今回は前回に引き続いて、移動体通信システムに関連する話題を取り上げよう。ただし、通信そのものは手段であって、目的は別のところにある。それは意外なところにあり、なんと信号保安システムだ。

信号保安システムの基本的な考え方

鉄道は他の交通機関と異なり、どこを走るかは地上側の進路の構成によって決まる。つまり、分岐器(一般的にいうところのポイントのこと)をどちらに切り替えるかは、列車側で勝手に決めることはできず、地上側で指示するようになっている。

運転士が行えるのは、そうやって決まった進路の中で「加速」あるいは「減速」する操作だけである。つまり、鉄道では先行列車や対向列車との衝突回避を「ハンドル操作」によって実現することはできない。

そこで、先行列車や対向列車との衝突を避ける手段としては、「閉塞」という概念を用いている。これはどういうことかというと、線路を複数の「閉塞区間」に区切り、ひとつの閉塞区間には1本の列車しか入れないようにするという考え方だ。

そして、次の閉塞区間に入って良いかどうかを指示するのが信号機である。先行列車や対向列車が次の閉塞区間にいる場合には、信号機は「赤」(停止信号)を表示する。運転士はそれを見て、次の閉塞区間に入る前に列車を止める。こうすることで衝突を防ぐ。列車の運転頻度が高い路線では、ひとつの閉塞区間を短くするとともに、表示する信号現示の種類を増やして、段階的に減速させている。

ところが、この仕組みを機能させるには、それぞれの閉塞区間に列車がいるかどうかを把握する、いわゆる在線検知の仕組みが必要になる。

現在は一般的に、レールに列車の存在を検出するための電流を流す方式や、閉塞区間の入口と出口にあたる場所で列車と地上の信号設備が通信して在線検知を行う方式などがあるが、いずれにしても地上側に在線検知や信号のための設備を必要とすることに変わりはない。そして、設備の保守には相応の手間がかかる。

また、閉塞区間の長さは線路や機器を設置した時点で決まってしまう。すると、たとえば「運転間隔を詰めるために閉塞区間を短く区切り直そう」となった場合には、地上設備に対して大幅に手を入れなければならない。

移動閉塞システムとは

そこで登場するのが、移動閉塞という考え方だ。

要は、衝突しないように列車同士の間隔を一定以上に保ったり、対向する列車同士が同じ線路に進入したりしないようにするのが目的なのだから、「列車の在線検知」と、それを受けた「個々の列車に対する、信号を通じた進行/停止の指示」ができればよいのである。

そこで移動閉塞では、列車の側で位置検出を行い、地上側の設備に頼らなくても済むようにしている。列車が走り始める際に、まず起点となる位置を把握した上で、車輪の回転数や加速度の情報を利用する仕組みだ。GPS(Global Positioning System)でも同じことを実現できそうだが、あいにくとトンネルに入ると電波を受信できなくなるので、援用はできても、GPSだけに依存することはできない。

その点、車輪の回転数に頼る方法なら、レールの上ではどこでも使える利点があるし、リアルタイムで連続的な位置の把握が可能だ。ただし、空転や滑走、摩耗による車輪径の減少によって誤差が出てくるので、駅で停車、あるいは通過する際に誤差を補正する必要があるだろう(駅なら場所を確定しやすいので確実だ)。

そうやって得た位置情報、それと編成長の情報を、車上装置が地上の拠点装置に無線で送信する。その間隔は、後述するATACSの場合で1秒間隔と、きわめて短い。拠点装置はそれを受けてデータベースと照合することで、どの列車がどこからどこまで線路を塞いでいるかを把握できる。こうすることで、拠点装置が「衝突が発生する可能性がある」と判断する根拠ができる。

もしも「停止させないと衝突する」と判断した場合には、当該列車に対して停止の指令を送るのだが、これも無線で行う。また、前方にカーブがあって速度制限が発生するときに、当該列車に対して減速の指示を出すという応用も可能だ。豪雨や強風といった場面で速度制限をかけることもできるだろう。

移動閉塞システムのキモは、個々の列車が正確に自車位置を検出し続けることと、列車と拠点装置の間で確実に情報をやりとりし続けることだ。だから、移動閉塞の死命を制するのは無線通信システムということになる。通信を途絶させないだけでなく、エラー訂正の仕組みや、妨害対策・セキュリティ対策も必要だろう。また、停電した場合に安全側に働くような設計も求められる。

そして、長い鉄道路線を単一の無線基地局でカバーするのは非現実的であり、しかも地形に阻害される可能性もあるので、全線をくまなくカバーできるように無線基地局を設置する必要がある。つまり、無線基地局をきっちり整備する必要があるのだが、それでも現行のような信号保安システムを整備するよりはシンプルにできるという考え方だ。

そして、ある無線基地局の担当範囲から別の無線基地局の担当範囲に列車が移動すると、通信相手を切り替える必要があるが、これは携帯電話で行っているハンドオーバーと同じ考え方だ。新幹線の車内で通話していてもハンドオーバーで途切れることはそうないのだから、絵空事というわけではない。エラー訂正や暗号化にしても、すでに移動体通信の分野で実現している技術を応用できる。

日本とヨーロッパの移動閉塞システム

この移動閉塞システムこそ、JR東日本が仙石線(あおば通-東塩釜間)で導入したATACS(Advanced Train Administration and Communications System)のことである。実は、すでに実運用試験を行う段階まで開発が進んでいるのだ。

また、ヨーロッパではEU(European Union)がERTMS(European Rail Traffic Management System)という運行管理システムの構想を進めており、その一環としてETCS(European Train Control System)という保安システムの導入構想を進めている。ETCSには複数のレベルがあるが、ATACSと同様の移動閉塞を行うのはETCSレベル3である。ただし、まだETCSレベル3は実用段階に達していない。

ATACSにしろETCSレベル3にしろ、地上設備にかかる経費の節減を図れるだけでなく、無線によるデータ通信を活用することで、列車と拠点装置の間でやりとりできる情報を多様化できる利点もある。そして、車両の性能を考慮に入れて最適な制御を行うことで、効率的な運行が可能になると期待できる。

コンピュータ技術や移動体通信技術が発達しなければ、こうしたシステムは実現できなかっただろう。

執筆者紹介

井上孝司

IT分野から鉄道・航空といった各種交通機関や軍事分野に進出して著述活動を展開中のテクニカルライター。マイクロソフト株式会社を経て1999年春に独立。「戦うコンピュータ2011」(潮書房光人社)のように情報通信技術を切口にする展開に加えて、さまざまな分野の記事を手掛ける。マイナビニュースに加えて「軍事研究」「丸」「Jwings」「エアワールド」「新幹線EX」などに寄稿しているほか、最新刊「現代ミリタリー・ロジスティクス入門」(潮書房光人社)がある。