東京大学は11月1日、Leica Microsystemsとの国際共同研究により、「レーザーマイクロダイセクション(LMD)法」と「逆転写DNA増幅定量(RTqPCR)法」を改良し、生体の顕微鏡組織切片のごくわずかな断片における遺伝子発現の程度を高感度に測定する新しい技術「LMD-RTqPCR法」を開発したと発表した。

成果は、東大大学院 医学系研究科 疾患生命工学センター 健康環境医工学部門の吉岡亘特任助教、同・掛山正心助教、同・遠山千春教授らの研究グループによるもの。研究の詳細な内容は、10月30日付けで英国オンライン科学ジャーナル「Scientific Reports」に掲載された。

ヒトの身体は多種類の細胞からなる器官・組織から成り立っている。生命活動の基本的な単位である細胞が器官・組織・個体の中で果たしている役割を解明することは、ライフサイエンスの重要な課題だと、研究グループはいう。特に脳のような複雑な構造体では、個々の細胞ならびにその相互作用を解析することは、困難だが魅力的な研究課題だとする。

こうした役割の解明のため、1990年代後半には、顕微鏡下で生体組織試料をレーザーによって任意の形と大きさで切り抜くLMD法が開発された。他方、遺伝子発現レベルの解析のために、RNAを高感度に定量できるRTqPCR法が広く活用されている。最近では技術の進歩によって発現量が多い遺伝子の場合には、細胞1個でも解析できるようになってきた。

しかしながら、顕微鏡下で採取した組織断片を対象とした遺伝子発現解析については不安定要素が多く、再現性や信頼性の高い解析技術の開発が求められていたのである。

研究グループは今回、蛍光顕微鏡下で、生体組織切片からレーザーを用いて切り抜いた微細断片にRTqPCR法を適用することで、高感度の遺伝子発現解析を行う手法を考案。この技術を実現するために、高解像度での蛍光検出に適した蛍光顕微鏡用スライドをLeica Microsystemsと共同で開発した。

今回、同社のLMD装置により採取した、細胞数として10個ほどの組織断片を用いることで、非常に発現量が低い遺伝子であっても絶対定量が可能であることを実証したのである(画像1)

画像1。レーザーで切り抜き回収された組織断片の例。神経細胞を緑色蛍光色素で標識してある。研究者の思い通りの形で組織断片を切り抜くことができ、なおかつ、回収された組織にレーザー光のダメージがないことを示している

次にこの技術を用いて、マウス脳組織における遺伝子発現解析が行われた。マウスを飼育ケージから出し、ネズミにとってはじめての場所(新奇環境)に置くと、海馬など特定の脳領域で神経活動が亢進することが知られている。そこで、新奇環境に置いたマウスの脳組織切片を用いてLMD-RTqPCR法による解析が行われた。

顕微鏡下で神経細胞の配列を同定することで、海馬の中にあるCA1、CA3、DGという領域を同定することができる。それぞれの領域から神経細胞数百個相当の微細断片をLMD法により採取した。その遺伝子発現を調べたところ、「最初期遺伝子」と呼ばれる遺伝子群が特徴ある発現パターンを示すことが見出されたのである。最初期遺伝子とは、さまざまな種類の細胞において、刺激に対して急速かつ一時的に発現が増加する遺伝子のことをいう

海馬は記憶を司っており、またストレス応答にも関与する重要な脳部位だ。新奇環境刺激は、海馬の中でもCA1領域における最初期遺伝子を強く上昇させたが、DGおよびCA3領域ではこの反応は見られなかった。

なお、CA1における最初期遺伝子の発現誘導レベルは、通常の飼育ケージにいる状態である基底レベルに対して、「べき乗則」(同じ数を複数回掛け合わせること)の関係によく一致していたことに対し、研究グループは興味深いこととしている。このことは、新奇環境に応答するための何らかの仕組みを反映している可能性を示唆しているという(画像2)。

画像2は、LMD-RTqPCR法より明らかになった、マウス大脳海馬CA1領域の最初期遺伝子活性化パターン。それぞれの色が濃いほど、各項目の値が大きいことを示している(Z-scoreの赤は正、青色は負の値を示す)。存在量(Abundance)が大きいほど、発現増加率(Ratio)が低いことがわかる。両者の関係がべき乗則に一致することは、今回の絶対定量法により初めて明らかになった。

画像2。LMD-RTqPCR法より明らかになった、マウス大脳海馬CA1領域の最初期遺伝子活性化パターン

生体組織の微細断片における遺伝子発現レベルを定量的に解析することができるこの技術は、生体組織内における細胞機能の解明のために役立つのみならず、病理組織解析と遺伝子発現解析を結びつけるものとして、医科学全般、食品安全評価、化学物質リスク研究等広い分野での発展も期待されるという。

今回の研究は、「文部科学省脳科学研究戦略推進プログラム(脳プロ)」の一環として行われたが、今後脳プロでは、脳の健やかな育ちの解明に関するプロジェクトを中心として、この技術を利用して、脳機能の解明と精神疾患メカニズムのさらなる解明に取り組んでいくとしている。