高エネルギー加速器研究機構(KEK)、宇宙航空研究開発機構(JAXA)、東京大学の3者は、南極上空を周回する高高度気球(画像1)による合計1カ月以上に及んだ日米共同の宇宙線観測実験「BESS-Polar(ベスポーラー)」で、1~14GVのRigidity(運動量/電荷)の範囲内での宇宙線観測により得られた4800万例のヘリウム原子核の中から、反ヘリウム原子核は1例も観測されなかったと発表した。研究の詳細な内容は、3月30日付けで米物理学会の学術雑誌「Physical Review Letters」に掲載された。
宇宙における物質と反物質の非対称性は素粒子物理・宇宙物理の根幹に関わる大きな問題であるが、その詳細はまだよくわかっていない。宇宙初期に存在したはずの反物質はその大部分は消滅してしまったと考えられているが、所々にポケットのように孤立する反物質が優勢な世界として生き残っている可能性も指摘されている。
その直接検証には、地球に飛来する宇宙線の中に反物質の成分を探すよりほかないが、例え存在しても、その量は極めて微少であり、しかも大気との衝突により失われてしまうという困難があった。
BESS-Polar実験はKEK、JAXA/宇宙科学研究所、東大、神戸大学、NASAゴダードスペースフライトセンター、メリーランド大学、デンバー大学を参加機関とする日米共同実験で、「大型大広角超伝導スペクトロメータ」(画像2)を高高度気球により36km~40kmの成層圏に浮かべ、南極点を中心に周回する風にのせて10日~2週間で1周の飛翔を複数周重ねることにより、高い統計での宇宙線観測を行うというものだ。
また宇宙から地球に降り注ぐ宇宙線を、大気の影響が地上に比べて大幅に少なくなる高空で高精度で直接観測し、その中に含まれるかもしれない反物質の探索を行うという内容である。南極で気球を使うことのメリットは、(1)磁極に近いため低エネルギーの宇宙線が観測できる、(2)南極の夏期には日没がないために気球高度調整のためのバラストが不要、(3)太陽電池により電力を供給し続けることができるなどだ。
なお、気球に搭載された超伝導スペクトロメータは、KEKの超伝導技術や粒子検出技術を用いて開発された観測機器である。超伝導磁石により強力な磁場を発生させて、荷電粒子と磁場の相互作用(ローレンツ力)により荷電粒子を偏向させ、その曲がり具合から粒子の運動量を精密に測定する装置だ。超伝導技術の活用により、充電後は電力供給を必要とせずに磁場を保つことが可能な点も特徴の1つ。
BESS及びBESS-Polar実験では、気球実験用に開発された超軽量かつ極薄肉の超伝導ソレノイドと大広角の飛跡検出器を同軸上に配置して搭載することで、これまでにない大面積立体角と高運動量分解能を達成している。
今回の成果は、2004年、2007~2008年に南極で実施されたBESS-Polar実験で得られたデータを用いた反ヘリウム核の探索結果だ。宇宙の起源の反陽子及び反物質の探索を目的に、カナダ北部で1993~2002年まで行われた日米共同の宇宙粒子線観測気球実験「BESS」では1度に1~2日の観測が限度であったが、BESS-Polar実験では、2回の南極周回長時間気球飛翔により、それぞれ8.5日、24.5日と合計1カ月以上に及ぶ宇宙線観測を実現し、56億例の宇宙線を観測することに成功した。
観測したデータから、まず電荷2を持つ粒子(ヘリウム核及び反ヘリウム核)を選別し、最終的に超伝導磁石で発生する0.8テスラの強磁場による軌道偏向の違いを利用して、正電荷のヘリウム核と負電荷の反ヘリウム核を明確に識別した形だ。その結果、4800万個のヘリウム核が観測された中で、反ヘリウム核は1例も観測されなかったのである。
そして、これまでに行われたすべてのBESS実験の結果も合わせると、反ヘリウム核/ヘリウム核存在比の上限値として6.9×10-8が得られたというわけだ(画像3)。
なお反ヘリウム核とは、反陽子2個と反中性子2個で生成されているヘリウム核の反粒子である(画像4)。重イオン衝突型加速器による実験で素粒子反応により生成されることはわかっているが、その確率は極めて低い。もし宇宙線の中に1例でも見つかれば、反物質が優勢な世界から飛来してきたものである可能性が高いと予想されている。
画像3。反ヘリウム核/ヘリウム核の存在比の上限で示した反物質探索の進展。BESS及びBESS-Polar 実験によって、上限比が1000万分の1以下という世界最高感度での探索が進展した |
画像4。左が通常物質のヘリウム核で、右が反ヘリウム核 |
ちなみに今回の結果は、反ヘリウム核の探索結果としてはこれまで得られたものの中で最も高感度なものであり、カナダ北部でのBESS実験が開始された1993年以前の探索結果(存在上限比、1万分の1のレベル)と比べて、観測感度を3桁も高めた形だ。そして、この結果により、少なくとも地球の周辺には反物質の優勢な世界が存在しないことを世界最高感度で、最も直接的な証拠として示すことができたのである。