九州大学は、「不斉(ふせい)触媒」を用いてベンゼン環のような芳香環の1つであるナフタレンを「高立体選択的に」水素化(水素分子を付加)することに成功し、医薬品や液晶材料などの原料として有用な「光学活性化合物」の新しい製造法を開発したと発表した。
成果は、九大大学院理学研究院化学部門の桑野良一教授らの研究グループによるもの。詳細な研究内容は、現地時間3月14日付けでドイツ化学会誌「Angewandte Chemie」のVIP(very important paper)に選定され、Early Viewとしてオンライン版で先行公開された。
不斉触媒とは、「光学活性」な物質を作り分けることのできる化学的な処理過程の1つである「不斉合成」に用いられる触媒だ。さらに「触媒的不斉水素化」は、医薬品や液晶材料などに有用な光学活性化合物を効率よく作り出すことができる非常に優れた有機合成反応である。
この反応では、微量の不斉触媒を介して水素分子を二重結合へ付加させることによって大量の「光学活性化合物」が得られる仕組みだ。光学活性化合物とは、「鏡像異性体(光学異性体)」と関係する言葉だ。鏡像異性体とは、右手と左手のように形は非常に似ているが鏡像関係にあるので重ね合わせられない構造をした分子同士のこと。鏡像異性体は、4つの異なる原子や原子団と結合している炭素原子(「不斉炭素原子」)を持つ多くの分子に存在し、アミノ酸や糖に関しては「L-アラニン」、「D-アラニン」というようにD体L体という判別法で区別して表し(画像1)、それ以外はR体S体という判別法で区別されて表される。アミノ酸や糖を表すのにD体L体を使うのは、その方が都合がいいからであり、R体S体で表現することも可能だ。
そして光学活性化合物とは、片方の鏡像異性体のみ、もしくは片方がもう片方よりも多く含まれている場合の化合物のことをいう。ちなみにアミノ酸はL体、糖はD体が主流なのでとても偏っており、光学活性化合物というわけだ(ただし、偏りの理由は明確になっていない)。
話を触媒的不斉水素化に戻すと、これまでに二重結合を持つアルケン、ケトン、イミンといった化合物の触媒的不斉水素化について活発に研究され、現在ではさまざまな医薬品などの製造に利用されている。また、2001年のノーベル化学賞の受賞対象にもなった。
一方、芳香環もアルケンやケトンのように水素化されるが、芳香環はアルケンやケトンの二重結合よりも反応性が低いため、水素化を進行させるには高温、高圧といった厳しい反応条件が必要だ。
そのため、アルケンやケトンに比べ、芳香族環の触媒的不斉水素化の研究は大きく遅れており、炭素原子のみで構成されている芳香環の触媒的不斉水素化には成功例がなかったのである。
桑野教授らは、これまでの研究で、「不斉配位子PhTRAP」(画像2)が配位した「ルテニウム錯体」を不斉触媒として利用すると、窒素や酸素原子を含む芳香族複素環の水素化が進行し、高い立体選択性で光学活性な「複素環生成物」が得られることを見出してきた。
その研究の過程で、この不斉ルテニウム触媒が炭素原子のみで構成されるナフタレン環の水素化に対しても触媒活性を示すことがわかったのである。そこで、「PhTRAP-ルテニウム触媒」を用いて置換基を持つさまざまなナフタレンの触媒的不斉水素化を試みたというわけだ。
その結果、2位にアルコキシ基を持つナフタレン(図3-1)が高い立体選択性で水素化され、光学活性な「2-アルコキシテトラリン」(図3-2)が最高96:4の鏡像異性体(S体:R体)比で得られた(図3)。
これが通常の触媒を用いた反応なら、生成物のS体とR体の比は1:1になるが、非常に偏った結果である。これにより、炭素原子のみで構成される芳香環を不斉触媒により高いエナンチオ選択性で水素化することに成功したというわけだ。
ベンゼン環の触媒的不斉水素化は、多くの有用物質に見られる光学活性な「シクロヘキサン骨格」を与えるだけでなく、1回の反応で置換基と同数(最大6個)の不斉炭素原子を作り出すことができると考えられることから、有機合成化学における究極の研究課題の1つといわれている。
しかし、ベンゼン環は非常に大きな共鳴安定化を受けているため、その触媒的不斉水素化の実現は極めて困難であるという。今回のナフタレンの触媒的不斉水素化の研究は、この有機合成化学者の夢の実現に1歩近づくものである。
今後、今回発表された研究を受けて、ベンゼン環の触媒的不斉水素化の実現に向けた研究の加速が期待されると、桑野教授らはコメントした。