理化学研究所(理研)、名古屋大学(名大)、コーネル大学の3者は9月10日、電子および「ミュー粒子」の持つ「磁気能率」の大きさ「g因子」を「量子電気力学(Quantum Electrodynamics:QED)」に基づき理論的に計算し、「微細構造定数α」の5乗までの全寄与をスーパーコンピュータを用いて求めることに成功したと共同で発表した。

これにより、電子の磁気能率の大きさを1.3兆分の1の精度で理論的に決定し、3.6兆分の1の精度で求められている実験値と「不確かさ」の範囲内で一致することを確認、この精度までQEDが正しいことを検証した。同時に、この計算によって、基礎物理定数の1つである微細構造定数αの値を、40億分の1という現在知られている値の中では最もよい精度で決定することに成功した形である。

成果は、コーネル大学素粒子研究所の木下東一郎 G・スミス名誉教授(「G・スミス名誉教授」は役職名)、理研仁科加速器研究センターの仁尾真紀子 研究員、名大 素粒子宇宙起源研究機構の青山龍美 特任准教授、同理学研究科の早川雅司 准教授らの研究グループによるもの。研究の詳細な内容は、電子の磁気能率に関する論文とミュー粒子の磁気能率に関する論文として、近日中に米科学雑誌「Physical Review Letters」のオンライン版に2本同時に掲載される予定だ。

我々が日常生活で目にする現象のほとんどは、電磁気力によって引き起こされている。現在の素粒子物理学では、この電磁気的な相互作用をQEDとして定式化している形だ。QEDは、電気と磁気の力を特殊相対性理論と量子論を調和させながら記述する内容である。そして、電磁気的な力の強さを示す数である微細構造定数αは、自然界における基礎物理定数の1つだ。その値は精密な測定が可能で、理論的にも計算できる量から逆算して決定される。

電磁気力が関与する自然現象は幅広く、さまざまな物理現象、例えば、「量子ホール効果」での「ホール電圧」、セシウム原子やルビジウム原子の「反跳測定」、原子のエネルギー準位の測定、素粒子の磁気能率の大きさなどから決まる物理量を組み合わせて、αの値を求めることが可能だ。画像1は、さまざまな方法で決めた微細構造定数αの値。αの逆数値から、完全に一致を見ている最初の6桁分137.036を差し引いたものだ。h/mは原子の反跳測定を示し、Cs2002はセシウム原子を用いたチューらの2002年の結果から、Rb2006とRb2011はそれぞれルビジウム原子を用いたビラベンらの2006年と2011年の実験結果から導かれたαの値を示している。

aeは電子の磁気能率によるもので、UW87は1987年のデーメルトらの実験と2007年のQED計算、HV06、HV08はそれぞれガブリエルスらによる実験と2007年のQED計算によるもので、newはHV08の実験と今回のQED計算に基づくものだ。

画像1。さまざまな方法で決めた微細構造定数αの値

特に、電子の磁気能率の大きさ(g因子)は、電子が磁場の中に単独で置かれるという単純な電子の運動から測定できる量であるため、理論的にも実験的にも高い精度で決定することができる。

実験では、2008年に、米国ハーバード大学のグループが3.6兆分の1の精度で測定を実施していた。一方、理論では研究グループらがQEDに基づいて同程度の精度まで計算している。そのため、あらゆる方法の中でも電子のg因子からは最も精度のよいαの値が得られるというわけだ。このように、さまざまな方法で得られたαの値の相互の整合性を見て、個々の物理現象そのものに関する理解、電磁気に関する理解、さらには、不確定性原理を含めた量子論の理解が本当に正しいかどうかの検証が行われる。

ミュー粒子と呼ばれる素粒子のg因子もまた、理論的にも実験的にも、16億分の1程度の精度で決定されている状況だ。なお、この量に関しては、実験値と標準模型による理論値が99.9%の信頼度で異なっており、標準模型の破綻を示す候補として強い関心を集めている。

最近、発見の兆候が見えてきたヒッグス粒子の存在は、現在の素粒子の標準模型に欠けていた最後の一片を埋めるもので、それ自体は実験と理論の間の矛盾を示唆するものではない。これに対してミュー粒子のg因子は、標準模型を超える物理を探る重要な手がかりの1つとなっている。

共同研究グループは、電子のg因子におけるQEDの寄与を求める理論計算を長く推進してきた。QEDの理論計算では、「摂動計算」という手法を用いている。そこでは、電子が仮想的な光子を放出したり吸収したりすると考えることができ、仮想光子の交換による効果を大きいものから順次、計算に取り入れられており、この様子は、電子の間の仮想光子の交換の仕方を示す「ファインマン図」によって表現することができる。交換される光子1個あたり微細構造定数α倍の寄与が生じるため、結局、g因子はαのベキ級数として表される。αそのものは約137分の1という小さい値だが、実験と同程度の精度に到達するためには、交換される光子の数が多い、複雑なファインマン図の計算を行う必要がある。

