コロンビア大学「外交と公共政策大学院」(SIPA)で参加したセミナーで是非皆さんに紹介しておきたいのが、2月8日に行われた「メディアと暴力、そしてイラク戦争」だ。プレゼンテイターはCNN記者を23年勤め、現在はイラク報道専門のウエッブ・サイト、「Iraq Slogger」の主宰者であるイーソン・ジョーダン氏。彼はサダム・フセイン時代に13回、米軍が占領してからも3回バグダット取材を繰り返したベテラン特派員だ。

「確かにイラクに侵略され略奪されたクエート国民は、悲惨な目にあった。でもその期間は6カ月余りだった。またサダム・フセインの圧政に苦しんだシーア派の国民やクルド人も被害者だったが誰もが無差別で殺されたわけではない。しかし今、イラク全土で起きていることは、まさにトータル・ディザァスター(大災害)としか言いようがない。そしてレポーターにとっても世界で最も危険な取材現場となったのだ」。報告はこんな調子で始まった。

「何故そんなに危険なのか。戦線があれば弾はどこから飛んでくるかが分る。しかし内戦となるとどこが戦場なのか、どこにロードサイド・ボム(道路わきに仕掛けられた爆弾)が埋められているのか知る方法がない。といって兵士と共に行動することはもっと危ない。ゲリラ勢力に兵士とレポーターの区別はつかない。では単独行動は安全か。答えはノー。レポーターは自らを守る手段がないし、テレビカメラはロケットランチャーと間違われ格好の狙撃手の目標になる、レンズは光を反射して目立つ」。

この結果、米軍のイラク侵攻後2年数カ月で米兵の戦死者約3,000人に対してジャーナリストはすでに93人(07年2月7日現在)も死んでいるのだ。このうち少なくとも15人は米軍、連合国軍の砲火による被害者だという。この数字はベトナム戦争での米軍戦死者5万8千人、ジャーナリストの死者60人台に比べても格段に多い。しかもこの数字には現地で雇われた助手や、ドライバーはカウントされていない。彼らの多くは、アメリカ(外国人記者を含む)人に魂を売った裏切り者として自宅に帰ったところ、休んでいるうちに襲われるケースが多いのだ。

このために現在ではイラク駐在の記者一人当たりドライバーも含め25人ものボディーガードが必要になった。一人当たり一日200ドルかかるからトータルなセキュリティー・コストは一日当たり8,000ドル以上にもなる。危険すぎて戦時保険もきかないため報道各社のイラク取材費用は天井知らず。コスト増から現地取材をあきらめて記者を引き上げるメディアが続出しているという。

こうした背景事情はメディアで伝えられることもなく私は全く知らなかった。日本のメディアもNHKなど例外を除き軒並みバグダットから撤退した理由が初めて分かった。問題は、こうしたことの結果、現場からのレポートが減り、安全な後方司令部から高級士官のブリーフィングをそのまま流す報道が増えていることだ。

ジョーダンは言う。「現地に残った記者は最善の努力を続けている。必死にレポートを送っている。しかしいかんせんその数が少なすぎる。結果、我々はイラクで何が起きているか、を知る手段を失いつつある」。こうした危機感から彼はCNNを辞めて、07年1月、「Iraq Slogger」というニュース・ウエッブサイトを立ち上げた。50人の現地レポーターはすべてイラク人で、現場からの、「今」を徹底して伝える。彼によれば現在、イラクで起きている武力衝突の90%は米軍との組織的戦闘でなく部族間、家族間の殺し合いであり、「全く内戦状態なのだ」という。

では米軍の撤退は、問題の解決につながるのだろうか。出席者の質問に彼は、「問題を悪化させるだけだ」と答えた。

すべての、「止め金」が外れて全国規模で部族間の抗争が展開されることになる。宗派間の戦争だから国境は関係ない。イランもシリアも公然と介入するだろう。イラク北部のクルド族の動きによっては国境を接するトルコも黙っていないだろう。

「サダム・フセインの政治が良かったなどという人はこの世にいないだろう。しかしアメリカの軍事介入がイラク国内と隣接地域の微妙な均衡を壊してしまった、パンドラの箱を開けてしまったことは間違いない」。

彼の結論を聞きながら、「戦争は半年で終わるさ」と考えていた自分の判断の不明を恥じた。同時に大量破壊兵器の情報までねつ造してイラク侵攻を主導したブッシュ政権内の「ネオコン」(新保守主義者)の罪深に慄然とした。

「ネオコン」はどこから生まれ、何を目指し、どのように挫折していったのか。気の重いテーマではあるが、この分析を抜きにして現代アメリカ政治は語れない。次回はこの問題を考えてみよう。