北海道大学(北大)は、これまで日本唯一の固有種と考えられてきた絶滅危惧種でもある「ニホンザリガニ」にほかの生物では見られないほど顕著な遺伝構造(地域固有性)があり、その遺伝構造が津軽海峡の陸橋化や北海道東部の寒冷化など北日本の歴史を強く反映していること、そして、これまで一種と考えられていたニホンザリガニに別種レベルに分化した2グループが存在することを明らかにした。同成果は、北海道大学 創成研究機構・環境科学研究院の小泉逸郎氏、新潟大学 超域学術院の西川潮氏、北海道立総合研究機構 稚内水産試験場の川井唯史氏、東京農業大学 生物資源開発研究所の東典子氏、北海道大学 大学院理学研究院の増田隆一氏らによるもので、オンライン科学誌「PLoS ONE」に掲載された。

生物の遺伝的多様性(遺伝的変異)は個体群の絶滅リスクに影響するため、その保全が重要となっているが、その一方で、歴史遺産としての価値は見過ごされてきた。

移動分散が制限されている生物では地殻変動や環境変動によって遺伝的変異が規定されるため、その生物の遺伝構造を調べることで、過去の地形や気候などの歴史が明らかになることがあり、例えばアルフレッド・ウェゲナーは移動性の低いカタツムリやミミズの隔離分布を大陸移動説の証拠の1つとしている。

技術が進歩した現在では、種内の遺伝的多様性を調べることでさらに詳細な地史情報が得られるようになっており、今回の研究では、北海道と本州北部、および北海道の離島に隔離分布するニホンザリガニに着目し、同種の分布拡大の歴史と北日本の環境変動を明らかにすることを目的にサンプリングを行い、mtDNA(16S rRNA領域)と核DNA(28S rDNA)の遺伝的変異が調べられた。

ニホンザリガニは日本唯一の固有ザリガニだが、生息地破壊や外来ザリガニの影響によって多くの地域で絶滅が進行しているのが現状だ。そのため、世界的にも貴重なニホンザリガニの地域固有性を調べることが、緊急の課題とされていたのであるが、このニホンザリガニの遺伝構造を調べた結果、分布拡大の歴史が明瞭に復元された。

DNA から復元されたニホンザリガニの分布拡大の歴史。同色で示した丸は同じ遺伝子グループ。海洋の水色の部分は氷河期の海面低下で陸続きになったと考えられている水深140m以浅。別種レベルに分化した北海道東部グループは日高南部から急速に分布域を拡大。もう一方のグループは札幌付近を中心に南北方向にゆっくりと分布を拡大。津軽海峡および日本海側の離島は近い大陸と遺伝子を共有しており、氷河期の海面低下時期に陸続きになっていたことを示唆している

多くの生物では地域間の移動などにより過去の遺伝情報が失われているため、今回の度合いで過去を甦らせることができた例は非常に稀な部類に入るという。具体的には、ニホンザリガニは地域固有性が著しく、河川ごとに独自の遺伝子型(ハプロタイプ)を持っていることが確認されており、これは1つひとつの河川において長期間隔離された地域個体群が形成されていることが示されたこととなる。

また、これまで一種と考えられていたニホンザリガニだが、別種レベルに分化した2つのグループが確認されたという。ちなにに、この2グループは北海道と本州で分かれるのではなく、日高山脈を挟んだ北海道東部とそれ以外の地域で分かれていることが明らかとなった。

また、津軽海峡を挟んだ渡島半島南部と下北半島北部では遺伝的分化が小さかったことから、津軽海峡が近い過去に陸続きになっていた可能性が示された。津軽海峡における陸橋の有無については未だ結論が出ていないが、海を渡れないニホンザリガニは陸橋の存在を示す生物学的証拠といえるという。一方、北海道東部では、おそらく氷河期の寒冷化により広域的な個体群の消失が起きていたことも示唆されたという。

なお、研究グループでは今後、さまざまなDNA領域を調べることで、津軽海峡や離島が陸橋化した年代や河川が繋がったり離れたりした事象(河川争奪)など、北日本の地史がより詳細に明らかとなることが期待できるとしているほか、絶滅の危機に瀕している日本唯一の在来ザリガニであるニホンザリガニの保全において、優先的に保護すべき地域など具体的な保護管理計画を立てることが可能になるという。