酵母とほ乳類の生命機能の比較、さらにはES細胞、iPS細胞などの分化操作技術の開発へと発展していくことが期待できると、研究グループは述べている。