名古屋大学(名大)大学院医学系研究科の山田清文教授と環境医学研究所の溝口博之助教を中心とする研究グループは、分泌型プロテアーゼであるマトリックスメタロプロテアーゼ-9(MMP-9)が神経栄養因子(BDNF)の成熟化を促すことでけいれん発作の重篤化に関与する可能性を証明した。これにより今後、選択的MMP-9阻害剤が新たなてんかんの治療薬に成り得る可能性が示された。同成果は米国科学雑誌「Journal of Neuroscience」(電子版)に掲載された。

てんかんは、大脳の過活動により引き起こされるけいれん発作を主症状とし、発作の頻度や程度が次第に増加する進行性の疾患。中枢神経系の疾患の中で罹患率が高く、米国の疫学調査では、生涯に1回でもてんかん発作を経験するヒトは人口の約10%、2回以上経験するヒトは約4%、頻回に経験し治療を要するてんかん患者はおよそ1 %であることが示されており、日本でも100万人以上のてんかん患者がいるといわれている。

てんかん患者の中には、抗てんかん薬による薬物治療に抵抗性を示し、統合失調症に類似した幻覚・妄想、躁うつ病、学習記憶障害などのてんかん性精神病を示す症例もあり、てんかん性精神病の治療目的で使用される抗精神病薬や抗うつ薬は、てんかん症状を悪化させることが臨床報告されている。

そのため、てんかん発作の抑制を目的とした治療薬剤の開発や外科的治療がこれまで行われてきたが、多くの場合は未だ根本的な治療法がなく、てんかんの発症機構解明とその新規治療法の開発が求められていた。

近年、てんかん患者の海馬において、顆粒細胞の形成異常や苔状線維の異常発芽などの病理的所見が観察されることから、神経の異常な可塑的変化はてんかんの発作症状の悪化や進行を促す要因である可能性が指摘されていた。その過程には神経栄養因子(BDNFなど)やタンパクを分解するプロテアーゼが関与しており、これらタンパクの働きにより脳神経細胞の機能的、器質的変化が引き起こされることが示された。

マトリックスメタロプロテアーゼ(matrix metalloproteinase:MMP)は、細胞外マトリックスを分解する亜鉛要求性プロテアーゼ群の総称名であり、これまでに20種類以上のMMPが報告されている。MMPの一種であるgelatinase(MMP-2およびMMP-9)による細胞外マトリックスの分解は、神経突起の伸長や発達期における神経細胞の移動に重要な役割を果たすことが知られている。

また、脳虚血、アルツハイマー病、薬物依存症、てんかん疾患などのモデル動物を用いた基礎研究や臨床研究において、MMPの発現は増加することが示されており、MMPの活性化は神経毒性として働くことで多様な中枢神経疾患の発症に関与している可能性が報告されている。

最近、MMP-9は前駆体BDNF(pro-BDNF)から成熟体BDNF(mature BDNF)への変換に関わっていることが報告されており、MMP-9はBDNFの作用を調節するタンパクであることが示されていた。

研究グループでは、「てんかんの発症にはMMP-9による異常なシナプス可塑性が関与する」との仮説を立て、てんかんモデルマウス(キンドリングマウス)を用いて、てんかん発作とMMP-9との関係について検討を行った。

その結果、単回投与ではけいれん発作を誘発しない低用量のペンチレンテトラゾール(pentylenetetrazole:PTZ)をマウスに慢性投与すると、投与回数に従い、けいれん発作の重篤化が観察された(キンドリングマウス)ほか、キンドリング形成マウスの海馬において、MMP-9の活性およびタンパクの発現は増加し、持続的な発現増加が確認された。一方、強直間代性痙攣を誘発する高用量のPTZ単回投与では、海馬におけるMMP-9活性の変化は認められなかったという。

また、抗てんかん薬ジアゼパムあるいは非競合的NMDA 受容体阻害薬(MK-801)を投与すると、PTZ誘発性キンドリングの形成およびMMP-9活性の上昇が抑制されたほか、MMP遺伝子欠損 [MMP-9(-/-)]マウスにPTZを連続投与したところ、野生型マウスに比べ、キンドリング形成の有意な抑制が認められた。一方、野生型マウスにPTZを連続投与したところ、海馬におけるmature BDNFの発現は増加したが、MMP-9(-/-)マウスでは認められなかったという。

さらにBDNF scavengerを野生型マウスの脳室内に微量注入したところ、キンドリング形成は抑制されたが、MMP-9(-/-)マウスではその効果は見られなかったほか、pro-BDNFを野生型マウスの海馬に微量注入したところ、キンドリング形成は増強したが、MMP-9(-/-)マウスではその効果は見られなかったことが確認された。

これらの成果は、MMP-9はBDNFの成熟化を促すことで、てんかん発作の重篤化に関与する可能性を示すもので、これは、てんかんの発症機構にプロテアーゼと神経栄養因子の双方が密接に関与することで、発作症状の悪化・進行に複雑な機序が存在することが示されたこととなる。そのため研究グループでは、この知見により将来、選択的MMP-9阻害剤が新規てんかん治療薬となる可能性が出てきたと説明している。