産業技術総合研究所(産総研)は9月21日、米国東部時間の20日に、産総研 情報技術研究部門 メディアインタラクション研究グループの栗原一貴研究員と、科学技術振興機構 さきがけの塚田浩二研究員が、聴覚遅延フィードバックを利用した発話阻害の応用システム「SpeechJammer」によって、2012年「イグノーベル賞」のAcoustics Prize(音響学賞)を受賞し、米国マサチューセッツ州にあるハーバード大学のサンダーズシアターで開催された授賞式に臨んだことを発表した。

イグノーベル賞は、「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に対して与えられる賞で、雑誌編集者のマーク・エイブラハムズ氏によって1991年に創設された、シャレっ気ある賞だ。

今回受賞した、言葉を喋っている人に作用させて強制的に発話を阻害するシステムSpeechJammerは、一般に発話に対し、数百ミリ秒程度の遅延を加えて話者の聴覚に音声をフィードバックすることで、話者は正常な発話が阻害されるという仕組みを利用して開発された技術だ(画像1)。

指向性マイクと指向性スピーカーを組み合わせることで、外部の離れた場所から特定の話者の発話を阻害するというシステムである(画像2)。会話のマナーとルールの制御、プレゼンテーショントレーニングなどに活用することが検討されている技術だ。

画像1。SpeechJammerを使用しているイメージ。世の中、話し出すと止まらず、「ほか」の人にまったく発言させない人はよく見かける

画像2。SpeechJammerは現在、ガンタイプが作られている

栗原研究員らは情報技術による人間同士のコミュニケーションの支援研究を長年行ってきた。その成果の1つであるプレゼンテーションの自己トレーニング支援システム「プレゼン先生」では、発表者の発言内容を音声認識技術により分析し、発話速度が速すぎる場合に警告を表示することができる。

しかしその警告は音や視覚的刺激によるものであり、強制力に乏しいという問題があった。そこで何か人間の認知的特性により、強制的に発話を妨害できるような現象を応用すれば、より適切な発話速度トレーニング支援が実現するのではと、栗原研究員らは発想し、そして完成したのがSpeechJammerなのである。

なお、この現象は肉体的苦痛を伴うことなく発話を阻害することができ、また発話をやめればただちにその認知的な影響が消失し、また話者のみに作用するためそれ以外の周囲の人たちには無害であるといった特性を持っている点が特徴だ。

今回応用した発話阻害の原理については、日本科学未来館などの科学館で体験することができる、とても一般的なものである。栗原研究員らも実際に日本科学未来館を訪れた時に体験し、「いつか研究に生かせそうだ」という将来性を感じていたことが今回の研究の着想につながったという。

また、同技術の応用はプレゼンテーションだけに限定されていない。会議において特定の参加者だけが発言を続けてしまい、ほかの参加者の平等な貢献が損なわれる時などに、適切な話者交代を実現する上でも役立つ。

一般に、発話というものは音声の伝達媒体であるその場の空気という共有資源を占有するものであり、円滑な対話のためにはモラルとルールが必要である。そのための技術基盤として今回の研究が活用されることを期待しているという。

ちなみに現状では今回の研究は研究の初期段階であり、発話阻害効果の個人差や慣れの要素が大きく、現実的な局面での応用はまだ期待できないとしている。

今後は試作を繰り返すことで、より効果的かつ確実に発話阻害効果が得られるよう、改良を繰り返していく予定だ。また、銃タイプのシステムだけでなく会議室に組み込んだ形のシステムなどを実装することで、さまざまな応用局面に対する効果を検証していくとしている。

さらに栗原研究員らは多くの要請を受けて、手元のコンピュータにより手軽に発話阻害効果を体験できる簡易発話阻害ソフトウェアを無料公開することにもした。Windows PCで動作するものと、Windows Phoneで動作するものがある。

詳細はダウンロードページを参照とのこと。これにより、Bluetoothヘッドセット(無線ヘッドフォンとマイクが組み合わされた小型機器)を用いるなどすれば、遠隔地から発話者を阻害することが容易に体験できる。ただちに発話を阻害するボタンと、タイマー駆動させる機能が用意されており、後者は特にプレゼンテーショントレーニングの一環として活用可能だ。

今回の研究について、仮に遠隔地からの第三者による発話阻害の効果が確実に得られる状況が将来達成できた時、悪用されることにより言論の自由が人々から奪われるのではという疑問を持つ方もいると思われるが、その点について栗原研究員らは、以下のように考えを述べている。

原点として、栗原研究員らは言論の自由は人々に平等に与えられるべきものであり、「声の大きい人が勝つ」と俗にいわれるような、特定の人物だけに言論が占有される不公平を払拭したいと考え、今回の研究をスタートさせたという。

しかし「どういう言論が不公平であるか」という判断が、SpeechJammer使用者の倫理観に依存している点は現状の課題であるとしている。ともすると同技術が乱用され、みだりに人々の言論が封殺されてしまう事態も起こりかねないのも認めるとした。

しかし、同技術は銃や刀などによる戦闘とくらべて、「お互いに使用しあっても破滅せず、話し合いによる解決の余地を常に残せる」という性質を持っている点が重要なのである。

もしも人物Aが悪意をもってSpeechJammerを人物Bに使用し、会話を占有し始めたとしよう。しかし、人物Bは行動まで制限されてしまうわけではないので、SpeechJammerを人物Aに対して使用、お互いに、もしくはその場が冷静な話し合いが行えるまで待てばいいというわけだ。

一方で、組織や国家が無人のSpeechJammerをあらゆる場所に配置し、言論を封殺するようなディストピア像を想像する人もいる。この場合は上記のような話し合いは期待できないだろう。

しかし、それでも実は大丈夫だという。同技術の効果は、なんと耳栓をすれば容易に回避できる程度の効果しかないとのことで、今でも政府や指導者を悪くいうと、密告されて逮捕され、最悪の場合はその人は永久に社会から抹殺されてしまう、などといわれる恐ろしい国家もあるわけだが、そうした国の指導者たちが大喜びで活用する、というほどの効果はないのだという(もちろん、この一般公開されている技術を改良して恐ろしい威力を持たせる、という可能性はゼロではないだろう)。

同技術の応用が適切なのは、「自分自身のプレゼンテーショントレーニング」、「参加者全員が会話のルールについて納得している会議や公共スペース」などの、条件次第では発話阻害されることを当事者が了承しており、耳栓をするような回避手段をとることが想定しにくいか、非難されるような日常の局面というわけだ。

SpeechJammerは耳栓程度で防げるとはいえ、技術をよく使うか悪く使うかはまさに人次第、ということを考えさせてくれるものであることがおわかりいただけただろうか。イグ・ノーベル賞を受賞するのを納得できる、考えさせられる技術である。