だるまの形に焼かれたこねたもの。
お正月の縁起物にだるまを買った方もいらっしゃるかもしれませんが、
実はこのだるま、禅の開祖とされている
「達磨大師(菩提達磨)」が座禅をする姿を
モチーフに作られたものなのです。
今週は、そんな達磨大師のお話です。

インドの僧侶であった達磨は中国へ渡り、
梁の皇帝、武帝に招かれます。
仏教を厚く信仰していた武帝は、
やってきた達磨に「私は今までにたくさんのお寺を造り、
僧侶を育ててきたが、どのような功徳があるだろうか?」と尋ねるのですが、
達磨はきっぱりと「無功徳(それは煩悩を作っているだけで、
功徳などありません)」と言い放ちます。

「それでは、仏教の大切な教えとは?」と
武帝が尋ねると、「廓然無聖(心を空っぽにすること)」
と答えたとされています。

「功徳を得よう」とか「悟りを開こう」と意識して行う修行は、
目的にとらわれるあまり、
それ自体が煩悩を生み出す原因となってしまいます。

功徳を「得られる」とか「得られない」とか、
悟りが「ある」とか「ない」とか、
そういったとらわれのない空っぽな心こそ大切であるという意味が
「廓然無聖」という言葉に込められているのです。

人を助けたり、評価したり、励ましたり。
一つ一つの行為に見返りを求めてしまうと、
思ったような反応が得られなかった時に心にモヤモヤ(煩悩)がたまり、
自分自身を苦しめることになりますので、
まずは自分の中だけでその行為に満足できる事が大切です。

また、仕事など対価を得る必要があることを無償で行ったり、
個人的な趣味など、ただ自分だけでやりたいことを人に頼まれてやったり、
行為と得られるものの関係が食い違ってしまうと、
制約が増えかえってモチベーションを低下させることになりかねません。

何かを得られるから頑張れること、
そうでなくても夢中に、無心になってできること。
それぞれが自分にとってどのようなものであるか考え、
はっきりとさせておくと良いでしょう。


■こむぎこをこねたもの、とは?

■著者紹介

Jecy
イラストレーター。LINE Creators Marketにてオリジナルキャラクター「こむぎこをこねたもの」のLINEスタンプを発売し、人気を博す。「こむぎこをこねたもの その2」「こむぎこをこねたもの その3」もリリース。そのほか、メルヘン・ファンタジーから科学・哲学まで様々な題材を描き、個人サイトにて発表中。

「週刊こむぎ」は毎週水曜更新予定です。