共同研究グループは、2007年までに光子4個を含むαの4乗の寄与を数値的な手法で計算し、当時の最高精度の電子のg因子の値と微細構造定数αの値を提示していた。より精度を上げるためには、光子5個、つまり、αの5乗に寄与する1万2672個のファインマン図を計算する必要があった(画像2)。考慮すべきファインマン図の多さに加え、αの4乗の場合に比べて計算式の総計は約1000倍程度の長さになる点が重要であり、かつ、複雑な「くりこみ項」を構成しなくてはならず、結果の正しさを保証しながら計算を進めるには大きな困難を伴っていた。

そこで研究グループは、複雑な構造を持つファインマン図に対しては、その図の数値計算プログラムを自動的に制作するコンピュータプログラムを構成。これによって計算プログラムを正確かつ迅速に制作することが可能になったというわけだ。

画像2は、電子のg因子に寄与する光子5個を含むファインマン図の代表例。電子の磁気能率に寄与する光子5個を含むQEDの効果を表すファインマン図は全部で1万2672個あるが、構造の似たもの同士を集めると32個のセットにまとめることが可能だ。青の波線が時空間を伝搬する仮想光子を表し、黒の線は弱い磁場の中を運動している電子を表す。特に、黒の閉じた曲線や四角は、仮想的に生成し光子へと消滅する電子と陽電子のペアを表している。

画像2。電子のg因子に寄与する光子5個を含むファインマン図の代表例

このように制作された数値計算プログラムを、理研のスーパーコンピュータシステム「RSCC(2004年~2009年)」と「RICC(2009年~2012年現在)」で実行し、ファインマン図からの寄与の計算を実施した。特にRICCの導入により、最も数値計算の難しいファインマン図の計算が可能となり、ようやくαの5乗の寄与を確定することができたのである。同時に、ミュー粒子のg因子への寄与も、電子用のプログラムのパラメータを変更して計算が進められた。αの5乗の寄与が求められたのは、初めてのことだという。

このQED計算の結果と、これまで知られていたQEDのαの4乗までの結果に、2011年にビラベンらがルビジウム原子実験から決めた微細構造定数αの値を代入して、電子のg因子の値をg/2(理論)=1.00115965218178±0.00000000000077と1.3兆分の1の精度で決定した。この結果、3.6兆分の1の精度を持つ米国ハーバード大学での実験値g/2(実験)=1.00115965218073±0.00000000000028と不確かさの範囲内で一致し、この精度までQEDが正しいことを検証したのである。電子のg因子の理論値は、物理の基本原理から導かれた理論から直接計算し観測量を再現するものとしては、物理学史上、最も精密な値となる。また逆にαを未知数として、電子g因子の理論値と実験値からその値を導くと1/α(電子g)=137.035999173±0.000000035と、40億分の1の精度で決定することにも成功している。

一方、ミュー粒子のg因子に関しては、QEDによる寄与を1.2兆分の1の高精度で確定し、現在の実験値と標準模型による理論値との差がQED計算に起因するものではないことが明確化されており、今後は、実験値と理論値との差を明らかにする上で、標準模型による理論値の中で不確かさの一番大きい「強い相互作用」による寄与の精度を高めることが、最も重要な課題となると研究グループでは説明している。

現在、米ハーバード大学の実験グループは、2008年の電子のg因子測定に引き続き、陽電子のg因子を測定する実験を進行中だ。この実験値とQED計算の進展を考慮すると、αの精度は100億分の1程度にまで改善できる見込みだという。また仏パリ大学のグループは、2011年のルビジウム原子を用いた反跳測定を改良して、現在のαの精度(15億分の1)をさらに数倍程度改良しようとしている。2012年時点では、今回得た電子g因子からのαとルビジウム原子から決めたαの間には明らかな差はないが、それぞれの誤差が改良された先に何が起こるかは興味深いものがあると、研究グループはコメント。このαによる精密検証の実現のためにも、さらなる大規模計算によるQED理論値の精度向上が不可欠だとしている。

一方、ミュー粒子のg因子は、未知の素粒子や力の存在を探査する上で、現在、強い関心を集めている物理量だ。そのため、日本にある大強度陽子加速器施設「J-PARC」と米国シカゴのフェルミ国立加速器研究所で2つの独立な国際共同実験が同時進行しており、さらによい精度での測定を目指している。今回決定されたQEDの寄与は、これらの将来の測定精度に比べても十分に高い精度で理論的予言を与えるものであり、新しい物理現象の探索を支えるものになると研究グループではコメントしている。