「ハートサイド・コモンズ」の住人は、どんな人達なのだろう。 Aさん(78歳女性)は、3年前ご主人と一緒に入所した。当時は二人とも少し足腰が弱いという以外、障害はなかったのだが、1年前に認知症が進んだご主人は、フル介護付きのナージング棟へ移った。さらに症状が進めばターミナル・ケア(看取り介護)を行うホスピス棟に移ることになるだろう。

軽介護棟の個室に残ったAさんの毎日は、朝食が終わると、ご主人を見舞い、昼食後は自室に戻って静かに読書、職員に押された車いすで庭の草花などを楽しみながら過ぎてゆく。介護は職員がやってくれるから、介護疲れから来る共倒れからは免れている。毎週末、シャトルバスで行く教会でのミサも欠かせぬ行事だ。

個室には、自宅から持ってきたソファー、ライティング・テーブルなどが置かれていて療養所というより家庭の雰囲気が漂う。「お元気で」と声をかけると、「時々、子供が来ると主人の表情も明るくなるわ」と静かにほほ笑み返してくれた。

Aさんもそうなのだが、見学して感心したのは、入居者が皆、きちんとした身なりでいることだ。日本の施設も何回か視察したが、パジャマ、トレーナー姿が目立ったので、その対比が印象に残った。たぶん、これはベッドと畳生活という習慣の違いから生まれる現象だろう。日本の介護施設に入居している人の平均年齢は70歳代後半。人生のほとんどを畳と障子の家で暮らしてきた人達だ。彼らにとってベッド経験は病気か、けがをして入院した時だろう。だからベッド=病気のイメージが強い。

日本の介護施設は、それほど重度でなくても病院と同じようにベッドの上で食事も取らせることが多い。「患者」という意識になっているからパジャマ姿で施設内を歩き回る人が少なくないのだ。ベット上での生活が長くなるほど「寝たきり状態」になりやすい。こういう生活パターンは、認知症を促進しているともいえる。

一方、欧米人にとってベッドは寝る道具。だから朝、目がさめれば、よほどの重度者以外は着替えて、「社交場」であるダイニングルームに出てくる。車いすの人も同じだ。昼間もなるべく部屋に帰らないように、「車いすダンス会」や「手芸教室」などへの参加を促す。無論、こうした生活が可能なのは、アフリカ系市民、中南米からの移民など安価で豊富な介護労働力に依存できるからだ。

70歳過ぎて奥さんを亡くしたBさん(75歳)は、1年ほど前に入所した。自宅を処分したお金が生活の原資となっている。料金体系もサービスに応じて多様で、入所者はメニューの中から自分に合ったものを選ぶことが出来る。

料金は部屋代とサービス料に分かれる。まず軽介護の個室生活。部屋はバス、トイレ付。ケーブルテレビが引かれており、キチネットも付いている。広さは3種類あり、狭いところで90平方メートル、広いところは166平方メートルあるから日本人の感覚としては夫婦でも十分に思える。料金は月2944ドル(1ドル115円として約33万8000円)から5699ドル(約65万5000円)まで。

一方、生活の共通サービスとして最低料金の一日20ドルコースでは、3食と、その間のおやつと飲みもの、レクリエーションへの参加、町へのシャトルサービス、月一回の健康問診、週1回の個室掃除、リネン類の交換サービスなどがある。だから夫婦二人で3500ドルの部屋に入った場合ざっと4700ドル(約54万円)かかるわけだ。

サービスは、それこそピンからキリまでで、掃除やリネン類の交換の回数、入浴やトイレの介助が加わるたびにタクシー・メーターのように、「カチカチ」と1日40ドルまで上がってゆく。別料金でホテル並みの客用寝室や食事、リムジンサービス、専門医のサイコセラピィまである。

これは、あくまで軽介助のユニット生活(日本でいえば要介護2~3以下の比較的元気な老人の有料老人ホーム)でのこと。次の段階の重介護(ナージング・ホーム)やホスピスになると医療サービスが加わるから料金体系は異なる。しかし医療費分が高くなるが、ユニット生活コストはかからなくなるから、「耐え難く高額ということはない」とプロトニックさんは強調していた。

いずれにしても総費用の10~20%の自己負担で済む日本の特別養護老人ホームから見れば大変な出費である。多くの人は貯金、メディケアに加え、不動産を信託として施設に預けて、それを取り崩してゆくことになる。

「もし貯えが底をついたら?」と聞くと、「うちは非営利団体なので、理事会で相談に乗ります。でも皆さん自分の健康状態をよく知った上で来られるから、あまりそういう問題は起きませんよ」とのことだった。

ここの平均入所期間は4~5年とか。ある程度、自分の余命を見切った上でないと「入所」の決断は出来ないのかもしれない。