香川真司の所属するマンチェスター・ユナイテッドが、通算20回目のプレミアリーグ優勝を成し遂げた。このうち13回は、現職のファーガソン監督によってもたらされている。

ファーガソン以前の黄金時代は、1950年代から60年代にかけてであり、この時期には5度のリーグ優勝を果たしている。そしてこの第一期黄金時代から、すでにユナイテッドには「育成重視」の伝統があったのだ。

著者プロフィール

鈴木英寿(SUZUKI Hidetoshi)


1975年仙台市生まれ。東京理科大学理学部数学科卒。専門誌編集記者を経て、国際サッカー連盟(FIFA)の公式エディターに就任。FIFA主催の各種ワールドカップ運営に従事する。またベガルタ仙台(J1リーグ)のマーケティングディレクター、福島ユナイテッドFC(JFL)の運営本部長などプロクラブでも要職を歴任した。

現在は英国マンチェスターを拠点にイングランドと欧州のトップシーンを取材中。

Twitter: @tottsuan1

ファーガソンの「育成」は、「規律の徹底」と分かちがたく結びついている。いわば、この名将の原則である「規律」と「育成」は表裏一体とも言えるのだ。

会社組織の育成とは「新人を一から育てる」ことである。あるいは、社歴がある程度あったとしても、新たな部署に配置転換されれば「新人(新顔)」扱いされるケースもあるだろう。

そんな時、上司としてのあなたは(部下としてのあなたは)、どんな理念と手法をもって、新人の育成にあたるのだろうか(どんな理念と手法を植え付けられながら、新人として育成されているのだろうか)。

場合によっては、上司の個人的な裁量や、人間性に育成を委ねてしまうケースもまま見受けられる。筆者が属してきたマスコミ業界や、サッカー業界などには「ここには育成なんかない。見よう見まねで仕事を習得しなさい」という会社も決して少なくはない。

ファーガソン流の「育成」は、クラブのエンブレム(組織のシンボル)へのリスペクトで始まり、リスペクトで終わると言っても過言ではない。

第4回の内容とも一部重複するが、新人選手への代表的な規律を以下にご紹介しよう。

(1) 「クラブ以上の存在はない」という理念教育

クラブを超越する選手は存在しない。選手はクラブのためにプレーするものであり、それ以上の存在ではない、という理念を徹底してきた。

それゆえ、アカデミー組織から輩出した愛弟子であるデイビッド・ベッカム(現パリ・サンジェルマン)のようなビッグスターも、容赦なく放出してきたのである。ベッカムを2003年にレアル・マドリーに売却した際は、大きな論議を呼んだ。だが、世界的人気を博していたスーパースターは、妻がスター歌手であることもあり、もはや「選手」ではなく「スーパーセレブ」と化していた。連日、TVや紙面でネタを提供し、パパラッチに追われるベッカム(と彼の一家)は、「クラブ以上の存在」になってしまったのである。

その後、ユナイテッドはクリスチアーノ・ロナウド(現レアル・マドリー)を10代で獲得し、世界最高の選手へと育てあげるが、少なくともユナイテッド在籍期間中のロナウドが、ベッカムのような「セレブ街道」を歩むことはなかった。

(2) 「21歳以下・23歳以下選手への規制」

本連載の第4回でも述べたが、21歳以下の選手にはインタビュー規制がかかっており、23歳以下の選手はスポンサー提供車(シボレー)のスポーツタイプが禁止されている。

前者は、過剰なメディア露出によって世間を知らない若者がスーパースター扱いされ、本人が勘違いした存在になることを規制している。後者も同様の目的での規制である。

エバンズ(6番)やクレバリー(23番)などの若手代表選手もファーガソンの教えのもとで育った

一般企業のビジネスパーソンに置き換えると……

では、一般企業のビジネスパーソンにとって、この(1)と(2)はどのような解釈が可能なのだろうか。

まず(1)は「肥大化しかねない新人のエゴを抑え、組織へ忠実にさせる」作業に他ならない。「最近の子はオンリーワン世代だから」という嘆きを私と同世代の若い管理職からも聞くようになった。「自分が一番だ、という意識が強すぎるんだよね」と。

とはいえ、マンチェスター・ユナイテッドほどのビッグクラブともなると、どの選手も「自分がナンバーワンだ」「オンリーワンだ」との自負がある。それがなければ、生き残れない世界でもある。だが、そんな世界でも、現場の監督がまず着手するのは「余分なエゴを取り除く」作業なのだ。ファーガソンの凄味は、この作業を誰よりも根気強く続けてきたことではないだろうか。指揮官自身、「選手たちとの(エゴとの)格闘から逃げるようではこの仕事はやっていけない」という趣旨の発言を残している。

(2)は一般企業・組織で言えば、「若手社員の安易なスター化の阻止」と「基本的な身だしなみの徹底」に近い。日常的な言葉に置き換えれば「1、2年活躍したくらいで仕事が出来たつもりになるな」「派手に格好つけるのはまだ早い」ということになる。

パワハラまがいのファーガソンが"父"と慕われる理由

「何だ、そんなことならいつも言っているよ」と読者の皆さんは思われるかも知れないが、ファーガソンの「飴とムチ」はなかなかマネできないのではないだろうか。

何しろ、この熱血的スコットランド人は「ヘアードライヤー」というあだ名の持ち主である。怒る時には、真っ赤に燃えたぎった顔を近づけ、熱い言葉と息を容赦なく吹きかけることからこの名がつけられた。現代におけるビジネスの現場ではパワハラまがいの行為かも知れない(もっともプロの世界では、ファギーのヘアードライヤーは手を挙げていないだけに容認の範囲とはされている)。

それにも関わらず、すでにクラブを去ったベッカムやロナウドらが異口同音に「ファーガソンは僕の父親だ」と今でも慕うのはなぜか。

それは、新人の頃から厳しく躾を施し、誰よりも我慢強く選手の成長を見守ってきたからに他ならない。そして何より、ファーガソンは選手が窮地に陥った時に、徹底的に守ってくれる人でもある。たとえばベッカムは、イギリスメディアに叩かれ、国民からも徹底的に叩かれた時期があった。修羅場中の修羅場を経験した時期があったのだ。その時、身体を張って誰よりも守り通してくれたのが、ファーガソンだったのである。

あなたは組織において、父や母として、あるいは兄や姉として、部下を守り抜く覚悟があるだろうか。しかも、社内や取引先といった閉じられた空間においてだけではなく、業界全体、そして時には全国メディアや国民世論を敵に回しても、だ。

ファーガソンによる規律の徹底や、育成の重視。ヘアードライヤーと呼ばれるほどのスパルタ。これらは、真に温かみのある父性によって裏打ちされており、それが凡百の指揮官たちとの差異を生み出しているとも言えるのだ。

次回は、日本でもおなじみのアーセン・ヴェンゲル(アーセナル)のマネジメントについて述べてみたい。