10月にGoogleの新CEOに就任したSundar Pichai氏がイスラム教徒や他のマイノリティに対するサポートの必要性を訴えた。

日本ではほとんど報じられなかったので、ご存じない方が多いと思う。米国でも一部のメディアが取り上げたものの、その数日前に公開されたMark Zuckerberg氏の「イスラム教徒をサポートする」という声明に比べるとずっと小さな扱いだった。GoogleのCEOとはいえ、Pichai氏の一般的な知名度は低い。その違いが報道の差になって現れた形だ。しかし、「いいね!」の数で圧倒されても、議論を掘り下げ、より深い印象を残したのはPichai氏の方だった。

GoogleがAlphabet傘下になった際に、CEOに就任したSundar Pichai氏

Pichai氏は22歳の時にインドから米国にやってきた。手記「Let’s not let fear defeat our values」の中で同氏は、米国は移民に「機会を与えてくれる地」であり、移民を新たな米国人として受け入れる寛容さ、オープンな心が米国の強みであると述べている。Googleのキャンパスにはさまざまな人種の人々が働き、異なる文化が混ざり合っている。それが活気を生み出し、大きな仕事を成し遂げられる特別な場所を実現しているという。

「これを投稿するかどうか、ずいぶんと考えた。なぜなら、不寛容への批判はここ最近の論争の火に油を注ぐだけになってしまいそうな空気だからだ。しかし、われわれのような攻撃を受けていない存在こそ、いま声を上げるべきだと感じた」「恐れに駆られて、私たちの価値を失わないようにしよう。私たちは米国そして世界において、イスラム教徒や他のマイノリティコミュニティをサポートする必要がある」(Pichai氏)

シンプルに、米国のあるべき原則を説いている。

Twitterをマスターしたドナルド・トランプ氏

Pichai氏の手記の中に「Trump」という名前は一度も出てこないが、Donald Trump氏の発言を意識した内容であるのは明らかだ。来年の米大統領選に向けた共和党候補の指名争いレースに参加しているTrump氏はイスラム教徒や移民をとがめるコメントを繰り返し、イスラム教徒の米国入国を禁止すべきとまで言い出した。それでも指名争いトップを独走している。

Trump氏の好調ぶりの背景にはテロ不安があると言われているが、テロ不安が急激に高まったのはパリ同時テロからであり、そもそも同氏は候補者指名レースの序盤を賑わせるだけの泡沫と見なされていた。それがレース終盤に向かう時期でも健在であるのだから、テロ不安だけでは説明できない。

いまTrump氏が受け入れられている理由を一つ挙げるとしたら、それは彼が自分の言葉でしゃべっているということだ。演説ではプロンプターを使わず、用意された台詞ではなく、自分のメッセージを伝える。平易で短い言葉は「バカっぽい」と言われたりもするが、政治家疲れを感じている多くの米国民には正直で新鮮にも聞こえる。

そして、今回の選挙戦で同氏を押し上げているのがTwitterである。New York Timesの「Pithy, Mean and Powerful: How Donald Trump Mastered Twitter for 2016」によると、Trump氏はスマートフォンでTwitterの使い方をマスターし、スタッフに任せずに、自らツイートし始めた。過激な表現を好むTrump氏にTwitterなんて危険きわまりないが、メディアに揚げ足取りされることばかりだった同氏にとって、Twitterはたくさんの人たちに誤解のない自分を伝えられる手段になっている。実際のところ、同氏はTwitterを上手く利用している。

実業家であるTrump氏が支持を伸ばす背景に政治家疲れがあるなら、IT企業の経営者の言葉も新鮮に受け止められるはずである。ところが、移民問題に関してZuckerberg氏やMarissa Mayer氏、Eric Schmidt氏などの言葉はTrump氏ほどのインパクトを残せていない。なぜか? ―― 内容はともかく、Zuckerberg氏がFacebookノートで意見を述べたり、Schmidt氏がインタビューでコメントしても、その言葉は改革者のものではなく、慎重な政治家の発言のように伝わってしまう。Twitterを駆使して、生の声を演出するTrump氏ほど人々の関心を引くことはできない。

Pichai氏の手記に話を戻すと、同氏の伝え方は戦略的だ。投稿先にGoogle+ではなくMediumを選んだ。読み物としてブログを公開できるようにしたブログサービスであり、良質な読み物を求めるユーザーが集まっている。GoogleのCEOが同社のサービスを使わずに、あえてMediumで勝負するのはリスクである。しかし、炎上を避けて、望ましい議論を広げたいのだから、Mediumに投稿するのは理にかなっている。その一方で、Pichai氏が働く場所(=Google)に触れながらもGoogleという言葉を使うのを避けるなど、細部においては慎重だ。結果、難しい主張でありながら、誤解されることなく、同氏の言葉は効果的に広がっている。

私は2009年にChrome OSの発表会で初めてPichai氏を知ったが、その時からこれまで同氏に対しては「謙虚な人」という印象を抱いている。しかし、同氏と働いたことがある人たちのコメントを読むと、対立を避け、協調を重んじる人でありながら、困難なタスクに挑戦するのを厭わない大胆さを兼ね備えているようだ。Eric Schmidt氏が反対したChromeブラウザの提供を押し切ったのは有名な話である。Pichai氏のCEOとしての力量は未知数だが、謙虚でありながら自分の考えをしっかりと持ち、協調を重んじながら批判を恐れずに大胆に行動できる……それらは「Do the right thing」を新たな社是とするGoogleのCEOに求められる資質と言える。

2009年、開発チームの責任者としてChrome OSを発表するPichai氏